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妖花街にて保育士をすることになりまして。  作者: 小花衣いろは
第一章 おいでませ、妖花街
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第三話



「お客様、飲んでらっしゃいますか?」

「え、あ、はい。十分頂いています」

「そんなに固くならなくていいですから。楽しんでいってくださいね」


 にこりと愛想よく笑う店の男に微笑を返した杏咲は、男が皿を下げに厨房に引っ込んだのを確認してから小さく息を吐いた。手元にあるカシオレを一口飲んでから、恐る恐る顔を上げて周囲に視線を巡らす。


「やぁん、ちょっと~、どこ触ってるのよぉ」

「君があまりにも魅力的だから、つい。ごめんね?」

「ふふ、しょうがないから許してあげる~」


 右を見れば、従業員の男が客である女の肩を抱き寄せて、甘い言葉を囁いている。


「ねぇ~、この後空いてるんでしょ?」

「ああ、もちろん」

「じゃあ今夜は一緒に過ごせるのね。ふふ、嬉しいわ」

「僕も嬉しいよ」


 左を見れば、着物を肌蹴させた客の女が、従業員の男の首元に両腕を回して夜のお誘いをしている。


 ――あれ? 私、料亭に招待されたはずだよね? もしかして私……いつの間にかホストクラブにでも迷い込んじゃったのかな?


 大広間に充満する酒と香水の匂い。其処ら中で男女の秘め事を匂わせるような会話が為されている。

 そういうことに関してあまり耐性のない杏咲は、視線を下に向けたままちびちびとアルコールを口にする。そんな杏咲の頭上に、影が差した。


「お客様、如何なさいました? どこか具合でも悪いですか?」


 つい数分前にも声を掛けてくれた従業員の男だった。皿を下げてまた戻ってきたのだろう。心配そうに眉を下げて、杏咲の顔を覗き込んできた。顔を上げてみれば想像以上に距離が近かったため、杏咲は少しだけ身を引く。


 この料亭の従業員、今のところ男性の姿しか目にしていない杏咲であったが、何故か全員途轍もなく顔が整っていた。採用条件に容姿の整った人が含まれているのではないかと疑ってしまうくらいには、皆格好良いのだ。


 ――やはり此処はホストクラブなのかもしれない。


 杏咲は男の顔をじっと見つめながら、確信にも近い思いで頷いた。



「――少し所用を済ませてくるから此処で待っていてくれ」


 そう言って何処かに行ってしまったきり戻ってこない伊夜彦には、どういうことなのか、後できちんと説明してもらわなければならない。


「あの、お客様? 大丈夫ですか……?」


 肩をそっと叩かれたことで、揺蕩っていた意識が引き戻された。

 杏咲が具合が悪すぎて声も発せられないと思ったのだろう。目の前の男は「今空き部屋に布団を敷いてきますね」と大広間を出て行こうとする。


「あ、待ってください! あの、大丈夫ですから! すみません、少し酔っちゃったみたいで……。ちょっと涼んできてもいいですか?」

「はい、それはもちろん大丈夫ですが……御伴しましょうか?」

「えっ? いえいえ! 大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

「そう、ですか? では、何かありましたらすぐにお呼びくださいね」


 頭を下げてくれる男に再度お礼を伝えてから、杏咲はそっと大広間から抜け出した。



 ***


「はぁ、何か、疲れたなぁ……」


 縁側に腰掛けて、手入れの行き届いた美しい庭園を眺める。春の夜風は少し冷たいが、アルコールで火照った身体には心地良く感じる。


 ――そういえば、此処の従業員も猫耳のようなものを付けた人が何人かいたけど、一体何なのだろう。この町で今流行っているのだろうか。


 それについてもあとで伊夜彦に聞いてみようと思いながら、杏咲は庭園を見つめ、何をするでもなくぼうっとして過ごす。


「……、くしろよ!」

「……って、……」


 伊夜彦が戻ってくるまで此処で待っていようかな。

 微睡みかけた意識の中、そんなことを考えていた杏咲の鼓膜を揺らす声が届いた。声は段々と近くなってくる。


「はやく! みつかっちゃうだろ!」

「うっせーな! わかってるよ!」


 ――こども?


