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妖花街にて保育士をすることになりまして。  作者: 小花衣いろは
第十四章 自分にできることを
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第百五話



「……参りました」


 竹刀を喉元に突き付けられた紅葉は手を下ろして、降参の言葉を口にした。その息は僅かに上がっていて、表情からは疲れが滲んで見える。

 次に透を見れば、あれだけ動いていたというのに一切呼吸が乱れていないうえに、汗一つかいていないようだ。


「紅葉先生、強いんだね。驚いちゃったよ」

「いえ……正直、自分の力を過信していました。透先生、本当にお強いんですね」

「あはは、ありがとう」


 二人のやりとりを見守っていた杏咲は、思わず感嘆の声を漏らした。


「二人共すごい……それに透先生って、こんなに強かったんだね」

「あぁ。透の剣の腕は、伊夜さんや護衛の連中も皆が認めてるからな」


 火虎が自分のことのように誇らし気に言う。


「ま、オレさまももっと強くなって、透なんてあっという間に超えちまうけどな!」


 腕を組み「ふふん」と胸を張っている桜虎は、勇んだ声で宣言するように言い放つ。しかし火虎に「その前にオレから一本でもとってみろよな」と痛いところを突かれてしまい、ぐぬぬ、と悔しそうな顔で唸っていた。


「あの、お疲れ様です」


 杏咲は用意しておいたタオルを二人に差し出した。まだ全く汗をかいていない透にはお礼の言葉と共に断られたので、紅葉に向き合う。


「あの、紅葉先生。よければこれ…「杏咲先生」


 差し出したタオルは受け取られることなく、杏咲は紅葉に手首を掴まれた。ガシリと効果音がつきそうなほどに力強く握られた手は熱く、その顔は真剣みを帯びている。


「お話したいことがあるんです。……二人っきりで」

「話、ですか?」

「えぇ。今夜、杏咲先生のお部屋にお邪魔しても大丈夫ですか?」

「は、はい。大丈夫ですよ」


 小声で告げられた言葉に、杏咲は内心で首を傾げながらも了承した。紅葉は「……ありがとうございます」と、唇だけで微笑んでいた。



 ***


 夜が降りてきて、空には満月が輝いている。


 お風呂から上がり、大広間で吾妻たちとのお喋りを楽しんできた杏咲は、一人私室に戻って、紅葉が訪ねてくるのを待っていた。

 此処で働き始めたばかりの頃は年少組の子どもたちと一緒にお風呂にも入っていたのだが、成長と同時に、ここ最近は共に湯に浸かることもなくなった。吾妻はいまだに杏咲を風呂に誘いにくるが、それは十愛や桜虎たちによって阻止されている。


「……杏咲先生、私です。入ってもよろしいですか?」

「はい、どうぞ」


 現れた紅葉は白の寝間着に身を包んでいて、長い黒髪はしっとりと濡れているように見える。お風呂から上がって、そのまま杏咲の部屋を訪れたのだろう。


「座ってください。今お茶を淹れるので…「いえ、直ぐに終わるので大丈夫です」


 紅葉は座布団の上に腰を落ち着けると、話を切り出す。


「単刀直入に言わせていただきますが……杏咲先生のような普通の人間が、何故此処で働いているんですか?」

「……え?」

「透先生は、同じ人間だというのに……あんなにも強かった。それなのに杏咲先生、貴女は――弱い。子どもたちはああ言っていましたが、やっぱり私は……弱い人間が此処に居る資格はないと思います。杏咲先生も、そう思いませんか?」


 紅葉は自分の言いたいことを淡々とした口調で一気に言いきると、返答を求めるまなざしで杏咲をジッと見据える。

 杏咲は、直ぐには言われたことが理解できずに呆然としていた。頭の中で言葉が固まるまで、少し時間がかかったが――今の自身の思いを、そのまま紅葉に伝える。


「紅葉先生の言う通り……確かに私は、弱いです。もし妖に襲われても、子どもたちを守る力は持っていません」

「そうですよね? それなら…「でも!」


 杏咲は言葉を続ける。


「でも……子どもたちが言ってくれたように、武力だけが全てじゃないと、私は思います。私は私のやり方で……子どもたちを支えて、守っていきたいと思っています」


 紅葉は言い返そうとしたが、杏咲の意志の強そうな真っ直ぐな瞳を見て、小さく嘆息した。


「……そこまで言うなら、分かりました」


 紅葉が、きっぱりとした声で言う。


「それなら杏咲先生。私と勝負しませんか?」

「……勝負?」

「はい。私と杏咲先生、どちらの考えが正しいか。それでもし、私が勝ったら……杏咲先生のその座、私に譲ってください」


 「もちろん、私が負けたら直ぐに此処を出ていきます」と言葉を付け足した紅葉は、勝気な笑みを杏咲に向ける。


「そんな、急に勝負だなんて言われても……」

「あら、もしかして自信がないんですか? まぁ、そうですよね。杏咲先生はこれといった特技も持っていそうにありませんし……貴女のような人に面倒を見てもらっているあの子達も、可哀そうに。だからあんなに我儘に育っているんじゃないかしら? 育てる人が人なら、その子もたかが知れてますよね」


 紅葉の言葉が、杏咲を挑発するために紡いでいるものだということは、直ぐに分かった。けれど、それを頭では理解できたとしても……胸を締め付ける悔しさは膨らみ、消えてはくれない。


「……確かに私は、紅葉先生の言う通り、これといった特技もありません。だけど子どもたちのことまで悪く言うのは、止めてください」

「あら、それなら杏咲先生が勝って、あの子達が出来損ないなんかじゃない、立派な半妖の子だって、私に証明してくださいよ」

「……分かりました。その勝負、受けます」


 紅葉はにんまりと笑って「決まりね」と呟く。


「あ、でもこのことは……子どもたちには内緒にしてください」

「別に構いませんけど……むしろいいんですか? 杏咲先生はあの子達から懐かれているみたいですし、味方になってもらった方がいいんじゃないんですか?」

「いえ。私たちがこんな風に言い争っている姿は……できれば、あの子達には見せたくないんです」

「……ま、別にいいですけど。それじゃあ勝負の内容を決めましょうか。勝負内容は……そうね。シンプルに、あの子達の役に立ち、そして好かれること、っていうのはどうですか?」


 紅葉の提案は分かりやすく、保育士としての座をかけて勝負するのなら、適している勝負内容のように思える。

 しかしこの勝負なら、子どもたちと付き合いの長い杏咲の方が圧倒的に有利になるだろう。それはもちろん紅葉も分かっているため、杏咲に一つの条件を提示する。


「でも、杏咲先生は私に比べて、あの子達とは長い付き合いですよね? 今の時点でも十分に好かれているでしょうし……なので、ハンデを貰ってもいいですか?」

「ハンデ、ですか?」

「えぇ。これから五日間は、子どもたちとの必要以上の会話はなるべく控えてください」

「それは……」

「別に全く会話をするなって言っているわけじゃないです。ただ、子どもたちと関わる時間を、私に譲ってくれって言ってるんですよ」


 紅葉はこれ以上長居する気はないようで、美しい所作で立ち上がった。


「期間は一週間でいいですよね? ……単純な子どもの心を掌握するなんて、簡単なことですし。最終日に、どちらの方が先生として優れているか……子どもたちの口から、直接教えてもらいましょう?」


 薄い唇をにやりと持ち上げた紅葉は、自分の言いたいことだけを一方的に言い放って立ち上がり、部屋を出ていってしまった。



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