第二十七話
「……そっ、そういえば! こんどおかあさんたちがくるとき、みんなではなみをするんだって。さっき、透がいってた」
「おはなみするん!? えぇっ、めっちゃたのしみや‼」
「お花見かぁ、いいね。でも、もう五月になるのに……桜、まだ咲いてるかな」
話を変えるようにして十愛が口にした初耳情報に、吾妻は両手を挙げて大喜びだ。
時期的に考えれば散ってしまっている可能性も高いのではないだろうかと杏咲は懸念したが、そんな心配は湯希の言葉で消え去った。
「……だいじょうぶ。ここのさくらは、長くさいてる……から」
「そうなの?」
「うん。……伊夜さんの、力……だと、思う」
「そっかぁ。伊夜さんって、やっぱり凄いんだね」
夢見草を取り囲むようにして咲き誇る、美しく立派な桜の木々を、杏咲は頭の中に思い浮かべた。桜は散ってしまうからこそ美しいとはよく言ったものだが……それでも、その美しさを少しでも長く楽しむことができるのは、単純に嬉しく思う。
子どもたちの笑顔を目にし、皆でのお花見に期待を膨らませながらも――杏咲は夕食時の出来事を思い出して、モヤモヤとしていた。
――柚留くん、大丈夫かな。ずいぶん沈んだ様子だったけど……。それに、影勝くんも……どうしてあそこまで、ご両親と会うのを嫌がっていたんだろう。
夕食後、すぐに私室に戻ってしまった影勝と柚留のことが、杏咲は気がかりだった。そんな杏咲の心情を読んだかのようなタイミングで、十愛が口を開く。
「……柚留は、おとうさんともおかあさんともなかがいいとおもうよ。まえにあったことあるけど、ふたりともやさしそうだったし。まぁ影勝は……あんまりなかよくなさそうだったけど」
十愛の言葉を聞いて、柚留の両親と出会った時のことを思い出したのであろう吾妻も、嬉しそうに話し始める。
「柚くんはなぁ、おかんがゆきおんなさんなんやって! めっちゃびじんさんやった!」
「雪女さん?」
「せやで!」
「うん。おとうさんがにんげんなんだって、まえに柚留がいってたよ。あ、でもそういえば……まえにおとうさんのことはなす柚留、なんか、ちょっとへんだったきがする」
「えぇ、せやった? 柚くん、おとんのことすきやってゆうてたよ?」
「それはそうだけど……なんか、おちこんだかお? してたきがする」
「……うん。おれも、十愛とおなじこと……思ってた」
湯希は、十愛の言葉に同意を示すように頷いた。
吾妻はそんな風には見えなかったと、不思議そうに首を傾げている。
「なぁなぁ、杏咲ちゃんはどうおもう? 柚くん、おとんのこときらいなんかな?」
「うーん、そうだねぇ……もし十愛くんたちが言うように、様子がおかしかったんだとしたら……もしかしたら柚留くん、お父さんとちょっぴり喧嘩しちゃってたのかもしれないね」
「けんか?」
「うん。でも柚留くんはとっても優しい子だから……喧嘩しちゃっても素直にごめんなさいだって言えるだろうし、そんな柚留くんのお父さんも、きっと優しい人なんだろうなって思うの。だから、大丈夫。きっとすぐに仲直りできるんじゃないかな」
「……せやなぁ。柚くん、やさしいもんな。もしけんかしてたんなら、はよなかなおりできたらええなぁ」
どこか寂しそうに眉を下げている吾妻の頭を撫でながら、杏咲は微笑んだ。
「……うん、そうだね」
――柚留と、それに影勝も。もしかしたら複雑な家庭環境で育ったのかもしれないな、と。
そんな考えが、脳裏を過った。
他人から見聞きしたものや目に映るものだけがすべてとは、限らない。家庭内の事なんて尚更だ。そこにある家族の形は様々で、他人がそれを完全に理解するなんて、とても難しいことだろう。
けれど、それでも――子どもを預かり保育する立場として、杏咲は知る必要があるのだ。
子どもだけでなく保護者に対しても勿論、抱えている問題があるなら解決策を共に考えて、寄り添う。いち早く気づき手を差し伸べられる存在であるのが保育士なのだと、杏咲は思っている。――もう二度と、あんな思いはしたくない。後悔は、したくないから。
後で透に詳しい話を聞いてみようと思っていれば――視界の隅で、黒い耳をぴこぴこと揺らしながら、湯船から上がろうとしている桜虎の姿が映った。
そんな杏咲の視線を辿ったのだろう、湯希が「あ」と小さな声を漏らす。その声で、吾妻も桜虎が一人で上がろうとしていることに気づいたみたいだ。
「あぁっ、桜虎、なんでさきにあがろうとしてんのや!」
「はぁ? いつあがろうとオレさまのかってだろ! ……って、おい! くっつくんじゃね~よ‼」
吾妻が勢いよく桜虎に突進したせいで、湯は波打ち飛沫が上がる。
「っ、てんめぇ……なにすんだよ!」
「うわ~、桜虎がおこったぁ!」
「ちょっと、おふろばでさわがないでよね!」
「……うるさい」
怒る桜虎と、楽しそうに逃げる吾妻と、頬っぺたを膨らませて文句を言う十愛と、嫌そうな顔をしながら浴槽の端まで避難している湯希。
「……ふふ、あったかいなぁ」
杏咲もこっそり湯希の隣に移動しながら、賑やかな光景に口許をほころばせたのだった。