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どらいやーでぶわぁ~っ‼ (第五章/お風呂上りのひと時)



 お風呂から上がり、皆で着替えていた最中。

 事の始まりは、吾妻の何気ない一言だった。


「なぁなぁ杏咲ちゃん、きょうもかみかわかしてや!」

「うん、もちろんいいよ」


 杏咲と吾妻からしてみれば、いつもと変わりないやりとりだ。

 しかし一緒にお風呂に入っていた十愛からしたら、そうではなかったらしい。聞こえた言葉に反応して、ぱっと顔を上げた。


「……きょうも? 吾妻、いつもかわかしてもらってるの?」

「せやで! 杏咲ちゃんが、どらいやーでぶわぁ~ってしてくれるんや!」

「……ふ~ん」


 何か言いたげな様子で、けれどその言葉を吐き出すことはなく、十愛は口を噤んでしまった。

 そんな十愛の顔を見た杏咲は、その場にしゃがみ込む。目線を合わせて、ニコリと微笑んだ。


「十愛くんの髪は、いつもサラサラで凄く綺麗だよね」

「……そう?」

「うん、とっても! よかったら、十愛くんの髪も乾かしていいかな?」

「! ……まぁ、べつにいいけど」

「ふふ、ありがとう」


 ぼそりと呟くようにして返ってきたのは、了承の言葉。その唇はツンと尖っていたけれど、すぐにゆるりと口許を緩ませて嬉しそうに微笑んでいるのだから、可愛いなぁと思う。


 十愛の湿った髪をポンポンと優しく撫でていれば、どこからか感じる視線。杏咲がそちらに顔を向ければ、いつの間にか、すぐそばに湯希がいた。


「……おれも、ぶわぁ~って……やってほしい」


 綺麗な翡翠色の瞳に、真っ直ぐ見つめられる。湯希からこんな風に“何かをしてほしい”とお願いしてくれる姿は稀なため、杏咲は嬉しい気持ちを隠さずに顔をほころばせた。


「うん、もちろんだよ! 湯希くんの髪も乾かすね」

「……うん」

「よっしゃ、みんなでぶわぁ~や!」

「ぶわぁ~」


 片手を挙げて意気揚々とした様子の吾妻と、つられるようにして片手を小さく掲げている湯希。十愛はタオルで拭いた髪を手櫛で整えていて、桜虎は……姿が見えないので、早々に着替えて脱衣所を出て行ったのだろう。


「よし、それじゃあ行こっか。乾かすのは私の部屋でいいかな?」

「うん、いいよ」

「ええで!」

「うん」


 杏咲の声に、三人分の可愛らしい返事が返ってくる。けれど吾妻が何かを思い出したように「あ!」と声を上げ、「さきにいっててや!」と一人で走っていってしまった。


「吾妻くん、どうしたんだろう?」

「かわやにでもいったんじゃないの?」

「……さき、いってよ」


 突然の吾妻の行動を不思議に思いながらも、ひとまず三人で、杏咲の私室へ向かうことにした。



 ***


「なんだよいきなり……!」

「ええからええから!」


 杏咲たちがドライヤーを準備して待っていれば、吾妻はすぐにやってきた。そしてその小さな手は、誰かの手をしっかりと握りしめている。――そう、吾妻に無理矢理引っ張られてきたのだろう、そこには不満そうな顔をした桜虎がいたのだ。


 そしてその後ろには火虎もいて、けれどどこか申し訳なさそうな顔をして立っている。


 わいわいと賑やかな子どもたちの横を通って、廊下に突っ立ったままの火虎のもとに近づく。

 どうしていつまでたっても部屋に入ってこないのかと、不思議に思った杏咲が尋ねれば、逆に「……オレも入っていいのか?」と尋ね返されてしまった。いつもの火虎らしくない物言いに首を傾げながら、杏咲は「もちろん!」と笑顔で頷く。


「火虎くんも、遠慮なんかしないでいつでも遊びにきてくれていいんだからね。……といっても、特に面白いものがあるわけでもないんだけどね」

「いや、ちがくて……なんつーかさ、オレも男なわけだし、その……夜に女の人の部屋に行くのって、あんまよくねぇのかなって思って」


 目線を反らして、気まずそうな顔で告げられた言葉に、杏咲は目を瞬いた。


 いくら人より成長が早いとはいえ、まだ六歳くらいの子がそんなことを気にしているとは、思ってもみなかったからだ。まぁ火虎と同世代の子が皆こうというわけではなく、大人びている火虎だからこその考えなのかもしれないけれど。


 火虎くんもお年頃なんだなぁ、なんて変に感心してしまいながら、目の前の小さな頭にそっと手を伸ばした。まだお風呂には入っていないのだろう。その黒髪は滑らかで柔らかく、指の間をさらりと流れていく。


