第百十三話
「桜虎くん、此処にいたんだね」
「……」
「お父さん、そろそろ帰っちゃうと思うけど……最後に顔を合わせなくていいの?」
「……いい。どうせ父ちゃんだって、弱ぇオレさまの顔なんて見たくねーだろ」
いつもの自信に満ちた桜虎は何処へやら。完全にしょげているらしく、その声音からは全く覇気が感じられない。
「兄ちゃんは……オレとはちげーんだよ」
桜虎の口からポロリと零れ落ちた言葉は、火虎と比べて自分自身を卑下した弱音だった。
杏咲は桜虎の隣に屈みこんで、話を聞く体制になる。
「違うって、何が違うの?」
「兄ちゃんは……ニンゲンの血より、妖の血がいっぱい流れてるんだ」
「うん」
「杏咲のことは、別に嫌いじゃねーけど……でも、ニンゲンは弱ぇだろ。直ぐに死んじまう。俺にはその弱い血が、半分も流れてるんだ」
「でも、玲乙くんや影勝くんだってとっても強いし……流れている血なんて関係ないんじゃないかな?」
桜虎と火虎は、片親が違う。火虎の母親は烏天狗と人間の半妖だが、桜虎の母親は人間だ。
桜虎の母親は元々病弱だったらしく、桜虎が一歳になる前には亡くなっているらしい。
桜虎が人間を“弱い”とここまで断定した物言いをするのも、生まれた時から、病に臥せった母親の姿を側で見てきたからなのかもしれない。
「でも、いくら強くなったって……どうせ父ちゃんは、オレを認めてはくれねーよ。オレなんかよりすっと強くてカッコいい兄ちゃんに期待してるんだって……分かってるしな」
「桜虎くん……」
今桜虎が一番求めているのは、父親からの言葉だろう。けれど、杏咲には虎雷の気持ちは分からない。杏咲がいくら励ましても、言葉を取り繕ったところで――きっと桜虎の心には届かない。
杏咲は、肩を落として部屋に戻っていった桜虎を見送る。
そこに入れ替わるようにしてやってきたのは、火虎だった。
「火虎くん」
「ワリィな、桜虎の相手してもらって」
眉を下げて笑っている火虎は、どうやら二人の会話を聞いていたらしい。
「お父さんはもう帰られたの?」
「あぁ、ついさっきな。……ワリィな、オヤジが嫌な態度取ってさ」
「ううん、お父さんは間違ったことは言ってないから」
火虎はその場に屈んだかと思えば、地面をジッと見つめている。
杏咲も倣って火虎の隣にしゃがんでみれば、さっき桜虎が描いていたのだろう、一人の男の子が敵をやっつけているような絵が描かれていることに気づいた。
「オヤジは厳しい妖だし、言葉数も少ないけど……桜虎のことだってちゃんと見てて、期待してるんだよ。でもオレがそれを言っても、桜虎は信じてくんねーからさ」
「……うん」
「桜虎はさ、オヤジの言う通り、まだ力の制御ができねーから……力が暴発しないように、封じのイヤリングをしてるんだ。でもそれを制御できるようになったら、オレなんかよりもずっと強くなると思うんだよ。それこそ、出雲に行くのはオレより桜虎の方が適任だって思ってるしさ」
「火虎くんだって十分に強くて適任だと思うけど……火虎くんは、お父さんと一緒に出雲に行くの、あんまり嬉しくないの?」
「……いや、嬉しいよ。オレも小さい頃からオヤジにはずっと憧れてたし、将来は護衛部隊に入りたくて、毎日鍛錬してるからな」
杏咲は、火虎が竹刀や錫杖を振っている姿を思い出す。
わざとおちゃらけたような態度をとることも多い火虎だが、鍛錬の時にはいつだって真剣で、透に課せられた辛い稽古も投げ出さずに取り組んでいることを知っていた。
「でもさ、やっぱりオレはまだまだ半人前だって思うから……透からも全然一本とれないしな! それに……桜虎を残していくのが心苦しいって気持ちもあるんだ」
空気を明るくしようと茶化すような声を出す火虎だったが、杏咲からの心配そうなまなざしに気づくと、最後にポロリと本音を漏らした。
「だからまぁ、少し考える時間をもらってるんだ。三日後にもう一度来るから、その時までに付いてくるか決めておけって言われたよ」
立ち上がった火虎は両腕を持ち上げてグッと伸びをしながら、離れた縁側の方を見つめて目を眇めた。
杏咲も立ち上がってその視線の先を辿れば、吾妻や十愛に絡まれ、いつものように騒いでいる桜虎の姿が見える。
「オレはどっちかっつーと妖寄りだからなぁ。……だからあいつらみたいに、理解してやれねーのかもしれないな」
「え?」
最後の言葉は小さすぎて、杏咲の耳には届かなかったが――火虎はニカッと明るい笑みを広げると、杏咲のエプロンの裾に土が付いていることに気づいて払ってくれる。
「あ、ありがとう」
「そんじゃ、オレはいつも通り鍛錬場に行ってくるな」
「……うん。頑張ってね」
「おう! んじゃ、後でな」
片手をひらりと挙げた火虎は、鍛錬場へと駆けていく。その背中が見えなくなるまで見送った杏咲も、昼食の用意をするために台所へと足を向けたのだった。