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妖花街にて保育士をすることになりまして。  作者: 小花衣いろは
第十四章 自分にできることを
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第百九話



「えっと……その子は、どちら様でしょうか……?」


 杏咲たちの目の前で座りこんでいるのは、長い黒髪を垂らした、可愛らしい顔つきをした少女だった。


「紅葉だ」

「……紅葉先生?」


 伊夜彦の答えに、杏咲たちはまじまじと少女を見る。

 そう言われて見れば、確かに……艶やかな黒髪や赤く色づいた薄い唇、何よりその整った顔立ちは、杏咲たちが数日間過ごしてきた紅葉の面影が感じられる。

 その身体は十愛たちと同じくらいの大きさまで縮んでおり、小さな角が消えた頭上には、代わりに白い獣耳がピコピコと揺れている。


「上手く化けていたみたいだが……紅葉は鬼の妖ではなく、狐の妖なんだ。因みに、実年齢は火虎たちと同じだな」


 初めから事情を知っていたらしい伊夜彦が、落ち着いた声音で説明する。


「で、でも、どうしてまだ幼い女の子を、実習生として受け入れたんですか……?」


 今の口ぶりから察するに、伊夜彦は紅葉の実年齢も知った上で実習生として受け入れたのだろうということが分かる。


「……伊夜さん、きちんと説明してくれるよね?」


 杏咲と同じく、事情を何も聞かされていなかったらしい透は、にっこりと黒い笑みを浮かべて伊夜彦に詰め寄る。


「あぁ、分かった分かった! きちんと説明するから落ち着け!」


 伊夜彦は両掌を前に出して一歩後退りながら、透を宥めようとする。

 透が渋々黒い笑みを引っ込めて落ち着いたのを確認すると、伊夜彦はコホンと咳払いをして、紅葉を実習生として受け入れた訳を説明し始めた。


「紅葉はまだ幼いが、薬学に精通していてな。薬を煎じるのが、そこらの薬師にも引けを取らないほどに上手いんだ。だからウチでも、よく薬を煎じてもらっていたんだが……」


 そこで言葉を切った伊夜彦は、眉を下げて困り顔になる。


「急に文が届いたかと思えば、此処の離れのことを風の噂で聞いて、保育士というものに興味があると言われてな。実習生として受け入れてくれなければ、今後一切薬は提供しないって言われちまったんだよ」

「成程。それで泣く泣く受け入れたんだね」

「まぁそれに……紅葉は実年齢よりもずっと大人びているし、成人に姿を変えているとはいえ、同年齢の子らと関わる良い機会にもなるかと思ったんだが……」


 話を聞いていると、伊夜彦なりに紅葉に対して思うところがあって、今回の受け入れを決めたようだ。

 伊夜彦は座りこんだままの紅葉に目を向けて、やはり困ったような微笑を浮かべる。


「……まさか、こんなことになるなんてなぁ」


 そうぼやいた伊夜彦は、小さく溜息を漏らした。


「あの、それじゃあ、さっきまで私がいた場所って……」

「あぁ。つまり杏咲は、紅葉に化かされていたのさ。杏咲が山の中だと思っていた場所は、紅葉が作り出した、幻術の世界だったってわけだ」


 杏咲が山中だと思っていた場所は、幻術の世界――つまり、昨日、伊夜彦に連れていってもらった場所と同じような原理で作られた世界なのだろう。


「化かすのは、妖狐の得意技ですからね」


 伊夜彦に続いて玲乙が言う。玲乙も妖狐であるため、もしかしたら同じような幻術が使えるのかもしれない。


「にしても……紅葉。これはちっとお痛が過ぎたんじゃないのか?」


 目の前で屈みこんだ伊夜彦に諭すような声音で詰められた紅葉は、グッと下唇を噛みしめる。


「わっ……私、悪くないもん!」


 身体の退行と同時に、その言葉遣いも幼さを感じるものになってしまったようだ。紅葉はプイッと顔を逸らして、拗ねた子どものような態度で耳を塞ごうとする。


「ちょっと揶揄おうと思っただけじゃない! それに私……嫌だからね! まだ帰らないからね! まだ勝負の途中なんだから……!」

「勝負? ……何のことだ?」


 勝負のことは杏咲と紅葉しか知らないため、伊夜彦は首を傾げている。


「紅葉先生、そのことなんですが……ごめんなさい。その勝負、やっぱり辞退させてもらえませんか?」


 杏咲は伊夜彦と同じように屈みこむと、紅葉に勝負の辞退を申し出る。

 話の筋が見えない子どもたちや透は、何の話だと首を傾げているが――紅葉とそこそこ付き合いのある伊夜彦は、紅葉の方から何かけしかけたのだろうと、何となく察しがついたらしい。二人の側で、黙って事の成り行きを見守っている。


「それじゃあ……杏咲先生の負けでいいのね? このまま此処を出ていくのね?」


 紅葉の問い詰めるような言葉に反応したのは、子どもたちだった。


「先生、どこかに行っちゃうの……?」


 杏咲の一番近くにいた湯希が、不安そうな顔で杏咲を見つめて尋ねる。


「……ううん。私は何処にも行かないよ」


 杏咲は湯希の目を見つめ返して笑顔でそう伝えると、もう一度紅葉に向き合う。


「辞退はしますが、此処を出ていく気はありません。ごめんなさい」

「っ、そんなの……ルール違反ですよ」

「……紅葉先生の言う通り、私は弱いです。私以上に此処で働くのに適した人なんて、たくさんいると思います」

「……分かってるんじゃないですか。それなら…「だけど! だけど私……思うんです。人は、自分ではない誰かのために頑張れる生き物なんだって。守りたいと思える存在がいるからこそ、強くなれるんだって。だから私はこの場所で……この子たちと一緒に、強くなります。今は弱くても、頼りなくても、情けなくたって――私は私に出来ることを探して、それを精一杯頑張りたいんです」


 杏咲の真っ直ぐな瞳に射抜かれた紅葉は、何か思うところがあったのか、ハッとしたような表情で口を噤んだ。


「私、紅葉先生にも認めてもらえるように頑張ります。だから……此処で働き続けることを、許してもらえませんか?」


 杏咲が頭を下げれば、その上に大きな掌が二つ、ポンと優しく乗せられる。


「そもそも俺は、杏咲が此処を辞めることを許可するつもりがないんだがなぁ」

「そうそう。というか、杏咲先生がいなくなったら俺も困るし……子ども達が大変なことになるからさ。皆で総出でお迎えに行くことになるんじゃないかな?」


 伊夜彦の言葉に続いて、透が揶揄い口調で続ければ、黙って話を聞いていた子どもたちがワッと集まってくる。


「せや! 杏咲ちゃんが迷子になっても、おれがお迎えに行ったるから、大丈夫やで!」

「って、今は迷子んなった時の話なんてしてねーだろ、バカ吾妻!」

「はは、桜虎は元気だなぁ」

「杏咲、勝手にいなくなったりしたら、おれ……絶対に許さないからね!」


 子どもたちに囲まれた杏咲の姿を目の当たりした紅葉は、悔しそうに声を詰まらせて俯いた。


「っ、……狡いのよ! 何で貴女ばっかり……私だってあの方に……!」

「……あの方?」


 紅葉が零した“あの方”とは誰のことなのだろうかと杏咲は首を傾げるが、その疑問は直ぐに解消されることとなった。



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