「そんなこと、気にしなくていいんだよ。でも……気にかけてくれてありがとう」

「……おぅ」


 どこかソワソワした様子で、決まりが悪そうに黙って頭を撫でられる火虎に頬を緩ませながら、杏咲は言葉を続ける。


「ふふ。火虎くんも、もっと甘えてくれたら嬉しいなぁ」


 杏咲の言葉に、今度は火虎が瞳を瞬いた。けれどきょとんとした顔を見せたのはほんの一瞬のことで、今度ははにかみながら、気恥ずかしそうに後頭部を掻いている。


「……まぁ、たまには子ども扱いされんのも悪くねぇかな」


 耳に届いたその言葉に、杏咲は穏やかな笑みを返したのだった。



 ***


「だぁから! オレはいいっていってんだろ!」

「ええやん、桜虎もぶわぁ~ってしよ! あっ、おれがやったげてもええんやで?」

「ぜっってぇヤダ!」

「ならオレがやってやろうか?」

「そっ……、」

「なんでひぃくんにはいややっていわへんのや! いややおれがやる~!」

「だ、だからヤダっていってんだろ!」

「ハハッ、おまえら仲良いなぁ」

「よくねぇ!」「せやろ!?」


 杏咲の私室に足を踏み入れた火虎にも座ってもらい、さぁドライヤーで皆の髪を乾かそうということになったのだが――そこに待ったをかけたのが、桜虎だった。


 どうやら桜虎と火虎は、何の説明もないままに連れてこられたようだ。


 これからドライヤーという機器で髪を乾かすのだということを聞かされて、桜虎はますます不機嫌そうな顔をしている。その顔には“なんでわざわざかわかさなくちゃならねーんだよ! めんどくせぇ!”と、でかでか描かれている。


「も~、べつにいいじゃん! それより、はやくかわかしちゃおうよ!」

「……かみ、はやくしないと、かわいちゃう」


 これまで黙って桜虎たちのやりとりを見ていた十愛が、不満そうに頬を膨らませている。続ける湯希も無表情ながら、その声はどこか不服そうな色を孕んでいる。


 ――湯希くんの言う通り、このままじゃ自然乾燥になっちゃいそう。


 そう思いながら、杏咲は自宅から持ってきていたドライヤーをコンセントに挿して、スイッチを入れた。そうすれば、室内にそこそこ大きな風音が響き渡る。――瞬間。


「っ、‼」


 吾妻と口論していた桜虎が、小さく飛び上がった。真っ黒な耳と尻尾が、真っ直ぐピーンと立っている。

 これまではタオルドライや自然乾燥で済ませていたようだし、ドライヤーの聞き慣れない風音に驚いたのだろう。


 そして、驚いたのは桜虎だけではなかったようだ。十愛と湯希もビクリと肩を震わせて、パチパチ目を瞬いている。


「ご、ごめんね。びっくりさせちゃったかな?」

「べっ、べつに、おどろいてなんかねぇよ!」


 杏咲が子どもたちに向けて謝れば、桜虎がいの一番に答えた。


「ほんとに? それじゃあ桜虎くん、一番にやってみる?」

「……オ、オレさまは、いい。しかたねぇから、吾妻にゆずってやるよ」


 話の流れでそのまま桜虎を誘ってみれば、つい数分前とは打って変わり、何だか様子が違って見える。目線を反らして、どこかしおらしくしているような……。


「桜虎、もしかして……」


 杏咲と同じことを思ったらしい十愛が口を開けば、言い切る前に、その場に立ち上がった桜虎が宣言するように言い放つ。


「い、いっとくけどなぁ! ……べ、べつに、こわいからとかじゃね~んだからな‼」



 その言葉に、数秒ほど、何とも言えない沈黙が広がった。



「……そっか、そうだよね!(本当は怖いんだろうなぁ)」

「(怖いんだな)」

「(こわいんじゃん)」

「(……ねむい)」


 上から順に、杏咲、火虎、十愛、湯希である。各々口には出さずに、胸中で思うだけに留めていたのだが――そこで思うだけに留められず、素直に思ったままを口に出してしまう子が、一人いた。


