第五十五話
「ま、まぁとりあえず、俺は十愛たちに杏咲先生が無事だったってことを伝えてくるよ。皆心配してるだろうからね」
「はい。分かりました。えっと、私は……」
――というか、私も離れに戻ってもいいの、かな?
酒を飲み続けている伊夜彦と酒呑童子にチラリと視線を送りながら思案していれば、杏咲の心の内を読み取ったのか、申し訳なさそうな笑みを浮かべた草嗣に首を横に振られてしまう。
「すみませんが、もう少しこちらで待っていてもらえますか? あと一人、杏咲さんもよく知るお客様がいらっしゃいますから」
「え? あと一人って……どういうことですか?」
「それは直ぐに分かりますから。それでは杏咲さんはこちらに。火虎くんもどうぞ、座ってください。酒呑童子さんが持ってきてくださったお菓子がありますよ」
透はいつの間にか姿を消していて、この場に残っていた火虎は“お菓子”の言葉に目を輝かせる。
「お、やったぜ!」
「あ、火虎くん。あんまり食べるとご飯が食べられなくなっちゃうから、程々にね」
「わかってるって!」
早速包みを開けて饅頭を頬張っている火虎は、幸せそうな顔で笑っている。
まぁ火虎が夕食を残したところなんて見たことがないから、要らない心配ではありそうだが。
「ほら、オマエも食ってみろよ!」
「それじゃあ……少しだけ貰おうかな。ありがとう火虎くん」
火虎が分けてくれた饅頭を一口頬張る。そうすれば、口の中にふんわりした甘さが広がった。初めて食べる味と食感だ。柔らかいのに少しもちもちしていて……これは、甘じょっぱいに近い味なのかもしれない。重すぎない甘さで、何個でもぺろりと平らげられそうだ。
「このお饅頭、凄く美味しいです……!」
「これは酒呑童子さんの住まう山で作られているんですよ。確か、秘蔵のお酒が餡に練り込まれているとか」
「餡にお酒が? あの……それって、子どもたちが食べても大丈夫なんですか?」
「まぁ、含まれるアルコールもほんの少量でしょうし……そもそも此処では、未成年の飲酒を禁止するような法があるわけでもないですから。飲酒の年齢に明確な決まりはないんです」
「へぇ、そうなんですね」
――やっぱり、まだまだ知らないことばかりだなぁ。
草嗣の話に成程と納得しながら相槌を打っていれば、先ほど草嗣が言っていた“もう一人のお客様”がやってきた。
「おい、オレに用って何……」
そこで、言葉が途切れた。草嗣の言っていた“お客様”とは、どうやら影勝だったようだ。
そんな影勝が見つめる先にいるのは、喜色満面の笑みを浮かべた酒呑童子で。
「おぉ、久しぶりじゃなぁ、我が息子よ! 会いたかったぞ」
両手を広げて近づいてくる酒呑童子に、影勝は露骨に顔を歪めて大きく舌を打った。
「チッ、んでクソオヤジが此処にいんだよ……!」
――ん? 息子に、オヤジ……?
杏咲は首を傾げる。目の前にいる酒吞童子と影勝を順に見遣れば、二人共同じ髪色をしていて、服装もどことなく似たようなものを着用している。頭上に生えた二本の角もお揃いだ。
「影勝も儂に会いたかったじゃろう?」
「……会いたいわけねぇだろ。うぜぇから近寄んな」
デレデレとだらしなく顔を緩ませている酒呑童子とは対照的に、影勝は今まで見たことがないくらいに冷たい瞳をして、その身に冷気を纏っている。その表情や雰囲気から、照れ隠しなどではなく、本気で酒吞童子を嫌がっていることが伝わってくる。
「はぁ、相変わらずだな」
苦い笑みを浮かべながら三つ目の饅頭に手を伸ばしている火虎が、ポツリと呟いた。
「火虎くん、知ってるの? あの二人って……」
「あぁ。あの二人は親子なんだよ」
「お、親子……やっぱりそうなんだね」
杏咲の予感が、確信に変わった。
改めて二人の顔を見比べてみる。――うん。その端正な顔の造りも、バサバサの長い睫毛も、目を引く金の瞳も……よく見れば似通っている部分が多い。真実を知ってしまえば、どう見ても親子にしか思えない。
「でも、ご家族なのにどうして……」
――親子の間に、あんなにも温度差があるんだろうか。
ただの親子喧嘩にしては、影勝の酒呑童子を見る目には……杏咲から見ても分かるほどに、くっきりとした嫌悪が滲んでいた。