第六十一話
「お酒もあるけど……まだ昼時だし、杏咲ちゃんはジュースの方がいいかな?」
「は、はい……」
緊張に身を固くする杏咲は、大きなソファの真ん中に座っている。そしてその周りを取り囲むのは、此処夢見草の従業員である半妖たちで。
――階段を下っていけば、そこには煌びやかな顔面の男性たちがたくさん居た。そう、此処は夢見草の従業員たちの休憩場所だったのだ。
「吃驚したでしょ? こんな所に隠し部屋があるなんてさ」
「此処は俺たちが一息つくための、休憩場所みたいなところなんだ」
「暫く休んでいくといいよ。此処なら簡単には見つけられないだろうしね」
「は、はい……」
男に免疫のない杏咲は、先ほどからほぼ「はい」の言葉でしか返せていない。強張った杏咲の表情に気づいた杏咲の左隣に座っている男性は、クスリと微笑んで杏咲の顔を覗きこんだ。
「君とは一度、ゆっくり話してみたいと思ってたんだよね」
「そ、そそうです、か……」
「あはは、そんなに固くならないで。伊夜さんの大切な女性を取って食べたりしないからさ」
「は、はい……」
相手によっては素っ気ないと思われかねない態度しかとれずにいる杏咲に気を悪くする様子もなく、従業員である男娼たちは、杏咲の緊張を少しでも和らげようと気さくな雰囲気で話を振ってくれる。
「それにしても忍者ごっこなんて、楽しそうだね」
「お姫様役かぁ。可愛い杏咲ちゃんにぴったりだよ」
「俺たちもね、昔は離れで生活してたんだよ」
「……皆さんも、離れで?」
――まぁ此処は……悪い輩に狙われやすい半妖を守るための、居場所でもあるってことさ。
杏咲は此処にやって来たばかりの頃、伊夜彦から聞いた話を思い出した。
話に食いついた杏咲を見て、半妖の従業員たちは嬉しそうに、どこか懐かしそうに、離れで過ごした幼少時代の思い出を語り始める。
「あの頃はまだ透くんもいなかったから、伊夜さんとか、時々遊びにくる酒呑童子さんに遊んでもらってたんだよね」
「懐かしいよなぁ。お座敷遊びとか、女の子の香当て大会とか」
「あぁ、やったやった。あと恋文を書いて、誰のが一番上手く書けてるか勝負とか」
「伊夜さんと酒吞童子さんのは内容がド直球すぎて、お客さんに引かれてたもんねぇ」
――まぁ、遊びの内容は置いておくとしても。伊夜さんは勿論、酒呑童子さんも此処の従業員の半妖たちから好かれているみたいだ。
「というか、俺たちの時にも杏咲ちゃんみたいな優しい先生がいたら良かったんだけどね」
「確かに! こんな可愛い先生がいたら、毎日遊んでもらって甘えちゃってただろうなぁ」
「僕も~!」
「あ、あはは……ありがとうございます……」
背景にキラキラとしたエフェクトが見える。甘い言葉を囁く従業員たちに、杏咲は空笑いを返した。
「……でも本当に、此処に来てくれたのが杏咲ちゃんで良かったよ」
「うん。あの子たちのこと、これからもよろしくね」
接客向けでもあるのだろう麗しい笑顔から一変、目元を綻ばせた従業員たちは、皆一様に柔らかな笑顔を浮かべた。そこからはただ、自分たちと同じ境遇である半妖の子どもたちを思った優しさが感じられる。
「……はい。勿論です」
柔らかな表情を向けられて、杏咲もふっと肩の力を抜く。それから少しの時間、煌びやかで賑やかな従業員たちとのお茶会を楽しんだのだった。
***
「……こんな所にいたんですね」
杏咲が従業員のキラキラした華やかな雰囲気にも慣れてきた頃。
壁に描かれていた狐の絵は従業員たちが幼い頃に描いたものだということを教えてもらっていたタイミングで、この部屋に姿を現したのは玲乙だった。ソファに座ってちびちびジュースを飲んでいた杏咲をじっと見ている。
「お、玲乙くんじゃん。よく此処がわかったねぇ」
従業員の一人に声を掛けられチラリと視線を向けたものの、直ぐに逸らして杏咲に声を掛ける。
「……早く行きましょう」
「あ、うん。そうだね」
玲乙に促され慌てて立ち上がった杏咲は、この場にいる従業員一人一人を見渡してペコリと頭を下げた。
「あの、お邪魔しました」
「いえいえ。杏咲ちゃんなら大歓迎だから、いつでも遊びにきてね」
「はい。ありがとうございます」
「玲乙くんもまたね~」
「……お邪魔しました」
素っ気ない玲乙の態度を気にした様子もなく、従業員は皆笑顔で手を振り、杏咲たちを見送ってくれた。一階へと続く階段を上りながら、杏咲は斜め前を歩く玲乙を見る。杏咲たちが歩けば同じようにしてついてくる提灯お化けが、足元をゆらりと照らしている。
「それにしても玲乙くん、どうして此処が分かったの?」
「それは……知っていたからです」
「知っていた?」
「この本殿に、いくつも隠し部屋があることです」
玲乙は歩みを止めずに、淡々とした口調で話す。
――でも、普段は離れにいるのに、どうして隠し部屋のことを知っているんだろう。
暗闇の中、ぼんやりと浮かぶ玲乙の横顔はいつも通りの無表情で、その思考を読み取ることはできない。
訳を聞こうとした杏咲だったが、段差に躓いて体制を崩してしまい、その口からは情けない声が漏れる。
「わっ、」
転ぶ、そう思ったが、身体を打ち付ける痛みはやってこなかった。
「っ、全く……気をつけてください」
「ご、ごめんね玲乙くん」
杏咲の斜め前を歩いていた玲乙が、少しだけ焦ったような顔をして杏咲の腕を掴んでいる。咄嗟に助けてくれたのだろう。
――自分よりもずっと小さい子に助けられてしまうなんて、本当に情けない。
地味にへこむ杏咲だったが、対する玲乙は杏咲の腕を掴んだまま、触れ合った部分をぼうっと見つめている。
「玲乙くん? どうかした?」
「……いえ、何でもありません」
けれど直ぐにその手を放し「先に行ってください」と脇に避けて杏咲に道を譲る。
「え、大丈夫だよ。先に玲乙くんが…「また落下されそうになる方が迷惑です」
ピシャリと一蹴されてしまい、すごすごと前を歩く。
――あ、そういえば、隠し部屋のことを聞こうと思ってたんだっけ。
今度こそ聞いてみようと思った杏咲だったが、上の方から眩しい光が差し込んできたことで、完全に聞くタイミングを失ってしまった。
「――あ、杏咲ちゃんや!」
「へぇ、玲乙が見つけたんだな」
「まきものも玲乙くんがみつけちゃったし……あ~あ、おれもみつけたかったなぁ」
「……ざんねん」
玲乙と杏咲が両足を廊下に着けたタイミングで、隠し扉は直ぐに閉じてしまった。そしてその数秒後、タイミングを見計らったように廊下の角の向こうから子どもたちがやってきた。
結局、玲乙の言葉の真相は謎のままに、忍者ごっこは玲乙の勝利で幕を閉じたのだった。