第六十六話
「……おい、クソオヤジ」
酒呑童子の数歩前で立ち止まった影勝は、睨み上げるようにしながら、自身の肩に掛けていた竹刀を振り下ろして、一直線に酒呑童子の鼻先に向ける。
「今はまだ力が足りねぇが……直ぐにオマエより強くなって、ぶっ殺してやる。覚悟しとけ」
それだけ告げて、フンと背を向けてしまう。
まさかの“ぶっ殺す”だなんて物騒な言葉を浴びせられた酒吞童子に、杏咲はまた酒呑童子が怒りだしてしまうのではないかと身構えたのだが――その表情は思いの他、穏やかだった。酒吞童子はクツクツと笑いながら、影勝の背に声を掛ける。
「まぁ、オマエが儂をぶっ殺すには、あと百年はかかるじゃろうが……気長に待っておくとするかのぅ」
「……ハッ、言ってろクソオヤジ」
杏咲は二人が軽口を叩き合う姿を見ながら、酒呑童子と初めて会った日、突然親子喧嘩が始まった中で、草嗣が口にした言葉を思い出していた。
「あれがあの親子なりのコミュニケーション……なのかもしれないですね」
その言葉通り――この不器用で素直でない親子は、言葉を交わすより、拳や剣を交わすことで分かり合えるものがあるのかもしれない。家族の形はそれぞれ違うのだ。
けれど、親子という近しい存在だからこそ素直になれなかったり、子どものことで悩んだり、成長を喜んだり――妖も人も違いなどなく、そこは変わらないのだなと。酒吞童子との出会いで、杏咲は改めてそう感じていた。
「それじゃあ、達者でな。次の参観日が楽しみじゃ」
「はい。酒吞童子さんもお元気で」
微笑む杏咲の顔をじっと見つめた酒呑童子は、おもむろに杏咲の両手を包み込んだかと思えば、その端正な顔をグイッと近づける。
「なぁ杏咲。本気で儂と夫婦にならんか?」
「へ? じょ、冗談ですよね? 揶揄わないでくださいよ……!」
慌てふためく杏咲に構わず、酒呑童子は開いている距離を更に縮めようとする。
「……冗談じゃねぇんだがなぁ」
そんな呟きは、杏咲の耳には届かなかった。
――伊夜彦と透が、杏咲と酒呑童子の間に割って入ったからだ。
「……ったく、過保護すぎんのもどうかと思うんじゃがなぁ」
「酒呑童子さん、早く帰らないと。山の女の人たちが悲しむんじゃないですか?」
「ほれ、さっさと帰れ」
「透め、白々しく邪魔しおって……! 伊夜も、ちと冷たいんじゃないか~」
笑顔の透と、シッシッと虫でも追い払うかのような雑な動作で手を振る伊夜彦に、酒呑童子はシクシクと泣き真似をする。しかし直ぐにケロリとした笑みを浮かべたかと思えば、伊夜彦の肩に腕を回している。
「旦那様、そろそろ」
そこに音もなく現れた茨木童子に、杏咲は驚いて小さな悲鳴を上げてしまった。姿を見るのは久々だが、今まで何処にいたのだろう。
「あぁ、アイツならずっと酒呑童子の傍に控えていたぞ」
「……え、そうなんですか?」
杏咲の心の声を読んだかのように、伊夜彦がさらりと答えを口にする。
――もしかして、酒吞童子さんが気づけば手に持っていた忍者服とか酒瓶って、全部茨木童子さんが出していたものなんじゃ……。
真相は分からないが、杏咲と目が合った茨木童子は、釣り目を細めてにこりと微笑んだ。
「そんじゃあ、またな」
「影くんのおとん、またあそびにきてな~!」
「ばいば~い!」
「あぁ、また遊びにくるからのぅ」
こうして最後まで賑やかな余韻を残しながら、笑顔の子どもたちや杏咲といった面々に見送られて、酒吞童子は国杜山の方へ帰っていったのだった。