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妖花街にて保育士をすることになりまして。  作者: 小花衣いろは
第六章 泥棒さんとお巡りさんと、新たな出逢い

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第三十七話



「まぁ給料の額を決めてはいるが、金銭面のことについちゃあ、俺は一切関わってないんだがな」

「そうなんですか?」

「あぁ。勘定が得意な奴がいてな、そいつに全部任せてるんだ」


 そう言った伊夜彦が目を向けた先――部屋の奥、隅の方で、一人卓上に向かう男性がいた。今の今までその存在に気づかなかった杏咲は、声にこそ出さなかったもののかなり驚いた。


 伊夜彦と杏咲からの視線に気づいた男性が、顔を上げる。薄緑の髪に、頭には白い獣耳。童顔な顔立ちだが、微笑むその表情や仕草からは落ち着きが感じられる。

 小さく頭を下げる男性に慌てて頭を下げて返した杏咲だったが、ふと、小さな違和感のようなものを覚えた。


 いつの間にか杏咲たちのそばまで近づいていた男性は、これまたいつの間に用意したのか、熱い茶を淹れて伊夜彦と杏咲の前に置いていく。


「どうぞ。熱いので、気をつけてくださいね」

「おぉ、今ちょうど茶が飲みたいと思っていたところだったんだ。草嗣(そうし)は気が利くな」

「ありがとうございます」


 微笑むその横顔を見て、杏咲はひと月ほど前のことを思い出した。


「……あっ、あの時の……」

「ん? 何だ、草嗣に会ったことがあるのか?」

「はい。此処に初めて来た日、声を掛けてくださったんです。……伊夜さんが、私のことを置いて行っちゃったので」

「あ~……そうだったな。ははっ、悪い悪い」


 杏咲からのじとりとした視線に気まずそうに視線を泳がせた伊夜彦だったが、すぐにからりとした笑顔を浮かべて謝罪の言葉を口にする。


 そして、そんな二人のやりとりを見ていた草嗣は、口許に手を当ててクスクス笑っている。


「ふふ、杏咲さんは伊夜さんと仲が良いんですね」

「あ、いえ……あの、その節は大変お世話になりました」

「いえいえ。改めまして、自己紹介をさせてください。私は草嗣といいます。伊夜さんの仕事を手伝ったり、時々店の方を手伝ったりもしています」

「そうなんですね。私のことは伊夜さんから聞いているかもしれませんけど……改めまして、双葉杏咲といいます。離れの方で住み込みで働かせてもらっています」

「はい、伊夜さんから話には聞いていました。何か困ったことがあったらいつでも声を掛けてくださいね。私にできることがあれば力になりますので」

「……はい。ありがとうございます」


 控えめに微笑むその相貌の美しさにほうっと息を漏らしそうになりながら、杏咲は礼を言って小さく頭を下げた。


「草嗣は有能でなぁ、本当に助かってるんだ。あぁ、それに透とは同時期に此処で働き始めたってのもあって、仲が良いんだ」

「透先生と?」


 きょとんとした表情の杏咲を見て、草嗣はまたクスリと笑いながら口を開く。


「ふふ。透、杏咲さんに先生って呼ばれてるんですね。私はあまり離れに行くことがないので、何だか不思議な感じがします」

「そうなんですか?」

「はい。透に用がないなら来るなって言われてるんです」


 透がそのようなことを言う姿が想像できなかった杏咲は、本当だろうかと少しだけ疑問に思ってしまったが、おかしそうに笑う伊夜彦が、それが事実であることを教えてくれる。


「働く姿を見られるのが気恥ずかしいんだろうよ。アイツ、子どもたちの前ではいつだって、えらく優しい顔をしてるからなぁ」

「はい、そうですね」


 草嗣もそれは分かっていたようで、また楽しそうに微笑んでいる。二人が本当に仲が良いのだろうことが、話す雰囲気から伝わってくる。

 今度透に話を聞いてみようと思いながら、話に区切りがついたタイミングで、杏咲はそっと腰を上げた。


「あの、そろそろ離れに戻りますね」

「あぁ。わざわざ来てもらって悪かったな」


 伊夜彦と草嗣に見送られて、杏咲は離れへと戻った。――今日のお昼当番は透先生だっけ。昼食まではまだ時間があるし、掃除でもしようかな。


 そんなことを考えながら歩いていれば、前方から柚留が歩いてくるのが見えた。杏咲に気づくと、その顔に喜色を浮かべて駆け寄ってくる。



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