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はじめてのシュワシュワ (とある日のひとコマ)



「杏咲、なにのんでるの?」


 大広間で各々が一休みしている中、声を上げたのは十愛だった。杏咲が持つ透明なグラスに入った、紫色の液体が気になったらしい。自身のコップに入ったオレンジジュースと見比べている。


「ぶどうのジュースだろ?」


 十愛と同じオレンジジュースを飲んでいた桜虎が言う。


「うん、葡萄のジュースだよ」

「おれもひとくちのみたい!」


 コップを机に置いた十愛が、杏咲のもとに近づいて両手を広げて見せた。〝ちょーだい〟のポーズだ。


「う~ん、ただこのジュースは炭酸が入ってるから……十愛くん飲めるかな?」

「たんさん? ……それなに?」


 不思議そうな顔をする十愛に、杏咲は「う~んとねぇ、ジュースはジュースなんだけど……シュワシュワするものが入ってるんだよ」と答える。


「しゅわしゅわ?」

「そう、しゅわしゅわ」

「しゅわしゅわ! おれものみたい!」


 話を聞いていた吾妻も目をキラキラ輝かせて、トタトタと足音を立てながら駆け寄ってくる。

 吾妻の横でちびちび林檎ジュースを飲んでいた湯希も、声を発することはしないが、その視線は杏咲の手元にあるグラスに真っ直ぐ向けられている。興味はあるのだろう。


「それじゃあ、ちょっとだけ飲んでみる? ……透先生、いいですか?」

「もちろんいいよ。何事も経験だしね」


 了承した透の表情は、何だか楽しそうだ。初めて炭酸ジュースを飲むことになる十愛たちの反応を想像しているのだろうか。


「それじゃあ……はい、どうぞ。皆の分淹れたから、良かったら飲んでみてね」


 火虎や柚留たちにも声を掛ければ、「おっ、オレの分もあんの? ありがとな」「ありがとうございます!」と各々コップを手にした。


 端の方で一人静かに本を読んでいた玲乙と、胡座をかいて座っていた影勝も、杏咲たちの会話はしっかり耳に入れていたらしい。

 杏咲がそばまで行ってコップを差し出せば、影勝は無言で、玲乙は読めない表情で「頂きます」と言ってコップを手にする。


「それじゃあ、どうぞ」


 杏咲の声に、子どもたちは一斉にコップに口を付けた。


「うぇっ……、なんやぴりぴりする~!」

「べろがいってぇ! なんだこれ!」

「あんまりおいしくない……」

「……もう、いらない」


 やはり年少組の子どもたちにはまだ早かったようで、皆一様に苦い顔をしてコップを机に置いている。


「うっ、僕もこれは……少し苦手かもです」

「そうかぁ? オレは炭酸、結構好きだけどな」


 柚留もお気に召さなかったようで渋い表情をしているが、その隣に座っていた火虎はグビグビと飲み進めて、コップの中をあっという間に空っぽにしていた。


「兄ちゃん、さすがだぜ……」


 小さな声で呟いた桜虎は、火虎のことを尊敬のまなざしで見つめている。けれど火虎にはその声は届かなかったようだ。


「ん? 桜虎、いらねぇなら貰ってもいいか?」


 その視線から、桜虎はいらないから自分にくれようとしているのだと解釈して、桜虎の分まで美味しそうに飲み干していた。さすが好き嫌いが一切ない男の子である。


 そして、今杏咲が座っている場所から一番近くにいる玲乙も、変わらぬ表現でコクリと炭酸ジュースを飲み干していた。

 玲乙も火虎と同様、食事で嫌いな物を皿の端に避けたりすることのない一人だ。無理をして飲んでいる様子もないし、炭酸の刺激もへっちゃららしい。


 けれど、玲乙から少し離れた場所に座っていた影勝が「っ、ごほっ、」と、小さく咳き込む音が聞こえてきた。

 視線をやれば、影勝は眉を顰めて手中にあるコップを睨みつけるようにして見つめている。そのコップの中身は、まだ半分も減っていないようだ。


「あの、影勝くん。無理して飲まなくても大丈夫だからね?」

「っ、ああ? ……別に、無理なんてしてねぇよ」


 杏咲を一瞥して鋭い視線を向けた影勝だったが、直ぐにふいっと顔を逸らしてまたコップの中身を見つめる。


 どうやら、影勝にとってはこの炭酸ジュースを飲み干すことが――負けられない戦いになってしまったようだ。

 嫌いな野菜は平気で残すくせに、変なところで負けず嫌いなのである。


 見守ることにした杏咲は、静かに座り直して影勝に小さな声で声援を送る。


「頑張れ影勝くん……!」


 そんな影勝の姿に感化されたらしい吾妻と桜虎が、何故かコップを持って近寄ってきた。


「オレさまだって、こんなジュースくらい、ぜんぶのんでやるぜ……! オレのぶん、おかわりいれてくれ!」

「お、おれやって、ぴりぴりなんかにまけへんねんからな……!」


 そんな二人の言葉を聞いて、十愛や柚留もコップを手にした。子どもたちは各々顔を歪めながらも、ちびちびと炭酸ジュースを飲み進めていく。


 ――どうやら負けず嫌いなのは、皆同じらしい。


 透はクスクスと忍び笑いを漏らしながらも「皆、頑張れ」と声援を送っている。


 そして、とうとうコップの中身をすべて飲み切った子どもたちは、各々が達成感に満ちたような顔をしている。


「へへ、ぜんぶのめちゃった! ねぇ杏咲、おれすごいで…、げっぷ」


 空になったコップを持って歩み寄ってきた十愛だったが、その言葉を言い切る前に、炭酸を飲んだ後特有の、空気が漏れる音を鳴らす。


「……なんやいま、へんなおとしたで?」

「っ、なにいまの、かわいくない……!」


 吾妻の純粋な指摘に、十愛は顔を真っ赤にして狼狽えている。


「炭酸を飲んだ後って、炭酸ガスがお腹の中で膨らんで、ゲップが出ちゃうことがあるんだよね。自然なことだから大丈夫だよ、十愛くん」

「うぅっ……おれ、もうたんさんはのまないから……!」

「でもおれも、ぴりぴりはいややし、もうたんさんはのみたな、げっぷ、……杏咲ちゃん! おれもげっぷって、でたで!」


 顔を赤く染めて恥ずかしがる十愛とは反対に、ゲップをした吾妻は嬉しそうに報告してくれる。――幼少期の初めての経験は、どんな些細なことだって面白く感じるものだ。


 杏咲の横で吾妻の報告を聞いていた影勝は、何故喜んでいるのか理解不能といった顔をしているけれど。


「でも皆、よく飲み切ったね。また一つお兄さんになったんじゃない?」


 透が言った〝お兄さん〟の言葉に、年少組の子どもたちは顔をほころばせて嬉しそうにしている。どんな小さなことだって〝最後までできた〟経験は、成長や自信に繋がるのだ。


「これからも皆で、色々な〝はじめて〟を体験できたらいいよね」

「……はい。ですね」


 透の言葉に笑顔を返しながら、杏咲は自身の手元に残っていたグラスの中身を一気に飲み干す。少しだけ抜けた炭酸のジュースは、いつもよりずっと甘く感じた。



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