第四十二話
ほかの泥棒組を捜しに行った湯希と別れて、二人で牢屋場所である大広間に向かえば、そこにはすでに桜虎もいて、ぶすーっと不貞腐れている。
「桜虎もつかまっちゃったんだ」
「ケッ、透のやつ、まちぶせなんてひきょうなてつかいやがって……!」
どうやら透に捕まってしまったらしい。透は男らしくない、などと不満を漏らし続ける桜虎を窘めながら三人で話していれば、そこに誰かの足音が近づいてくるのが分かった。
「お~い、助けにきたぞ」
楽しそうに笑いながら走ってきたのは火虎だった。そしてその後ろには――警察である玲乙と透を引き連れている。
「ゲッ……! おい、うしろからおいかけられてんじゃねーか!」
「いやぁ、ちっと疲れたから、オレここで一旦一休みしてるわ。オマエら助けてやるから、無事に逃げ切れよ~」
そう言って一気に距離を詰めた火虎は、手前にいた桜虎と十愛の頭に手を置いた。そして杏咲にもその手を伸ばそうとしたのだが――。
「甘い」
その手が触れる前に透に捕まってしまい、杏咲の逃亡はあと少しのところで阻まれてしまった。
「あっちゃ~。ワリィな、逃がしてやれなくて」
火虎が申し訳なさそうな顔で杏咲に謝る。
「あはは、大丈夫だよ。逃げられたとしても、すぐに玲乙くんか透先生に捕まってただろうし……」
出入り口のところで待機していた玲乙に視線を向けて、杏咲は苦い笑みを浮かべた。ちなみに桜虎と十愛は玲乙がいる方とは反対の、台所に繋がる出入り口から上手いこと逃げられたようだ。
「十愛と桜虎には逃げられちゃったけど……あとは影勝さえ捕まえちゃえば、警察チームの勝ちは決まりかな?」
笑顔で挑発めいたことを言う透に、火虎はにやりと笑って言葉を返す。
「いやぁ、それはどうかな? 十愛はすばしっこいし、ウチの弟もあぁ見えて、案外賢いところがあるからな」
さっき吾妻に謝れたことを褒めていた時といい、火虎は桜虎のことをとても可愛がっているみたいだ。火虎くん、もしかしたら結構ブラコンなのかもしれないな、なんてことを杏咲は考える。
「それじゃあ、まずは桜虎たちを捕まえに行こうかな」
そう言って大広間を出て左手に進んでいった透と、反対の右手に進んでいった玲乙。二人が他の泥棒組を捜しに行ったため、大広間には杏咲と火虎だけになった。
こうなれば後は牢屋で大人しく待機しているしかないため、火虎はその場に座りこみ、ふあぁ、と大きな欠伸を漏らしている。杏咲も座って待っていようと腰を下ろしかけたが、廊下から微かに足音が聞こえてきたため体勢を戻した。
十愛や桜虎といった小さい子たちはもう少し大きな足音を立てて走ってくる気がするし――年長組の誰かだろうか?
そう考えた杏咲の予想は当たっていたようだ。
大広間にやってきたのは、影勝だった。
杏咲と火虎の姿を捉えるなり大きな舌打ちを一つ落として、眉間にぐっと皺を寄せている。
「チッ、何で年長のテメェらが捕まってんだよ」
「あ~、ワリィな」
「ったく、あとはちび共しかいねぇんだ。勝てるもんも勝てなくなるだろ。……さっさと立て」
確かに影勝を除けば、あとは桜虎と十愛という最年少コンビしか残っていない。警察側のメンバー構成を考えると、泥棒側が逃げ切れる可能性は低くなるかもしれない。
顰め面のまま火虎にタッチした影勝だったが――杏咲の方に顔を向けるや否や、何とも言えない渋い顔をして固まってしまった。
「どうした影勝、早くタッチしろよ」
「えぇっと……影勝くんは私にタッチするのが嫌なんだよね? それなら、エアタッチとかで……」
「えあタッチ?」
「ほんとには触れないで、空中でタッチしようってことなんだけど……どうかな?」
杏咲の提案に無言で頷いた影勝だったが、それを火虎が制止する。
「ズルはダメだぜ。決まりは守らないとな」
「……チッ」
舌打ちして火虎を睨みつける影勝だったが、「不正は透に報告するからな~」との返しにグッと言葉を詰まらせている。
先に助けてもらった火虎がタッチしてくれれば済む話なんじゃ――そう思った杏咲がそれを口にしようとするけれど、目が合った火虎に視線で止められてしまった。
どうやら火虎は、今の状況を完全に面白がっているようだ。
「ほら影勝、早くしないと透たちが来ちまうぞ」
火虎からの指摘にまた一つ舌を打った影勝は、酷くイヤそうな顔をしながらも、杏咲の肩にそっと手を伸ばす。
「そ、そんなバイキンに触れるみたいにしなくても……」
笑顔を浮かべながらも内心ではそこそこ傷ついていた杏咲だったが、人間嫌い女嫌いな影勝が自ら触れようとしてくれているのだし仕方ないか、とそのままじっと待っていれば……。
「やっと見つけた。さ~て、観念してもらおうかな」
現れたのは、ついさっき大広間を出て行ったばかりの透である。
じりじりと距離を詰めてくる透に影勝は慌てた様子で、足を縺れさせてバランスを崩してしまった。そのまま杏咲の方に倒れ込んでくる。
「……」
「……」
「……えぇっと。影勝くん、怪我はない?」
「……」
杏咲の問いかけに対して、影勝は無反応で固まっている。近づいてきていた透もその足を止めて、こちらを静観しているのが分かる。
今の杏咲たちの状況を簡単に説明すると――体勢を崩して倒れ込んだ影勝が、杏咲の上に馬乗りになるような形になっているのだ。しかもその顔面は、杏咲の胸元に見事に埋まっている。
「あぁ~‼ 影くんが、杏咲ちゃんにぎゅーってしとる‼」
何とも言えない気まずい沈黙が流れる空間に、場違いなほどの大声が響いた。離れに響き渡ったんじゃないかと思うくらいの大きさだ。
影勝は、その声にピクリと反応を示した。勢いよく起き上がったかと思えば――ギロリ。相手を射殺さんばかりの鋭い視線で、大声を出した人物を見つめている。
「吾妻……テメェ……」
「えっ、なんで影くんおこって……ひぇっ‼」
大声の主である吾妻は、今の状況を未だに理解できていないようだ。杏咲とハグしている影勝が羨ましいと思っただけなのに、何故影勝が怒っているのか分からない、といった表情をしている。
「か、影くん、なんでこっちに……影くんはどろぼーさんやから、にげるほうやで……?」
「……」
「い、いやや~‼」
腰の下まで伸びた長い三つ編みをゆらりと揺らしながら、無言で吾妻に近づいていく影勝。その表情は背後にいる杏咲たちからは確認できないが――吾妻の怯えようからして、鬼のような形相をしていることが分かる。
その頭部に生えた小さな角を視界にとらえた杏咲は、そういえば影勝くんは鬼の半妖だったけ、なんてことを、キョトンとした表情で考えていた。
そして、呆気に取られている杏咲と、溜息を吐き出した透と、笑いを堪えるようにしている火虎を残して――警察と泥棒の関係が入れ替わった鬼ごっこが始まったのだった。