第七十三話
「花にはね、それぞれに花言葉っていうものが付いていて、色々な意味があるんだよ」
「へぇ、そうなんだ」
「そんじゃあ、この花にはどんな意味が付いてるんだ?」
一緒に花を摘んでいた火虎が尋ねる。杏咲は手中にある薄桃色の花を見ながら、前に読んだ本に書いてあった、ペンタスの花言葉を思い出す。
「ペンタスの花言葉はね、確か……願い事、とか、希望が叶う、とか。そんな花言葉だったかな」
「へぇ。何か、七夕にぴったりの花だな」
火虎の感心したような声に、吾妻はハッとした様子で瞳を大きくした後、杏咲に笑顔を向ける。
「なぁなぁ杏咲ちゃん! そしたらおりひめさんたちも、この花がみたいっておもうて、会いにきてくれるかもしれんやろ? そしたら雨もやんで、おほしさまい~っぱいみえるかもしれへんね!」
名案が思い浮かんだ、とでも言いたげな表情をする吾妻に、杏咲も笑顔で頷いた。
「ふふ、そうだね。帰ったらこのお花を飾って、織姫様たちに見てもらえるように、七夕の準備もしなくちゃだね」
「へへ、さ~さ~のは、さ~らさら! やね!」
吾妻が口遊めば、隣で聴いていた一つ目小僧がコテンと首を傾げた。
「それは何の唄ですか?」
「これはな、たなばたさまのうたやで! 一つ目の兄ちゃんは知らんの?」
「はい、初めて聴きました」
「……良ければ、この子に聴かせてあげてくれませんか?」
そばで様子を見守っていた妖が、吾妻に声を掛ける。
「ええで! 湯希も桜虎も、み~んないっしょにうたお!」
「……うん、いいけど」
「はぁ? おれサマもうたうのかよ」
「そうだね。大きな笹の木に綺麗な花まで分けてもらったんだし、お礼に皆で歌おうか」
離れたところにいた透が、影勝や玲乙を連れてやってきた。吾妻の「いくでぇ、せーの!」の合図で、子どもたちによる“たなばたさまの歌”が、厚い雲に覆われた空の下で響き渡る。
「と、とっても素敵な唄でした……!」
一つ目小僧は、大きな瞳をきらきらと輝かせている。吾妻たちの元気いっぱいな歌声に、心動かされるものがあったのだろう。
「……ふふ。本当に、とっても素敵な歌声でした。有難うございます」
嬉しそうに笑う一つ目小僧を見た妖も、その顔に微笑みを携えて、子どもたちに礼を告げる。
「では、私たちはそろそろ帰ることにしましょう。雨も直に止みますから、心配いりませんよ」
「もうかえっちゃうん? それに……何でにいちゃんに、そんなことがわかるんや?」
吾妻の言葉に、妖は意味深に笑みを深める。
妖が小さな声で何か呟けば、厚い雲に覆われていた空から、一筋の光が降り注いできた。
「――雨師様、お手を」
「えぇ」
ぽかりと地面を照らしている光の下に歩いていく妖に、一つ目小僧がさっと姿勢を低くして片手を差し出す。その手に掴まった妖は、ゆっくりと光の下まで進むと、杏咲や子どもたちを順に見渡して、その相貌に美しい笑みを浮かべた。
「織姫と彦星が今年も逢瀬を重ねられるよう、そして貴方達の願いが届くように――私たちも天から願っていますよ」
「皆さん、有難うございました。今日はとても楽しかったです!」
次の瞬間。ぱっと辺りが眩い光に包まれたかと思えば、一つ目小僧と露草色の髪をした妖は、その場から忽然と姿を消していた。
降り続いていた雨もいつの間にか止んでいて、空を見上げれば、厚い雲が瞬く間にどこかへ流れていく。鉛色の空は、澄み渡る青空へと変わった。
「っ、ねぇ、あれ見て!」
十愛が嬉々とした声で言う。
指さす方に、皆が目を向ければ――。
「わぁ、虹だぁ!」
――青空を背景に、七色の大きな大きなアーチが、くっきりと浮かび上がっていた。
「すっげぇ!」
「オレ、虹なんて初めて見たかも」
「……おっきいすべりだいみたい。きれい」
「影勝、みて! ほら、虹だよ!」
「チッ、分かってる。……って、おい、引っ張んな……!」
「あはは。柚留ってば、珍しく大興奮だねぇ」
子どもたちは各々の反応を示しながらも、皆その雄大な自然の美しさに、目を奪われているようだ。
端の方で静かに虹を見上げている玲乙に気づいた杏咲は、その隣にそっと近づいた。
「玲乙くんは虹を見るの、初めて?」
「……はい。虹なんて、初めて見ました。……凄く綺麗ですね」
「ふふ、本当に綺麗だよね。私もこんなに大きな虹を見るのは初めてだなぁ」
同じように空を見上げる杏咲をチラリと見ながら、玲乙は胸の中にほわっとあたたかなものが広がるのを感じていた。
「玲乙くん。今日の散歩で、少しでも好きって思えるものは見つかった?」
杏咲に問われて、玲乙は考える。今目の前に広がっているのは、皆のきらきらした表情と、澄み渡る青空を背景にした美しい七色の橋。そして――優しい顔で笑う、杏咲の姿。
――これが“好き”っていう感情なら……確かに、たくさんあるのも、悪くないのかもしれないな。
玲乙は自身の胸元をそっと抑えながら、小さく頷いた。
ふっと、息を漏らすように緩んだその顔は、玲乙の心からの、穏やかな笑顔だった。