第三十話
翌日。朝食を食べ終えて大広間を出た柚留は、影勝に話しかけられなかったと一人で落ち込んでいた。
いざ話しかけようとすると、臆病風が吹いて……無視されたらどうしよう、本当に嫌われていたらどうしようと――そんなマイナスなことばかり考えてしまい、話しかけることができなかったのだ。
柚留がとぼとぼと肩を落として歩いていれば、その背に、声を掛ける者がいた。
「……おい」
「……え、影勝!? ど、どうしたの?」
「……」
まさか影勝の方から声を掛けてくれるとは思っていなかったため、驚いた柚留は大きな声を出してしまった。
いつもの影勝なら「うるせぇ」と悪態の一つでも吐きそうなものだが……今は眉間に皺を寄せながらも、視線を斜め下に向けて、黙ったままだ。
「あ、あの……影か「昨日は……、悪かった」
柚留の言葉に被さるようにして、影勝は絞り出すように、小さな声を漏らした。
――えっ。今、影勝が……謝った……?
柚留は驚いた。これまで影勝と何度か喧嘩をしたこともあったが、どちらが悪いかに関わらず、基本的には柚留から謝ることがほとんどだったのだ。
「えっと、……ぼ、ぼくの方こそ、ごめんね。無神経なこと言っちゃって……」
「……別に。オマエがお節介なのはいつものことだろ」
一見冷たいようにも聞こえる言葉だが、幼い頃からの付き合いである柚留には、これが素直でない影勝なりの精一杯の謝罪の言葉なのだと言うことが、直ぐに分かった。
「……へへ。うん、そうだよね」
「……」
嬉しそうに笑う柚留の顔をちらりと見た影勝は、フイッと視線を逸らして歩き出す。
「あっ、影勝、どこ行くの?」
「……鍛錬場」
「ぼ、ぼくもついて行ってもいいかな?」
「……勝手にしろ」
「っ、うん!」
大きく頷いた柚留は、影勝の後を追いかける。二人で鍛錬場へと続く曲がり角までやってきた所で、ばったり杏咲と出くわした。
「っ、杏咲先生」
「ふふ。二人共、仲直りできたみたいだね」
「っ、はい! あの……ありがとうございました!」
「ううん、私は何にもしてないよ。でも……よかったね」
杏咲に頭を撫でられた柚留は、照れくさそうに頬を染めながら、はにかんでいる。
「今から鍛錬場に行くんだよね? 二人共、頑張ってね」
「は、はい!」
「……フン」
去っていく杏咲の背中を暫く目で追っていた柚留だったが、影勝に置いて行かれたことに気づくと、慌ててその足を動かした。
この時、まだ幼い柚留本人に自覚はないのだが――杏咲に対して、淡い恋心が芽生え始めていた。柚留にとっての初恋である。まだまだ小さな蕾ではあるが、それでも確かに……少しずつ、花開こうとしていた。