第五十二話
「さっきも言ったがのぅ、杏咲を此処へ呼んだことには理由があるんじゃ」
「理由って……何ですか? そもそも、酒吞童子さんはどうして私の名前を知ってるんですか?」
自分から名乗った覚えはないのに、先ほどから呼ばれる名前についても不思議に思っていたのだ。
「名前はのぅ、伊夜に聞いたんじゃ」
「伊夜って……伊夜さん? 伊夜彦さんのことですか?」
「あぁ、そうじゃ。アイツとは長い付き合いでのぅ。今回もアイツと酒でも飲もうと思って遊びにきたんじゃよ」
「あ、もしかして……」
「ん? あぁ、近々旧友が店に遊びにくるんだよ。だがまぁ、ソイツが中々に面倒な奴でな……あれを用意しろこれも用意しておけと、要求が多いんだ。全く、仕方がない奴だ」
――あの時伊夜さんが言っていた“旧友”って、酒呑童子さんのことだったのかな。
口では文句を言いながらも、嬉しそうな顔をしていた伊夜彦を思い出す。それが本当なら、目の前にいるこの人……否、妖は、信用してもいいのかもしれない。
杏咲は少しだけ肩の力を抜いて、話の続きを聞く。
「伊夜に話を聞いてからずっと、嬢ちゃんに興味があってのぅ。ゆっくり話がしたいと思っておったんじゃ。此処での生活はどうじゃ? 人の子が半妖の子の面倒を見るなど、勝手が分からないことも多いじゃろう」
「そうですね……でも、伊夜さんやもう一人の先生も良くしてくださいますし、子どもたちも皆可愛くていい子たちばかりなので。毎日が楽しいです」
「“皆可愛い?” ……ほぅ、そうかそうか」
杏咲の言葉を復唱した酒吞童子は、楽しそうに口角を持ち上げながら、手元の扇子をぱっと開いた。手の甲を返してひらりと仰ぐその姿も、様になっていて美しい。
「しかしまぁ、半妖の子らは皆、人の子に比べて成長速度が速いからのぅ。これから戸惑うことも増えていくだろうが……まぁ、困った時は伊夜や周りの者に頼るといい」
遠い日の記憶を思い出すかのように、一瞬どこか遠いところを見つめていた酒呑童子だったが、直ぐに意識を杏咲に戻してふわりと微笑んだ。
「まぁ、離れの子らには儂も会ったことがあるからのぅ。数か月でどれくらい成長しとるか楽しみじゃ」
酒呑童子の緩い雰囲気に、杏咲はすっかり気を許し始めていた。何故このタイミングだったかは分からないが、これまで密かに疑問に感じていたことを、ポロリと吐き出してしまう。
「あの……どうして妖は、成長するのが人よりも速いんでしょうか?」
「ん? そうじゃなぁ……それが此処での普通じゃし、そんなこと考えたこともなかったが……いつまでも子どものままじゃ、自分の身一つ守れんからのぅ。少しでも早く強うならんとじゃろう? そんな環境故の生存本能が、そうさせているのかもしれんのぅ」
自身の憶測を述べる酒呑童子に、杏咲は眉を下げる。
「そう、ですか。それは何だか……悲しいですね」
「……悲しい?」
酒呑童子は素っ頓狂な声を上げた。今の話の流れで“悲しい”なんて言葉が出てくるとは、思ってもみなかったからだ。
「だって……幼少期は、危険に曝されるなんて心配をする必要もなく、親から無償の愛情を受けて、庇護されるべき大切な時期であるはずなのに……そんな時間が短いのは、何だか寂しいなって」
「……。ふっ、はっはっは」
瞠目した酒吞童子だったが、一拍置いて、大きな笑い声を上げる。
「……な、何で笑ってるんですか?」
「いやぁ、すまんすまん。杏咲は面白い考え方をするんじゃなぁ」
「……面白い要素なんて、ありましたか?」
突然笑われてしまい、戸惑いと羞恥に薄っすら頬を赤くし眉根を寄せている杏咲に、酒呑童子はまた「くっくっ……」とかみ殺したような笑い声を漏らす。
「(……面白い人の子じゃなぁ)」
――杏咲に対しての漠然とした“興味”が、強い“関心”に変わった瞬間だった。