表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖花街にて保育士をすることになりまして。  作者: 小花衣いろは
第十章 願いはペンタスの傍らで
72/149

第六十八話



 皆で夕飯を食べ、吾妻たちと共にお風呂から上がった杏咲が大広間に顔を出せば、縁側に座って一人本を読む柚留の背中が見えた。そっと近づけば、柚留が読んでいた本は、つい最近、杏咲が自宅から持ってきたものだった。


「図鑑、気にいってくれたみたいで良かった」

「わ、杏咲先生……!」

「ふふ、びっくりさせてごめんね」


 夢中になって読んでいたらしい柚留は、驚いて声を上げてしまったことに恥ずかしそうに目線を揺蕩わせながら「い、いえ!」と首を横に振った。


「あ、これ……前に柚留くんが描いてた、ペンタスの花だね」

「はい。想像していた通り、すごく綺麗な花でした」

「天気が良ければ、実際に花を探しにお散歩に行きたいけど……」


 空を見上げれば、今も雨はざあざあと大きな音を立てて降り続いている。この様子だと、明日の天気も雨になるだろう。


「……でも、晴れたら近い内に、皆でお散歩に行こうね」

「はい!」


 暫く二人きりで図鑑を見てお喋りしていれば、お風呂から上がったらしい玲乙が通りかかる。


「こんな所で何をしてるんですか?」

「今ね、図鑑を見てたんだ」

「図鑑、ですか」

「玲乙くんは、どんな花が好き?」


 柚留の横に膝をつき図鑑を覗き込んでいた玲乙は、杏咲に問われて、暫し考えるように無言になった。

 チューリップに、向日葵に、秋桜に……玲乙はどんな花が好きなのだろうと、杏咲はその答えを楽しみに待つ。


「……分かりません。実際に花を見たことが、あまりないので」


 けれど予想に反して、玲乙の答えは“分からない”だったので、杏咲は少しだけ面喰ってしまった。


「そう、なの……?」

「はい。それに……そもそも好きとか嫌いとか、そういう感情を持って物事を見ることがあまりないので」

「……そっか」


 子どもたちと出会ってまだ三ヶ月ほどしか経ってはいないし、玲乙を含めた子どもたちが、これまでどのような生活を送っていたのかは分からないが――今の話を聞くに、玲乙は今まで外に出る機会があまりなかったのかもしれない。


 普段の玲乙の姿を思い返してみれば、確かに玲乙は、私室に篭っている時間が多い気がする。勿論、声を掛ければ他の子どもたちと一緒に遊びにも参加しているけれど、玲乙が自発的に輪に加わることは、あまりない。


 他の子どもたちと違って好き嫌いもなく、子ども特有の我儘を言うようなこともない。言われたことは淡々と熟している。そんなイメージだ。


 杏咲はこれまで、玲乙を“物静かでしっかりしたお兄さん”として見ていたけれど……もしかしたら、それだけじゃないのかもしれない。


 好きも嫌いも特に感じないだなんて――それは、何だか少し、寂しい気がする。


「……やっぱり明日は、皆でお散歩に行こうか。透先生にも相談してみないとだけど」

「え? でも……きっと明日も雨だと思いますよ?」


 杏咲の突然の提案に、柚留は戸惑っている様子で鉛色の空を見上げる。


「さすがに、今みたいに雨が強いと難しいけど……小雨だったら、行けるんじゃないかなって。それに、雨の中のお散歩も楽しいんだよ?」


 ひんやりした空気に、傘を伝って直に感じる雨の音。いつもはない水たまりに、今の時期なら蛙やカタツムリだって見られるかもしれない。

 雨の日のお散歩も、晴れの日にはない発見があったりして楽しいのだ。


「それにお散歩で、玲乙くんが好きだなって思える何かが見つかるかもしれないしね」


 玲乙は無表情で杏咲を見たまま、小さく首を傾げる。


「……ちなみに双葉先生は、どんな花が好きなんですか?」


 まさか玲乙から質問されるとは思っていなかった杏咲は、うぅんと頭を捻って考える。柚留も興味深そうな視線を杏咲に向ける。


「う~ん、そうだなぁ……この時期だったら紫陽花も綺麗だし、もう直ぐ向日葵も咲くけど、見てると明るい気持ちになれて好きだなぁ。あと桜も大好きだし、それから……」

「っ、ふふ、綺麗な花っていっぱいありますもんね」


 指折り数える杏咲を見て、柚留はクスリと笑みをこぼす。


「ふふ、そうなんだよねぇ。……こんな風に、好きがたくさんあるのは幸せなことだなぁって思うの」


 ――だから、玲乙くんにも、これから“好き”って思えるものがたくさん増えていったらいいなぁって。そう思うんだ。


 玲乙はやはり無表情ながら、杏咲の言ったことがあまりよく分からないといった顔をしている。杏咲は、ケードロの最中に二人きりで話した時、玲乙が言っていた言葉を思い出した。



「誰かに認めてもらえて、自分を好きになれるって。それは……妖や半妖も、ですか?」



 ――もしかしたら玲乙は、自分自身のことにさえもあまり関心を持てていないのかもしれない。杏咲は少しだけ、そんな風に思っていたのだ。



「――――……あなたのことが大好きなのよって、言葉で、行動で、たくさん伝えてあげることが大切なのよ。そしてたくさんの“好き”で心を満たしてあげるの。大人になってその記憶は忘れてしまったとしても……愛情を受け取った心は、ちゃぁんと覚えているものだから。一度形作られたモノは――優しさや愛情は、決してなくならない。いつか必ず、その子にとっての力になると思うの。だから私はね――保育士って、とっても素敵なお仕事だと思うの」



 大切で大好きな人が教えてくれた、今でもずっと胸に残っている大切な言葉を思い出しながら。


 杏咲は「明日、お散歩に行けるといいね」と、柚留と玲乙に笑いかけた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