 建物の角から顔を覗かせたのは、二人の子どもだった。三歳くらいだろうか。


「げっ、おんなだ」


 黒髪の男の子は、杏咲の姿を視界に捉えた瞬間露骨に顔を歪めた。頭の上に付いた二つの黒い耳が、ピクピクと揺れている。


 お客さんの子どもだろうか。此処が本当に料亭ならまだしも、杏咲の予想通りホストクラブのような場所なのだとしたら――こんな所に子どもを連れてくるのは如何なものかと思う。

 それに、あの犬のような耳は何なのだろうか。大人だけでなく子どもにも付けられているなんて、やはりこの町で流行っているのだろうか。


 疑問が次から次へと溢れてくる杏咲だったが、子どもたちに聞いても仕方ないということは分かっているので、深く考えることを止めた。


「……えっと、こんばんは」


 警戒した様子でこちらを見つめてくる二人に向かって、杏咲は笑顔で声を掛ける。

 黒い獣耳が付いた男の子は杏咲の声に一歩身を引いて、更に警戒心を強めた様子だ。一方、もう一人の綺麗な黒髪をした女の子は、何か考え込むようにして顎の下に片手を添えている。


 ――数秒か、数十秒か。無言の時間が続く。


 黒い獣耳を付けた男の子が「おい、はやくいこうぜ」と女の子に声を掛ける。

 しかし、女の子は答えない。依然として何か考え込むように杏咲をじっと見つめていたかと思えば、その顔には愛らしい笑顔が咲いた。


「……ねぇ、おねえさん。ちょっとはなしたいことがあるんだけど、こっちにきてくれない?」

「はあ? おまえなにいって、」

「いいから!」


 女の子からのお願いに、杏咲は素直に頷いた。縁側下に置いてあった下駄を拝借して庭園に下り立つ。

 子どもたちから三歩程離れた距離で立ち止まり、目線に合せるようにしてその場に屈んだ。


「どうしたのかな?」

「……あのね。おれたち、ここの人たちにむりやりつれてこられたんだ」

「……え?」


 女の子からのまさかの言葉に、杏咲は思わず驚愕の声を漏らしてしまった。

 女の子は言葉を続ける。


「だからおれたち、おうちにかえりたくて……。おねえさん、たすけて?」


 涙を溜めて見上げてくる女の子の姿に、杏咲は胸が締め付けられるような思いになった。


 しかし、もし本当に連れ去られたのだとしたら……普通は手足を拘束されたり、逃げられないように部屋に閉じ込められたりするものだろう。しかし二人の手足を見ても拘束されたような跡は見られないし、衣服の乱れなど、誰かと争ったような形跡も見られない。


 ――正直、この子の話には信憑性がないのだ。


 しかし杏咲は、女の子の言葉を信じることにした。もし嘘なのだとしても、嘘を吐いてまでここから抜け出したい理由があるのだろう。

 もしここでそれは出来ないと言って断ったとしても、杏咲と別れた後、また二人だけで脱走を図る可能性だってある。だったら自分が付いて行って、二人が外での目的を達成した後、親御さんの元まで送り届けてあげようと思ったのだ。


 杏咲は思案した後、女の子の瞳を真っ直ぐに見つめ、安心させるように笑いかける。


「……うん、分かった。お姉さんが、君たちを無事にお家まで送り届けてあげるからね」

「わ~い! ありがとうおねえさん! おれうれしい!」


 満面の笑みで杏咲の胸元に飛び込んできた女の子。

 ……ん? 女の子?


「……あれ? 君、おれって言ったかな?」

「うん。おれ、おとこだよ。まあおれかわいいから、よくおんなのこにまちがえられるんだけどね」


 言われてみれば確かに――可愛い男の子にも見える。

 天使のように愛らしく整った顔立ちは、女の子と間違えられてしまうのも仕方のないことなのかもしれない。本人もそれを気にした様子は見られないし、間違えられることに慣れているのだろう。


「ケッ、さっさといくぞ」


 黙って事の成り行きを見守っていた男の子が、仏頂面でずんずんと進んでいく。


「あ、ちょっとまってよ桜虎。……あ、おれのなまえは十愛(とあ)。すうじのじゅうにあいってかいて十愛だよ」

「十愛くん」

「うん。で、あいつは桜虎(おうが)っていうんだ。さくらにとらってかいて桜虎」

「桜虎くんだね」


 杏咲に名前を呼ばれ、桜虎の獣耳がぴくりと揺れた。しかし特に返答することもなく、振り向くこともないまま足を進めていく。


「おねえさんのなまえは?」


 気付けば、十愛の小さな手は杏咲の掌をぎゅっと握り締めていた。かわいいなぁと頬を緩めた杏咲は、そのままの顔で返答する。


「私は双葉杏咲っていいます」

「じゃあ、あさおねえさんだね!」


 ――うっ、笑顔が眩しい。


 杏咲は十愛の愛らしい笑顔に胸を撃ち抜かれながら、ときめく胸を落ち着けるようにして小さく息を吐き出した。



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