第百二十二話
「……玲乙くん?」
杏咲が後ろを向けば、焦点の合っていない虚ろな目をした玲乙が、肩で息をしながら震えている。
「ねぇ杏咲。玲乙くん、何だか変だよ……!」
十愛も玲乙のただならぬ様子に気づいたようで、恐々と声を震わせる。
「……っ、全部、思い出した。あいつが僕を……!」
ゆらりと顔を持ち上げた玲乙の瞳に宿るのは――強い、憎しみの色だった。
それを間近で目にした杏咲と十愛が息を呑んでいれば、玲乙は静かに立ち上がる。次の瞬間、玲乙の周りに青い狐火が何個も浮かび上がった。玲乙自身が妖術で作り出したものだ。
「な、何ですか、これは……」
突然の玲乙の変わりように、草嗣も動揺し狼狽えていることが分かる。宙で揺らめく狐火はその勢いを増し、轟々と音を立てて大きくなっていく。牢の中は、そこら中が青い炎でいっぱいになった。そんな狐火を目にした草嗣は、何かに気づいた様子でハッとした顔をする。
「そういえば……思い出しました。君はこの地下牢に、幽閉されていた時期がありましたよね」
「ゆ、幽閉って……どういうことですか?」
「そのままの意味です。彼はこの地下牢で過ごしていたことがあるんですよ。……きっと、その時のことを思い出したんでしょう」
その言葉で、杏咲も思い出した。――本殿で忍者ごっこをした時、何故か玲乙が、地下に続く隠し部屋があることを知っていたことや、何かしら玲乙の事情を知っていそうな火虎が、ひどく寂しそうな顔をしていたことを。
「っ、はぁ、はぁ……」
玲乙は荒い息を吐き出しながら、苦しそうに顔を歪めている。
一刻も早く玲乙をこの場から連れ出すべきだと考えた杏咲は、語気を強めて草嗣に反発する。
「っ、子どもたちまで巻き込んで、こんなことをして……草嗣さんは何がしたいんですか!? こんなことしても、伊夜さんは喜ばないと思います……!」
杏咲の口から飛び出た伊夜彦の名前を耳にした草子は、一瞬ぐっと言葉を詰まらせたが、直ぐに口を開いた。――自分の行いは正しいのだと、全て伊夜彦のためになるのだと、自分自身にも言い聞かせるようにして。
「いいえ、いいえ、違います。私は伊夜さんのためを思ってしているんです。……あの時だってそうでした。人間の女に誑かされて、伊夜さんは帰ってこなかった。また、そんなことになったら……あの方が傷つくようなことがあったら、私は……」
俯いていた草嗣は、ゆらりと顔を上げた。真っ直ぐに杏咲を見つめるまなざしは憎悪の色を宿していて、暗闇の中で炯々と光っているように見える。
その闇に気圧された杏咲が一歩後退りそうになれば、背後に居たはずの玲乙が、杏咲の前に歩み出てくる。
「お前も、あいつの仲間なんだろう。まずは、お前から……」
玲乙が何に対して、誰に対してここまで怒りを顕わにしているのかは分からないが、何故かその憎悪の矛先を、草嗣に向けようとしているようだ。
憎しみのこもったまなざしで、玲乙が草嗣を鋭く見据える。宙を揺蕩っていた青い狐火がふわりと動き出した――その時。
「杏咲先生! 十愛、玲乙‼ 皆無事!?」
薄暗い室内に、眩い明かりが差した。