第百十七話
「ふぅ、びっくりしたぁ……」
「まさか天井が落ちてくるなんて……凄い威力だったね」
瓦礫の下から顔を出したのは、五体満足な姿の杏咲だった。その傍には、桜虎の対戦相手であった白髪の男性もいる。
「アンタ、無事だったのか……っ、はぁ、良かった……」
固まっていた火虎は、杏咲の無事を確認すると、ひどくほっとした様子で安堵の息を漏らした。
「うん、この人が咄嗟に庇ってくれたから。あの、ありがとうございました……って、あれ? あの、何処かでお会いしたこと、ありますよね……?」
「うん。この前は、面の修繕依頼をありがとうございました」
その言葉で、杏咲の脳裏に記憶がよみがえってくる。以前湯希の大切なお面を壊してしまった際、玲乙と一緒に修繕をお願いした店の店主だ。
「あっ、あの時の……!」
「うん。まさかこんな所で会えるなんて思ってなかったから驚いたよ。……あの子も落ち着いたみたいだね」
白髪の男性は、髪色と同じく雪のように真っ白な色をした瞳を、杏咲から桜虎へと移した。
「っ、オレ……」
掌を握りしめて俯く桜虎の耳元には、封じのイヤリングが付けられている。杏咲に押し出されて場外へと転がってきた桜虎を受け止めた火虎が、地面に落ちていたイヤリングを拾い上げ、間髪入れずに付けたのだ。
「……ねぇ、桜虎くん」
杏咲は桜虎の目の前まで歩み寄ると、目線を合わせるように腰を屈める。
「ほら、人も案外丈夫な生き物だってわかったでしょ?」
杏咲がブイサインを作ってニコリと笑えば、桜虎は呆気にとられたような顔をする。
――怒られると思っていたから。まさか笑顔を向けられるなんて、思っていなかったのだ。
「焦る必要なんてないんだよ。だって……桜虎くんは火虎くんにはなれないし、火虎くんだって桜虎くんにはなれないんだから。桜虎くんは桜虎くんのペースで、強くなっていけばいいんだよ」
優しい顔で頭を撫でてくれる杏咲に、桜虎は堪らずその胸に飛びこんだ。
「っ、杏咲、ごめん……!」
「ううん。桜虎くんに怪我がなくてよかったよ」
あやすように背中をポンポンと撫でてやれば、桜虎は抱きつく手に力を込める。少し苦しいくらいだったが、杏咲は黙ってその抱擁を受け入れる。
「……やっぱり、アンタはすげぇよ」
歩み寄ってきた火虎は杏咲たちの隣に屈み込むと、杏咲の頬に付いた泥を自身の袖で優しく拭った。
「ここ、傷になっちまったな。……ワリィ、守ってやれなくて」
杏咲の左頬に薄っすら血が滲んでいることに気づいて落ち込んでいる火虎に、杏咲はブンブンと首を横に振る。
「こんなの掠り傷だし、全然大丈夫だよ。それに私、そんなに柔じゃないからね!」
「……ハハッ、そうだな。アンタは……杏咲は、オレらなんかよりずっと強いよ」
桜虎と同じように、火虎もまた、人間は弱くて脆い生き物だと、そう思っていた。
だからといって、人間に対して特に何かしらの負の感情を抱いているわけでもなかった。しかし、父親が何故人間の女性と契りを結んだのか……それだけは理解ができず、幼い頃から不思議に思っていたことも事実だった。
けれど、妖怪も半妖も人間も、大して変わらないのかもしれない。
強さは、その生まれで決まるものじゃない。強さは思いだ。強くなりたい理由があれば、守りたいと思える存在があれば――きっと誰でも、どこまでも強くなれる。火虎はそう思った。
家族に、護衛すべき妖や神々たち。――守るべきものがたくさんある父も、そうして強くなっていったのではないだろうか、と。
「……オレは、これからもっと強くなる。いつか兄ちゃんよりも強くなってやる! だから杏咲は……これからもオレさまの側にいろよ! そしたら、仕方ねぇから守ってやる!」
「うん、ありがとう。すっごく頼もしいよ」
「そんじゃあオレも、桜虎に追い越されねーように、もっと強くならないとな」
「なっ、兄ちゃんはこれ以上強くならなくてもいいだろ!」
「ハハッ、いやーまだまだ。オレの限界はこんなもんじゃねーからな。……だから杏咲は、オレのこともよ~く見といてくれよ」
「ふふっ。うん、もちろん!」
久しぶりに顔を見合わせた火虎と桜虎は、屈託のないすっきりした表情で笑い合う。そして、兄弟そろって似たようなことを考えていた。
自分たちよりずっと強くて、ずっと弱い杏咲のことを守れるくらい、もっと強くなりたいと。
――改めて、心に誓うことになったのだった。