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妖花街にて保育士をすることになりまして。  作者: 小花衣いろは
第七章 人攫いと親子喧嘩
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第五十六話



 おろおろと二人を見遣る杏咲に気づいた酒呑童子が、影勝から離れて近づいてきた。


「杏咲、すまんのぅ。影勝は気性が荒いから、さぞかし手を焼いているじゃろう?」

「え、いえいえ、そんなことないですよ……! 確かにツンツンしてるところもありますけど、そんなところも含めて可愛いですし……影勝くんは優しい良い子です! あっ、それに最近は苦手な野菜も少しずつ食べられるように「おい、余計なこと言ってんじゃねぇよ」


 瞬時に近づいてきた影勝が、力説する杏咲の言葉を遮った。その耳はほんの僅かに赤く色づいている。


「……そうか。杏咲が言っておった“可愛くていい子たち”には、きちんと影勝も入っとるみたいじゃな」


 顎下に手を添えて思案気に呟いた酒呑童子は、両手で杏咲の左手をそっと包み込んだ。その端正な顔を近づけ、真剣な表情で言葉を紡ぐ。


「そんじゃあ杏咲、儂と夫婦にならんか?」

「…………めおと?」


 ――はて? めおと……めおとって……何だっけ?


 直ぐには言葉の意味を理解できずに現実逃避していれば、目の前にいたはずの酒吞童子の姿が消えた。かと思えば、入れ替わるようにして、そこに大きな茶色の物体が着陸する。


 ――ドガシャーン‼


 派手な音が響いた。どうやら、影勝が卓袱台をひっくり返した――否、酒呑童子に向かって投げつけたようだ。

 卓袱台の上に載っていた湯飲みは草嗣が、饅頭の方は火虎が瞬時に察して手に取っていたため、散乱する事態は免れたみたいだ。


「何がそんじゃあだよ……クソオヤジ、テメェふざけんのもいい加減にしろよ……」


 声を震わせてマジギレモードの影勝に対し、酒呑童子といえば。


「……おい、今テメェっつったか? 親に対してその口の利き方は何だ? あぁ?」


 ――何故かこちらも、マジギレモードに突入していた。先ほどまでのデレデレしていた酒呑童子とは、まるで別人だ。口調から纏う雰囲気まで、がらりと豹変してしまっている。


 そして胸元に掴みかかってきた影勝を、酒吞童子が背負い投げた。その勢いのままに、影勝は部屋の奥の方まで吹っ飛んでいく。綺麗な屏風が派手な音を立てて影勝共々倒れた。


「……って、えぇ!? しゅ、酒呑童子さん、いきなりどうしちゃったんですか!? と、止めなくていいんですか、あれ……!?」


 飛ばされても尚、直ぐに起き上がって向かっていく影勝と、獲物を待ち構えるようなぎらついた目つきで影勝に相対する酒呑童子。突然本気(ガチ)の取っ組み合いを始めてしまった二人についていけず、杏咲は軽いパニック状態だ。


 けれど慌てているのは杏咲一人だけで、火虎も伊夜彦も草嗣も、皆落ち着いた様子で二人のやりとりを見守っている。


「あぁ、気にするな。いつものことだからなぁ」

「い、いつものこと……?」


 グイッと酒を飲み干しながら、赤ら顔のまま伊夜彦は言う。


 ――いやでも、伊夜さんは酔っぱらっているみたいだし、ここは透先生を呼んできた方がいいんじゃ……。


 その場に立ち竦んだまま迷っていれば、お茶のおかわりを淹れてきてくれた草嗣がそっと杏咲の両肩に手を置いた。杏咲はストンと畳に腰を下ろす。――驚きの連続で、軽く腰が抜けてしまったみたいだ。


「大丈夫ですよ。本当にいつものことなので」

「そう、なんですか……?」

「はい。あれがあの親子なりのコミュニケーション……なのかもしれないですね」


 草嗣の落ち着いた声に、杏咲も漸く平常心を取り戻すことができた。草嗣と話していれば、いつの間にか親子喧嘩にもけりが付いていたようだ。


「っ、クソ……!」

「ふっ、オマエが儂に勝とうなんて一億万年早いんじゃよ」


 酒呑童子に押さえつけられた影勝は必死に抵抗しているが、傍から見ても、その力の差は歴然だった。暴れるのを止めた影勝はうつ伏せに転がされたまま、自身に馬乗りになっている酒呑童子を、今にも射殺さんばかりの目で睨み上げている。


「……うむ、決めたぞ」


 そんな実の息子からの鋭い視線を受けていた酒呑童子は、楽しそうに口角を持ち上げて立ち上がった。


「暫く離れで世話になることにしようかのぉ」

「……は!?」


 驚き声を上げる影勝を見下ろしながら、酒呑童子は笑う。その口許には弧を描きながら、すっと目を細めて――見定めるような目で、影勝を射抜く。


「本当は店の方で世話になる予定じゃったが……バカ息子が普段、どんな風に過ごしているのかも気になるしのぉ。それに……色々面白いもんも見れそうじゃし」


 杏咲に視線を移した酒呑童子が、にんまりと艶やかに笑う。

 杏咲の背に、ぞわりと寒気のようなものが走った。


「……俺はまだ、良いとは一言も言ってないんだがなぁ」

「はっはっ、まぁ固いことを言うな。儂と伊夜の仲じゃろう?」


 伊夜彦が零した呆れ声に、酒呑童子は軽く笑う。その声色からは、もう決めてしまったことを覆す気はないという思いが汲み取れる。


「……杏咲、悪いな」


 呆然と座りこんでいた杏咲に、伊夜彦はすまなそうな顔を向ける。そんな伊夜彦の後ろでは、未だに睨み合っている酒吞童子と影勝の姿があって。――あ、火虎くんってば、またお饅頭食べてる。


 心の中にじわじわと、戸惑いや不安が広がっていくのを感じる。これからの日々に一抹の胸騒ぎを覚えながら――何事もなく平穏に過ごせますようにと、杏咲は心の底から願った。



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