第五十三話
「結局、どこにもいなかったな。……なぁ、もう帰ってんじゃねーのか?」
場面は変わり、夢見草から徒歩十五分ほどの距離にある、乾物屋の前にて。
陽も落ちてきて辺りは薄暗くなり、夜のみ活動するような妖達も、ぽつぽつ姿を現し始めた。行き交う妖の数は、日中よりも増えている。
妖達の間をすいすいと避けて進みながら、火虎は一歩後ろを歩く透に声を掛けた。透は視線を左右の店先に向けながら、重たい溜息を吐き出している。
「そうだったらいいんだけど……。はぁ、俺たちも一旦帰ろうか」
杏咲が訪れたであろう、味噌を売っている行きつけの店の店主に尋ねれば「あぁ、あの嬢ちゃんなら数刻前に味噌を買って帰ったよ」と言われたのだ。
――もしかしたら、何か事件に巻き込まれているのかもしれない。
そんな拭いきれない不安に苛まれた透だったが、火虎の言う通り、すでに帰宅している可能性もある。もしまだ戻っていなかったとしたら、それこそ伊夜彦にも伝えた方がいいだろうと考え、二人は夢見草までの道を急ぎ足で進む。
「おや、貴方は……」
――夢見草に戻ってきた透と火虎が、離れから本殿へと続く近道である庭園を歩いていれば、前方からやってきた鬼の妖に声を掛けられる。
初めは客かと思ったが……どうやら違うらしい。透と火虎の姿を目視すると、まるで探していたとでも言いたげな雰囲気で、にこやかな笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「こんばんは。今ちょうど、離れに向かっていたんです」
「……離れにどのような御用で? そもそも貴方、お客様ではないですよね? ……どちら様でしょうか?」
火虎を隠すようにして一歩前に出た透は、警戒心を露わにし、険しい表情で問いかける。
「あぁ、そんな怖い顔をなさらないでください。私はただ、旦那様とその御友人である伊夜彦様に、言伝を頼まれただけですので」
「伊夜さんに?」
よく知る人物の名前が出たことで、透はその警戒を、ほんの僅かに緩める。
「はい。可愛らしい人間のお嬢様も、一緒にお待ちになっておりますので」
「っ、アイツもそこにいんのか!?」
透の背から顔を出した火虎が、叫ぶように言う。
妖はにっこり笑いながら頷いた。
「……彼女は、伊夜さんと一緒に居るの?」
「はい。共に参りましょう」
妖は、先導するように前を歩いていく。
透は距離をとって、無言でその後に続いた。
――邪な妖が侵入すれば、門前の警備の者や護衛部隊が気づくだろうし……それに今、屋敷内には、伊夜彦だっているのだ。こうして敷地内に入っているということは、危害を加えてくるような妖ではないんだろうけど……。
目の前を歩く妖をジッと見つめながら、透は思案する。
離れの存在を知っていたということは、伊夜彦に聞いたのだろう。けれど、何のために? それに何故、杏咲の存在を知っているのか。次々に疑問が湧いてくる。
まだこの妖が何者なのかはっきりしていないため、火虎には自身の背に隠れているようにと視線で伝えた。静かに頷いた火虎は、大人しく透の後を付いてきている。
そして辿り着いた先は、透もよく知る伊夜彦の執務室だった。
「どうぞ」
「……伊夜さん、入るよ」
小さく一礼して身を引く妖を一瞥してから、透は執務室に続く襖を引いた。