第二十二話
洞窟から麓までの距離はそこまで離れていなかったようで、山道を十分ほど下り歩いたところで、元居た場所まで戻ってくることができた。
先ほどまで見ていた色鮮やかな花々が視界に映り込んだところで、杏咲はようやく肩の力を抜くことができたのだ。
「あっ、杏咲ちゃんたちがかえってきたで!」
耳に届いた大きな声に杏咲が顔を上げようとすれば、同時に腰元に感じる温もりと、軽い衝撃。それを受け止めて、黒と金の髪にそっと手を伸ばす。
「吾妻くん、心配かけてごめんね」
「っ、杏咲ちゃん、どっかけがとかしてへん?」
「うん、どこも怪我してないよ。……心配してくれてありがとう」
杏咲の笑顔を見て泣きそうな顔から一変、安心した様子で笑った吾妻は、杏咲の後ろにいた桜虎たちにも順に目を向ける。
「桜虎も柚留も、へいきなん? ふたりともけがとかしてへん?」
「うん、大丈夫だよ」
「ケッ、オレさまがけがなんてするわけねーだろ」
「ほんまに? ……ならよかったわ!」
「うぉっ! てめっ……、だきつくんじゃねーよ! はなしやがれ!」
「いやや~!」
二人の無事も確認した吾妻は、安堵感からか、一番近くに居た桜虎目掛けて飛びかかった。勢いに耐え切れず尻餅をついた桜虎は、声を荒げて吾妻を押し返そうとしているが、吾妻はそれに必死に抗っている。
杏咲からしたら、可愛い二人が仲睦まじくじゃれ合っているようにしか見えなくて、ほのぼのしてしまうのだが……それを素直でない桜虎に言ってしまえば、「はぁ!? べつになかよくなんてねーよ! つーか、オレさまはかわいくねぇ!」と怒られてしまうことは確実だろう。
「まったくもう、ふたりしてなにやってんのさ」
「……いつものこと」
「あ、十愛くん、湯希くん」
「……あんたは、ほんとうにだいじょうぶなの?」
「うん、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう、十愛くん」
「……もしいたいところがある、なら……透に、言ったほうがいい」
「うん、湯希くんもありがとう。でも、本当に大丈夫だから」
吾妻に続いてやってきた十愛と湯希にも心配された杏咲は、胸がほっこり温かくなるのを感じながら、心配してくれたことに対してお礼を言って二人の頭を順に撫でた。
ちなみに、残りの二人が何処にいるのかといえば――影勝は少し離れたところで我関せずといった雰囲気で大木に寄りかかっているし、玲乙は吾妻の話し声から杏咲たちの無事を早々に確認していたようで、離れた所で静かに佇んでいる。傍から見たら子どもらしくないというか……何ともクールな二人である。
十愛と湯希と吾妻と桜虎、年少組四人の談笑する姿を眺めていれば、いつの間にか杏咲の隣にやってきていたのは透だった。杏咲が視線を持ち上げれば、ぱちりと視線が交錯する。
「杏咲先生、ごめんね。まさかこんな所に子どもたちを狙う妖が潜んでいたなんて……俺の考えが甘かったよ。……また怖い思い、させちゃったね」
「えっ、いえ、そんな……! あの、私は全然平気ですから、顔を上げてください……!」
頭を下げる透にぎょっとした杏咲は、慌てて顔を上げるよう促した。杏咲の必死な声を聞いて渋々顔を上げる透だったが、その表情は依然として強張ったままだ。
「その……正直に言えば、少しだけ怖かったです。けど、誰も怪我もしていませんし、こうして無事に帰ってこられたわけですし、終わり良ければ総て良しといいますか……!」
透の硬い表情を少しでもやわらげたくて、杏咲は思いつく言葉を並びたてていく。
そんな杏咲を飴色の瞳でじっと見つめていた透は、真一文字に閉じていた薄い唇を、静かに震わせた。
「……ねぇ、杏咲先生」
「はい。何ですか?」
「俺、行きの花車の中で言ったよね? 襲われることなんて滅多にないって。この刀も、念のために持っているだけだって」
「……? はい」
「あの言葉に嘘はないけど……でも、俺の思う“滅多にない”は、杏咲先生からしたら十分多く感じてしまうかもしれない。此処で働くっていうことは、今後もこんな風に危険な目に晒されることが、たくさんあると思うんだ」
透はこれまで何度も、それこそ数えきれないくらい妖に襲われたことがあるし、その度に子どもたちを守ってきた。幾度となく危険な目に遭ってきた。軽度とはいえ、怪我を負うことだって勿論あった。そんな日常が、当たり前のものになっていたのだ。
けれど、杏咲は違う。妖になんて縁のない、安全な場所で、平穏な生活を送ってきた杏咲からしてみたら――いくら無事だったとはいえ、今回妖に連れ去られたことで、早々に忘れれられるはずもない、恐ろしい思いを植え付けられたことに違いはないだろう。
「それでも杏咲先生は、此処で働き続けたいと思う? 子どもたちを守ることができる? ――あの子たちの側に居続ける覚悟が、ある?」
「……それ、は……」
先ほど妖と対峙した時のことを思い出した杏咲は、言葉に詰まってしまった。
返答に迷い、瞳を揺らした杏咲をじっと見据えていた透は、固く結んだ唇をふっと緩めると、小さく頭を振る。
「……なんてね。ごめん、意地悪言っちゃって」
「いえ、そんなことは……」
「でもね、今言ったことは全て事実だよ。この世界が怖いと、恐ろしいと思うのなら……深く関わる前に辞めた方がいい。それが君のためでもあるし……あの子たちのためにもなるだろうから」
一度心を許してしまった相手が離れていってしまうのは――優しく温かな思い出が増えればその分だけ、寂しく感じてしまうものだから。
「……よし、そろそろ戻ろうか」
いつもの柔らかな笑みを浮かべた透は、背を向けて歩き出す。
子どもたちに声を掛けるその横顔を遠目に見つめながら、透に言われた言葉を、その問いの答えを見つけようと、杏咲は今一度自分自身に問いかけてみたけれど――答えはまだ、見つかりそうになかった。