第五十四話
「……これ、どういう状況?」
足を踏み入れた透の目に、真っ先に飛び込んできたもの。――室内には、顔を真っ赤に染め上げた伊夜彦と酒呑童子の姿があった。
「お~? 透じゃねぇか、ㇶック、ど~したんだ?」
陽気な様子で片手を挙げて笑いかけてくる伊夜彦は、完全に出来上がっていた。その周囲に大量に転がっている酒瓶の数が、どれだけ飲んでいたのかを物語っている。そして、その隣で尚も酒の注がれたお猪口をグビグビ喉に流し込み続けているのは、酒呑童子だ。
「杏咲や、ほれ、まだ酒は山ほどあるぞ。何故そんなに離れとるんじゃ」
「も、もう勘弁してください……!」
伊夜彦と同じか、それ以上に飲んでいるだろうに、まだまだ飲み足りないといった様子の酒吞童子は、両脇に何本も一升瓶を確保している。その視線が向く先を辿っていけば、酔っぱらい二人から離れた隅の方で膝を抱えている、杏咲の姿があった。
その目元は薄っすらと赤く上気していて、酒吞童子に勧められるまま断り切れずに酒を飲んだのであろうことが見て取れる。
「……はぁ。旦那様って、酒呑童子さんのことだったんだね」
部屋の惨状に、透は思わず溜息を吐き出した。そこで漸くその存在に気づいた杏咲は、瞳を潤ませながら透のもとに駆け寄る。
「と、透先生……!」
「……杏咲先生。俺はおつかいを頼んだはずなんだけど……どうして此処に?」
「うっ……それは、その……話せば長くなるんですが……」
「……まぁお説教はあとにするとして。これ、一体どういう状況なのか教えてくれる?」
「はい、実は……」
話を切り出そうとした杏咲の前に、小さな黒い影が飛び出してきた。
「何かあったんじゃねぇかって心配してたんだぜ! 無事でよかったなぁ」
透の背後から顔を出したのは、言いつけを守って隠れていた火虎だった。安心したように笑っている火虎に、心配をかけてしまったことへの謝罪とお礼を告げてから、杏咲は此処に来るまでに至った経緯を一から話した。
「成程。……で、杏咲先生はあの酔っぱらいたちに絡まれてたってわけなんだね」
「あはは……」
思ったより大変な目に遭っていたみたいだ。空笑いの杏咲に労いの意味を込めてその肩をポンポンと叩いてやれば、今度は透の肩に誰かの手が触れた。同じようにポンポン、と優しく叩かれる。
一体誰がと振り向いた透は、垂れ目を見開いて驚きを顕わにする。
「透、久しぶり。元気そうですね」
「草嗣! ……あぁ、そっちも変わりないみたいだな」
「はい。透の方も変わりないようで安心しました」
親しげな様子で言葉を交わす二人を、杏咲は交互に見つめる。その視線に気づいた透が、草嗣との関係を説明しようとこちらに振り向いた。
「杏咲先生は初めましてだよね? 彼は草嗣。此処夢見草で働いている従業員の一人だよ」
「あ、実は……「初めまして、ではないですよね?」
にっこり楽しそうに笑う草嗣に、杏咲はコクリと頷いた。
「実は、私が初めて夢見草に来た時にはお会いしていたんです。その際も親切にしていただいたんですけど、以前執務室を訪ねた時にもお会いして……伊夜さんからもご紹介いただいたんです」
「え、そうだったの?」
「はい。透先生にもお話しようと思っていたんですけど、すっかりタイミングを逃していて……」
初耳だった透は、また驚きに目を瞬いている。草嗣はそんな透の顔を見てクスクス笑う。
「透が先生って言われているのは、やっぱり不思議な感じがしますね」
「……そんなことはないでしょ」
「いいえ。私的には、透が先生をしている姿をもっとこの目で見てみたいんですが……杏咲さんにも前に言いましたが、透は恥ずかしがり屋ですからね」
「……それは言わなくていいから」
草嗣の言葉に、透はフイッと顔を背ける。その耳は赤く色づいていて――どうやら、図星を突かれて照れているみたいだ。
透のこんな表情は珍しい。それだけ仲が良いのだろうと、杏咲は微笑ましい気持ちになる。
そんな杏咲からの生温かい視線に気づいた透は、わざとらしい咳ばらいを一つ落としてから、再び出入り口の襖に手を掛けた。
とても久し振りの更新となってしまいましたが、お読みいただきありがとうございます…!
魔法のiらんどにて掲載していた続きの話を、本日よりこちらでも更新していこうと思います。先の長いお話にはなりますが、お付き合いいただけると嬉しいです。