透と十愛でナイショのはなし (第六章/練り切りを買いに行く道中にて)
ドロケーで最後まで逃げ切った杏咲のお願いを叶えるべく、練り切りを買いに出かけているのは透と十愛だ。
透の持つ大きな傘の下、透の左手と十愛の右手はしっかりと繋がっているが、二人の間に、いつものような会話はない。
パラパラと傘に当たる小雨の音をBGMに歩き続けること、数分。
気まずい沈黙を先に破ったのは、透だった。
「ドロケー、楽しかったね」
「え? う、うん……すっごくたのしかった」
「十愛ももう少しで逃げ切れたのに、最後は惜しかったね」
「……うん」
――透はいま、どんなかおをしてるんだろう。朝のこと、まだおこってるかな。
ぐるぐると悪いことばかり考えていた十愛だったが、頭上から降ってきた透の声がいつも通りの穏やかなものだったため、地面に向けていた顔を恐る恐る持ち上げた。
そこには、いつもと変わらぬ優しい笑顔を浮かべた透がいた。けれど、目が合った十愛の表情を見て、それは困ったような笑みへと変わってしまう。
十愛の大きな瞳から、じわりと大粒の涙が溢れだしたからだ。
「と、透……っ、ごめんなさい……」
「……うん、いいよ。ちゃんとごめんなさいが言えて、十愛はえらいね」
十愛の考えていることなど全てお見通しだったらしい透は、優しい笑みを湛えたまま、繋いでいた手をそっと離して膝を折り、十愛の頭を優しく撫でる。
「誰かを傷つけるような言葉は、十愛自身の心も傷つけることになるし……俺も悲しくなるから、もう言わないこと。約束できる?」
「っ、ん……」
両手で目元を拭った十愛は、コクリと大きく頷く。
十愛の表情を見て安心した様子で笑った透は、立ち上がろうと膝に手を置いた。しかし十愛に着物の裾をクイっと引かれたため、再び屈んで十愛と目線を合わせる。
「あのね……杏咲が、透にごめんなさいができるといいねって、いってくれたんだ」
「……そっか、杏咲先生が」
「うん」
杏咲のことを思い出してはにかむ十愛に、透は一つの質問をする。
「十愛は、杏咲先生のことが好き?」
「……うん、すき」
「ふふ、そっか。それじゃあ帰ったら、杏咲先生に直接伝えてあげるといいよ。きっと凄く喜ぶと思うから」
「……うん!」
十愛にいつもの明るさが戻ったのを確認して、透は内心でほっと安堵の息を漏らした。
透は透で、言い過ぎてしまったかもしれない、もっと別の伝え方があったかもしれないと――今朝の自身の言動を反省し、顔には出さずとも、落ち込んでいたのだ。
「ねぇ、透は? 透は杏咲のこと、すき?」
「ん? 俺は……――うん、そうだね。好きだよ」
十愛からの質問返しに一瞬きょとんとした透だったが、十愛と同じ答えを口にする。その顔に、穏やかな笑みを広げて。
「へへ、いっしょだ。……あと、それにね、おれ……透のこともおんなじくらい、だいすきだよ!」
「本当に? ……お揃いじゃん」
そう言って傘を閉じた透は、にやりと口角を上げ、両手を十愛の脇に入れて高く抱え上げる。
「うわっ、」
「よしよし、十愛は可愛いなぁ」
「こ、こどもあつかいしないでよね!」
ツンとした言葉とは正反対に、十愛は透に甘えるように、その首元にぎゅっとしがみついた。透はおかしそうに、嬉しそうに、クスクスと笑う。
「そうだね、十愛もお兄さんだもんね」
肩上で切り揃えられている黒髪をさらりと撫でれば、十愛の腕の力も僅かに強くなった。
「でも、たまにはいいでしょ。俺が十愛のこと、甘やかしたいんだよ」
そう言って楽しそうに笑った透は、十愛を腕に抱きかかえたまま、目的の店に向かって歩き出す。
「……いいよ。でも……みんなには、ないしょだからね!」
「ふふ、そうだね。二人だけの秘密だ」
甘えたいけれど、皆に知られるのはちょっぴり恥ずかしい。そんなお年頃の十愛の心中を透はすぐに察して、優しい表情で頷いた。
そしてお目当ての練り切りを無事に買うことができた二人は、仲良く手を繋いで、皆が待つ夢見草への家路をたどる。
ポツポツと降り続けていた雨はいつの間にか止んでいて、透き通るような青みを帯びた空が、二人の頭上にゆっくりと広がり始めていた。