「桜虎、ほんまはこわいんやな! だいじょうぶやで、こわいんやったら、おれがて、にぎっててやるからな!」


 にっこり眩しい笑顔。その表情を見れば、吾妻が善意から言ったのだということは、この場にいる皆が分かっている。けれど――桜虎にとっては、そうはいかなかった。


 小さくたって男の子。彼なりのプライドがあるのだろう。


「っ、……こわくねぇっていってんだろ‼」


 キッと吾妻を睨みつけたかと思えば、そのまま掴みかかる。驚いた吾妻が尻餅をつけば、桜虎はその上に馬乗りになって、吾妻の頬をグイグイ引っ張り始めた。


「ひゃにふるんやぁ~‼」

「あ~、ったく。桜虎、ちょっと落ち着けって」


 杏咲が止めに入ろうとすれば、それよりも早く、すぐそばにいた火虎が間に割って入った。吾妻から桜虎を引き離して、落ち着かせるように背中を撫でている。


 ――もうこれは、髪の毛を乾かすどころの話じゃなくなっちゃったかも。


 杏咲がどうするべきかと思っていれば、湯希がウトウトと舟を漕いでいることに気づいた。その瞼はすでに落ちかけていて、今にも閉じられそうだ。


「湯希くん、眠い?」

「……うん」

「……それじゃあ、先に湯希くんから乾かしちゃおうか」

「……ん」


 杏咲に声を掛けられて、湯希はゆっくりと顔を持ち上げた。眠たくても、やはりドライヤーで髪を乾かすことには興味があるようだ。


 先ほど吃驚させてしまったらしいことを反省して、杏咲はドライヤーの送風口を自身の髪に向けて見せる。さっきは“強”にしたところを今度は“弱”に設定して、電源スイッチを入れる。そうすれば、先程よりも弱めの温風が杏咲の湿った髪の毛を揺らした。


「こうやって髪に当てるんだよ。あったかい風や冷たい風が出てきてね、髪を乾かしてくれるの」


 スイッチを切った杏咲が言えば、湯希だけでなく、他の子どもたちも杏咲に注目していた。桜虎の顔を見遣れば、もうそこに怯えの色は見られない。興味深そうにドライヤーをじっと見ている。


「よし、それじゃあ順番に乾かそうか。まずは、「は~い! お、「おれが、いちばん」


 杏咲が言い切る前に両手を挙げて立ち上がり、吾妻がアピールする。

 けれど、そんな吾妻の言葉に更に被せるようにして、湯希が名乗りを上げた。


 元々湯希から乾かすつもりだったが、湯希は普段控えめで、こういう時に自ら声を上げるイメージがなかったため、杏咲は少しだけ驚いた。


「うん。それじゃあ、今日は湯希くんから乾かそうね」

「えぇ~、おれ、いちばんがよかったなぁ」

「吾妻はいつもやってもらってたんだからいいでしょ!」


 ぶぅぶぅと文句を言う吾妻だったが、十愛からの言い分に納得したのか、まだ不満そうな顔ではあるけれど、大人しく座って待つことにしたらしい。


「吾妻くんも順番に乾かすから、少し待っててね」


 そう吾妻に声を掛けてから、杏咲は湯希の後ろに回り込む。


「それじゃあ乾かすね」

「……うん」


 湯希が頷いたのを確認してから、ドライヤーのスイッチを入れる。


 透明感のある蜂蜜のような色をした髪が、温風に乗ってふわりと浮かび上がる。一緒に獣耳もぴくぴくと動いている。


 そっと湯希の顔を窺ってみれば、その目は気持ちよさそうに閉じられている。


 そのまま髪全体に風を当てていれば、短めの髪はあっという間に乾いた。自宅から持ってきていたヘアオイルを毛先になじませてから、その頭をそっと撫でる。


「湯希くん、おわったよ」

「……、うん」


 眠たそうに目をとろんとさせた湯希は、そのまま杏咲の膝の上に倒れ込むようにして、ぱたりと頭を乗せた。


「あぁ~! 湯希ずるいやん! おれ、まだどらいやぁやってもらってへんのに!」

「……そんじゃあ、オレさまがやってやるよ」

「……桜虎のは、なんかいやや‼」

「はぁ!? なんでだよ! せっかくオレさまがやってやるっていってんのに!」

「いやや~! 桜虎へたそうやもん! 杏咲ちゃんがいい!」

「なんだと~!?」


 今度は先ほどと言っていることが真逆だ。ドタバタと追いかけっこを始めてしまった吾妻と桜虎。その騒がしい足音に、湯希は眉根を寄せて「んんっ……」とくぐもった声を出しながら、杏咲のお腹に顔を埋めるようにする。


「あ~、ワリィけど、オレそろそろ風呂に行ってきてもいいか?」


 桜虎と吾妻を目で追いかけながら、火虎が申し訳なさそうな顔で杏咲に問いかける。その間に、十愛はちゃっかり杏咲の目の前に座ってドライヤー待ちをしている。


「あはは、うん。ここは任せて、火虎くんはお風呂に――」


 杏咲が答えていれば、突然、出入り口の障子戸が開かれた。来訪者の顔を見て、騒いでいた吾妻たちの動きもピタリと止まる。


「杏咲先生、声も掛けずにごめんね。……で、そこの二人は、今何時だと思ってるのかな?」


 眉を下げて杏咲に謝罪した透は、次いで吾妻と桜虎に視線を移した。その口許は、変わらず笑みを湛えているけれど――何だか、妙な圧を感じる、ような。


「そんなに乾かしてほしいなら、俺がしてあげるよ。さ、おいで」


 にっこり笑って桜虎と吾妻の手を握った透は、そのまま二人を連れて部屋を出て行く。


「いやや~!」と吾妻が助けを求める声が聞こえるが――苦い笑みを浮かべた杏咲は、ひらひらと手を振って返すしかできなかった。



 こんな風にして、夢見草の離れでの夜は、賑やかにも更けていくのである。



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