第四十九話
洗濯物を畳み片付け終えた杏咲は、台所へと向かっていた。夕飯を作り始めているであろう透の手伝いをするためだ。
ちなみに一緒にいた十愛たち四人は、各々私室に戻ったり庭の方に遊びに行ってしまった。元気いっぱいな吾妻に引っ張られて、渋々といった様子で後ろをついていった湯希に、私室で本の続きを読むのだと言っていた柚留、桜虎を探しに行くと駆けていった十愛。
元気いっぱいの子どもたちの姿を思い浮かべながら台所へと足を踏み入れれば、そこには予想通り透がいて、片手でお玉を持っている。けれどよく見れば、その手は止まっているようで。
「透先生」
声を掛ければ、振り向いた透の顔は、何だか困っているように見える。
「どうかしましたか?」
「あぁ、杏咲先生。実はちょうど味噌を切らしちゃって。買いに行こうと思ってたんだけど、色々中途半端に手を付けちゃったからどうしようかなぁって考えてたんだ」
「そうだったんですね。……あの、それなら私が買ってきますよ」
「え、でも……」
「ちょうど洗濯物も畳み終わって、何かお手伝いできればと思ってきたんです。味噌の売っているお店なら私にも分かりますし……駄目ですか?」
透は少しだけ逡巡してから、笑顔で頷いた。
「うん、それじゃあお願いしようかな。でももう夕暮れだし、杏咲先生一人だと危ないから、年長組の誰かしらに声を掛けて一緒に行ってきてくれる?」
「はい、分かりました」
「火虎とか影勝あたりなら確実に鍛錬場にいると思うから」
透から財布を受け取った杏咲は、ついでに味噌以外にも買い足しておいた方がいいものをメモ用紙に書いてもらい、竹で編まれた買い物かごを手にして鍛錬場へと向かった。
鍛錬場に近づくにつれ、竹刀のぶつかり合う音が聞こえてくる。
そっと中の様子を窺えば、ちょうど影勝と玲乙が打ち合っているようだった。壁に寄りかかっている火虎や座りこんでいる桜虎に十愛も、皆集中した様子で観戦している。
「(どうしよう、皆集中しているみたいだし……邪魔しちゃうのも悪いよね)」
杏咲が踵を返そうとすれば、視線に気づいたらしい火虎と目が合った。杏咲が小さく手を振れば、何故入ってこないのかと不思議そうな顔をしていた火虎も、口許に弧を描いてひらりと手を振り返してくれる。
そうして杏咲は、誰にも声を掛けることなく、一人で街へと繰り出したのだった。
***
「すみません、この味噌を一つください」
「はいよ、ちょっと待ってな」
夢見草から歩いて十分ほどのところにある店まで難なく辿り着いた杏咲は、お目当ての味噌を無事に手にしていた。あとは鰹節とおにぎり用の海苔を買って……透先生に許可も取ったし、皆へのお土産にお饅頭でも買って帰ろうかな。
代金を支払って買い物かごに味噌を入れ、杏咲はすぐ近くにある乾物屋に向かって歩きだす。
「――もしもし、そこのお嬢さん」
「……えっ、私?」
「はい、そうですよ。可愛らしい人間のお嬢さん」
背後から声が届いた。振り返れば、頭上に二本の角が生えた釣り目の男性が立っている。にこやかな雰囲気で話しかけられたが、“人間の”とあえて強調するような物言いをされたことで、杏咲の警戒心は一気に強まる。
「……おや、警戒されてしまいましたか。う~ん、これはまずいですねぇ」
「まずいって、あなた一体……」
誰なんですか、と。そう聞こうとした杏咲の言葉は続かなかった。
何故なら、気づけば目の前から男性の姿は消えていて、次に感じたのは首裏に感じる鈍い痛みだったからだ。
「――のまま、つれて…――さまに――」
さっきの男性が何か話しているのが分かる。けれど杏咲の意識は少しずつ遠のいていき、そのまま真っ暗な闇の中へと沈んでいった。