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妖花街にて保育士をすることになりまして。  作者: 小花衣いろは
第七章 人攫いと親子喧嘩
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第五十一話



「ん……、ここは……」


 目を覚ました杏咲は、ゆっくりと上体を起こして辺りを見渡す。

 そこは、見慣れない部屋だった。


 周りを金色で縁取ってある水墨画の掛け軸や、艶やかな薄紫色をした花瓶、美しい鳥の模様が描かれた緋色の扇子など――華美な装飾品の数々が床の間に飾ってある。見上げた天井には、美しい梅の花がその存在を主張するかのように繊細に描かれている。


 どこか夢見草の店の方――本殿の雰囲気に似ている気がする。けれど、やっぱり此処は、杏咲の知らない場所だった。


「お、目が覚めたか?」


 此処は一体どこなのか。部屋の中を見渡して一人考え込んでいた杏咲だったが、低い男の声が鼓膜を震わせたことで、その思考を停止した。出入り口の方に顔を向ければ、そこに立っていたのは見覚えのある男性で。


「あなたは……」


 銀鼠色の腰まで伸びる長髪に、瞳の色は目を引く美しい金色。此処にいるということは、やはり妖なのだろう。頭上には立派な角が二本生えていて、透や伊夜彦たちが着ているような着物――とは少し違う、漢服のようなものを着ている。しかしその胸元は大胆にはだけていて、漂う色気が凄まじい。


「儂のこと、覚えておるかのぅ」

「もしかして……あの時、蹴鞠を拾ってくれた……?」

「おぉ、覚えていてくれたんじゃな」


 あの時は笠を被っていたので顔をはっきりと見ていなかったが、この独特の雰囲気や口調からして、間違いないだろう。そう思った杏咲が恐る恐る口にした答えは、当たっていたようだ。


 男は嬉しそうに目尻を下げて微笑みながら、杏咲の目の前に腰を下ろした。


「儂の配下のもんが手荒な真似をして、すまなかったのぅ。これは詫びじゃ。此処の茶菓子は美味いからな」


 そう言って、杏咲が寝ていた布団の横にあった卓袱台の上に、上等そうな箱を置く。そこにはいつの間にか湯呑みが二つ置いてあった。つい先ほどまではなかったはずなのに。


 けれど男は気にすることなくその一つを手にして、寛いだ様子で茶を啜っている。


「あ、の……此処は一体どこなんでしょう? 何の目的があって、私を此処に……?」

「ん? あぁ何、そんなに警戒せずとも取って食いはせんよ。ほれ、まずは茶でも飲んで落ち着くといい」


 訝しげな顔をしている杏咲を見ても、男はからりと笑っているだけだ。そこから嫌な雰囲気は感じられないが、油断させておいて、突然襲い掛かってくる可能性もある。


 杏咲は警戒を緩めることなく、男の一挙一動を注視する。けれど男はマイペースに、自分が持ってきた箱を開封して茶菓子を口にしながら、尚も楽しそうに話し続ける。


「嬢ちゃんに聞きたいことがあって此処へ呼んだんじゃが……あぁ、そういえば……茨木、出てこい」

「はい、此処に」

「ひっ……」


 男が“茨木”と、その名を呼んで直ぐ。音もなく突然この場に現れたのは、先ほど杏咲に声を掛けてきた釣り目の男だった。その頭上にはやはり、立派な黄色の角が二本生えている。


「全く、オマエのせいで嬢ちゃんが怯えとるじゃろうが。さっさと謝れ」

「はい。先程は申し訳ありませんでした。あの方法が一番効率的だと思いましたので」

「何でも効率第一で考える癖、いい加減止めたらどうじゃ」

「そうですねぇ……しかし旦那様はもう少し先を見据えて行動していただけますと、私としては助かるのですが」

「なぁにを言っとるんじゃ。後先考えず、好き勝手すんのが楽しいんじゃろうが」

「ですがその後始末をするのは誰だと思われて――「おぉ、そういえばまだ名を申していなかったのぉ」


 杏咲を置いて進められる会話を呆然として聞いていれば、苦言を申し立てる部下の言葉をさらっと無視した男が、その端正な顔をずいっと近づけてくる。杏咲は反射で上体を反らしながら、無意識に固唾を呑んで、男が口を開くのを待った。


「儂は酒呑童子と云う。好きなものは酒と女じゃ。まぁよろしく頼む」

「酒呑童子って、あの……?」

「お、もしかして知っておるのか?」

「はい。確か、昔どこかの山に住んでいたっていう伝説上の鬼で……村の女の人を攫っていったり、暴れまわったり、悪さをしていたっていう……それで最後は討伐されたんでしたっけ……?」


 うろ覚えの知識を引っ張り出せば、杏咲の言ったことに納得がいかなかったのだろう。

 酒吞童子の顔には“不満です”とでかでか書かれていて、顔の前で掌をひらひらと振りながら、杏咲の言葉をきっぱり否定する。


「あぁ、あんなもんは、ぜ~んぶ嘘っぱちじゃ。あんな小童どもに儂がやられるわけもない。それに儂が攫わずとも……女の方から寄ってくるからのぅ」


 妖艶な笑みを浮かべて、その(かんばせ)を杏咲に近づけた酒吞童子だったが――それと同時に杏咲が身を引いたため、その距離が縮まることはなかった。


「……」

「……」


 酒吞童子がまた距離を詰めれば、同じように杏咲が後退りする。また酒呑童子が距離を詰めれば、杏咲が無言で距離をとる。


「……旦那様。いつまで続けるおつもりですか」


 そんな謎の攻防戦は、茨木童子の一声で終止符が打たれた。


「ふむ、杏咲は初心なんじゃな」

「いや、初心といいますか……条件反射で……」

「まぁ良い。本題に移ろうかのぅ」


 酒吞童子は、杏咲の反応に不思議そうな顔で首を傾げている。これまで、女からこのような態度をとられたことがなかったのだ。

 しかし自身の中で“杏咲は己の格好良さに照れているだけ”と都合のいいように結論付け、本題に入るためその居住まいを正した。


 杏咲もこれ以上話が脱線してしまうのも嫌だったため、何も言うまいと口を閉じ、酒吞童子から一メートル程距離をとった場所で正座する。



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