第百三十六話
「……双葉先生、ですか?」
「……えっと、はい。双葉杏咲、です」
――見知らぬ男の子は、何故か私のことを知っているみたいだ。……ううん、よく見てみれば、銀灰色の髪に、そこから生えた二つの獣耳に、恐ろしいほどに整っている綺麗な顔立ちは、私がよく知る妖狐の半妖の男の子に似ているような気もするんだけど……。
でも、私が知っている玲乙くんは、まだ小学校高学年くらいの年齢だったはずで。
だけど目の前にいる男の子……青年とも呼べそうな年頃の彼は、見た目だけで言えば高校生くらいの年齢だと推測できる。あれ? それじゃあ、目の前の男の子は一体……?
杏咲が困惑を顕わにしたまま固まっていれば、大きな声が鼓膜を震わせる。
「あ、杏咲ちゃん……!? っ、ほんまに杏咲ちゃんやんな!?」
縁側から裸足のまま飛び降りて駆け寄ってきたのは、パッと目を引く毛先の金色が眩しい、プリン頭の男の子だ。
そしてその後ろから、叫び声を聞いて駆けつけてきたらしい黒髪の子が現れる。杏咲の姿を目にすると、切れ長の藤色の瞳を見開いた。プリン頭の男の子に続いて縁側から飛び降りる。けれどプリン頭の子とは違って裸足のままではなく、軒下に置いてある下駄をきちんと履いている。
「杏咲ちゃん! あんなっ、おれ、苦手やったピーマンも食べれるようになったんやで! それにな、この前、一回だけひぃくんから一本取れたんや! ギリギリやったけどな。へへ、あ、そんでなっ…「ちょっと吾妻! 吾妻ばっかり喋りすぎ!」
黒髪の男の子が待ったをかければ、プリン頭の男の子はぷくりと頬を膨らませる。
「えぇ~、やって話したいこと、めっっちゃいっぱいあるんやもん!」
「そんなの、おれだってそうだよ! 吾妻ばっかりずるいでしょ! ねぇ杏咲?」
「う、うん。そうだね……?」
困惑したまま頷けば、そんな杏咲を見た黒髪の男の子はムッとした表情になって、プリン頭の男の子をジト目で見る。
「ほら、吾妻が一気に喋るから、杏咲がびっくりしてるじゃん!」
「そんなん言ったって、しゃあないやろ? ずっと楽しみにしてたんやから!」
「だから、それはおれだってそうなの!」
「そんじゃあ順番な! おれが一番で、十愛が二番目や!」
「はぁ? 何で吾妻が一番なのさ!」
言い合いを始めてしまった可愛らしい男の子二人を、半ば放心状態で見つめていれば、誰かの手がポンと肩に乗せられた。
「な? 何も変わってないだろう?」
その手の正体は、伊夜彦だった。
二人の言い合いを見ながら、からりと笑っているが……。
――っ、いやいや、変わらないどころか、変わり過ぎてませんか……!?
今、黒髪の男の子は、プリン頭の男の子を“吾妻”と呼んだ。そして黒髪の男の子は“十愛”と、そう呼ばれていた。つまり、この二人は……私よりも背丈が伸びてしまった、中学生くらいの見た目をしたこの男の子たちは……。
「……びっくりするどころの話じゃないですよ、透先生……」
手紙に書いてあった内容を思い出した杏咲は、ポツリと呟いた。
――子どもたちのあまりの急成長ぶりに、思考が追い付かない。
半妖の子どもたちの成長が、人間に比べてずっと早いとはいえ……いくら何でも、これは変わり過ぎだ。たった半年の間でここまでの成長を遂げているだなんて、杏咲は夢にも思わなかったのだ。
「双葉先生」
軽い現実逃避をしていた杏咲に、また別の声が掛けられる。ゆっくりと顔を上げれば、縁側から降りてきた銀灰色の髪をした男の子――玲乙が、目の前に立っていた。
半年前は杏咲とそこまで背丈も変わらなかったはずなのに、今では見上げなければならないほどに背が伸びている。
「……玲乙くん、なんだよね?」
「はい。……驚きましたか?」
「お、驚いたっていうか……うん、そうだね。驚いてるよ。まさか皆がこんなにお兄さんになってるだなんて、思ってなかったから」
杏咲が正直な感想を吐露すれば、玲乙はクスリと、小さく笑う。
「そうですよね。双葉先生がいない半年間は、今思えばあっという間でした。でも、心にぽっかり穴が開いてしまったような……そんな気持ちで、ずっと過ごしていました」
まさか玲乙からそんな言葉が出てくるとは思わず、杏咲は驚く。
――要するに玲乙は、杏咲が居なくて寂しかったと、そう言ってくれているのだ。
「僕は貴女に、ずっと謝りたかった。それに……双葉先生に話したいことが、たくさんあるんです。でも今は……貴女とこうしてまた会えたことが、ただただ、凄く嬉しいです」
「玲乙くん……」
「帰ってきてくれて、ありがとうございます」
玲乙はひどく柔らかな笑みを浮かべて、杏咲の目を真っ直ぐに見つめる。
杏咲もまた、金色の瞳に捕らえられたかのように、そのまなざしを逸らすことなく受け止めた。――吸い込まれてしまいそうなほどに、綺麗な瞳だ。
杏咲は暫しその表情に見惚れていたが、また新たな声が現れたことで、たおやかな静寂はかき消された。