第三十一話
「(柚留くんと影勝くん、無事に仲直りできたみたいでよかったなぁ)」
朝食時にはぎくしゃくしているように見えた二人だったが、先程会った時には普段通りの雰囲気に戻っていたので、杏咲はほっと胸を撫で下ろしていた。
――後で差し入れに、何か持っていってあげようかな。
そんなことを考えながら縁側に座り一息ついていれば、その背後から静かに近付く人影があった。
「すみません。隣、座ってもいいですか?」
気配もなく声を掛けられ、杏咲は小さく肩を跳ねさせる。バクバクと鼓動を打つ胸を抑えながら振り向けば、そこに居たのは玲乙だった。
「あの、驚かせてしまったみたいで……すみません」
「う、ううん。少しびっくりしただけだから……全然大丈夫だよ。隣、どうぞ」
「ありがとうございます」
一人分の間隔をあけて、玲乙は腰を下ろした。
考えてみれば――子どもたちの中で一番関わりが少ないのって、玲乙くんのような気がするなぁ。杏咲は此処で過ごした一か月間を振り返りながら思った。
何か用があって自分に声を掛けたのだろうと杏咲は考えたが、玲乙は黙ったままだ。晴れやかな青空を見上げてぼうっとしている。
杏咲も倣って空を見上げれば、鶯だろうか――春告鳥とも言われる緑っぽい色をした小さな鳥が、上空を飛んだ後、桜の木の枝に止まったのが見えた。
「……あの。一つ、聞いてもいいですか?」
「ん? 何かな?」
「あなたは……どうして此処で働こうと思ったんですか?」
唐突な問いかけに瞳を二、三度瞬き逡巡した杏咲だったが、問われた言葉の意味を理解して、ぽつりと呟いた。
「どうして、かぁ……。まぁ、成り行きみたいな部分もあるのかな。伊夜さんに声を掛けてもらって、ちょうど次の就職先を探していたところだったから……それじゃあ働かせてもらおうかなって思ったんだよね」
「そうなんですね。……でも、」
そこで言葉を句切った玲乙は、僅かに躊躇ったような様子を見せてから、閉じた口を再び開いた。
「此処で働いて……僕たちやこの世界が、怖いとは思わないんですか? だってあなたはただの人間で、力だってないのに……もう二度も、危険な目に遭っていますよね?」
「……どうして知ってるの?」
今玲乙は、“二度も”と言った。十愛と桜虎と共に妖に襲われた時のことは、他の子どもたちは知らないはずなのに……。
「それは……何となくです。あなたが初めて皆に挨拶をした時、十愛と桜虎の様子がおかしかったですし……前日の夜にこっそり抜け出したみたいだったので、何かあったんだろうなと思って」
「……そっか」
六歳児とは思えない洞察力に驚き感心していれば、玲乙は再度、杏咲に同じ質問をぶつけてきた。
「……どうしてですか? あなたは僕たちとは違うんです。此処に居たら危険な目に遭うって分かっているのに……どうして此処で働いているんですか?」
玲乙の切れ長の瞳が、真っ直ぐに杏咲へと突き刺さる。杏咲の生まれ住む人間界では中々見られない金色の瞳は、春の陽の光を受けて煌めいている。
杏咲はその美しさに、一瞬見惚れてしまった。
「……怖くないよ。――って言ったら、嘘になっちゃうかな。皆のことを怖いと思ったことはないけど……この世界のことは、やっぱりまだ、少しだけ怖いって思ってるよ」
「……それなら、どうして」
「怖いけど、でもね……それ以上に、知りたいって思うんだ。皆のこと、この世界のことを」
目を細めて笑いながら話す杏咲の答えに、玲乙は納得がいっていない様子だ。顔を顰めて、その意味を問おうとする。
「それってどういう…「お~い、透が林檎剥いたから食おうって呼んでるぞ」
玲乙の声に被さるようにして、火虎の大声が響き渡った。
廊下の角から顔を覗かせた火虎は、杏咲の存在には気付いていなかったようだ。二人の顔を交互に見て、気まずそうに苦笑いを浮かべている。
「……あれ、もしかして邪魔しちまったか?」
「……はぁ。別に、大丈夫だよ」
わざとらしく溜息を吐いた玲乙の肩をポンポンと叩きながら、火虎は「はは、悪かったって」と、からりと笑った。
「……双葉先生、行きましょう」
「あ、うん」
玲乙に声を掛けられて、杏咲も立ち上がった。
どうやらこの話は、これで終いということらしい。
「悪かったな、話の邪魔しちまって」
「ううん、大丈夫だよ。呼びにきてくれてありがとう」
火虎に謝罪され、杏咲は首をゆるりと横に振って返す。お礼を伝えれば、火虎は「おう」と嬉しそうに笑った。
そのまま三人一緒に大広間へと向かったのだが――玲乙は歩きながら先程の杏咲の言葉を思い出し、やはり不可解そうな、苦虫を噛み潰したような顔をしていたのだった。