第十二話
杏咲は透の説明を聞きながら、大広間、台所、厠、大浴場と各部屋を順番に回っていく。さすがに迷う心配はなさそうだが、離れの中は杏咲が思っていたよりずっと広かった。
「最後は此処。鍛錬場だよ」
「た、鍛錬場?」
「うん。まぁ鍛錬場兼、遊戯場みたいな場所なんだけど……ほら、伊夜さんが言ってたじゃない? 成長したら護衛としての任に就く半妖もいるってさ。その為に此処で身体を鍛えたりもできるんだよ。何人かは此処にいるんじゃないかな」
透の言う通り、確かに扉の向こうからは微かに話し声が聞こえてくる。
他の部屋とは造りが異なる木製の扉を、透がゆっくりと開いた。透に続き、杏咲も室内に足を踏み入れる。
「ん? 透も鍛錬しにきたのか?」
「違うよ。今杏咲先生に離れの中を案内していたところなんだ」
そこに居たのは五人。桜虎くんと、それから――透先生に声を掛けたお兄さんの火虎くんに、人間嫌いだという影勝くん、元気いっぱいの吾妻くんに、大人しそうな印象の湯希くんだ。
昨日教えてもらった名前を思い出して頭の中で照らし合わせた杏咲は、改めて室内に目を向ける。
天井は高く床は体育館のようなフローリングになっているが、奥の方の一面には畳が敷かれていて、隅の方にはボールや竹刀などが無造作に転がっている。
「なぁなぁ、杏咲ちゃん!」
手を引かれ視線を下ろせば、今にも零れ落ちそうなほど大きな丸い瞳が、杏咲をじっと見上げている。
「おれ、杏咲ちゃんといっしょにあそびたい! なぁ、ええやろ?」
瞳をキラキラと輝かせて杏咲の手を握るのは、吾妻だった。
「もちろん」と、そう答えようとした杏咲だったが、これから業務内容について透から教えてもらうことになっているのを思い出す。
「ごめんね、これから透先生と大事なお話があるんだ。だから、また後で一緒に遊ぼっか?」
「え~! おれはいまあそびたいんや!」
近くで様子を見ていた湯希は「でた、吾妻のわがまま……」と小さな声で呟く。
「うーん……まぁとりあえず案内は終わったし、説明は後でもいいかな。吾妻、昨日杏咲先生が帰った後、早く一緒に遊びたい~ってずっと騒いでたんだよ」
透が少しだけ困ったような、呆れたような顔で笑った。だけどそこからは、微笑ましげな、慈愛に満ちた優しい色が垣間見える。
「なぁなぁ透、おれこうえんいきたい! 杏咲ちゃんといっしょにいってきてもええやろ?」
「え、公園に? ん~まぁいいけど……吾妻だけだとちょっと不安だな。湯希、一緒に行ってもらってもいい?」
「……別に、いいけど」
「……え、いいの? いつもなら面倒って嫌がりそうなのに、珍しい」
湯希がすんなり了承したことに、透は驚いた様子だ。
瞳を瞬かせながらも「それじゃあよろしくね」と湯希の頭を撫でた。
「杏咲先生。吾妻と湯希のこと、お願いしてもいいかな?」
「はい、もちろん」
「それじゃあ、帰ってきたら業務内容について説明するね。といっても、こんな風に子どもたちと遊んでもらったり、家事をしてもらうことが主な仕事になるとは思うんだけど」
杏咲と透が話す中、吾妻は待ちきれないといった様子だ。ソワソワと肩を揺らし、それを見ていた火虎に「ふはっ、少しは落ち着けって」と笑われている。
「なぁ、もうええやろ? 杏咲ちゃん湯希、はよいこ!」
左手で杏咲の手を、右手で湯希の手をぎゅっと握る吾妻。
杏咲が昨日も感じたことだが、吾妻はとても人懐こい性格のようだ。対する湯希は人見知りなのか、杏咲と目が合ってもすぐに逸らして俯いてしまう。
「桜虎、おみやげもってくるからいいこでまっとってな!」
「ケッ、んなのいらね~よ!」
悪態を吐く桜虎にも、吾妻はにこにこと嬉しそうに手を振っている。
その手を繋がれている湯希は、嫌そうに眉を顰めながらも、されるがままに一緒に腕を揺らしている。
「き~つけてな」
「いってらっしゃい」
ひらりと手を振る火虎と透に見送られ、三人は公園へと向かうため歩き出す。
鍛錬場を出る間際、最後に影勝の方へ視線を送った杏咲だったが――隅の方で一人竹刀を振る彼とは、結局最後まで視線が交わることはなかった。