甘やかし、甘やかされ (第十一章/後日の話)
「んー、どうしようかなぁ……」
縁側に座りこんでいる杏咲が、ポツリと独り言を漏らす。その声に反応したのは、偶然そばを通りかかった柚留だった。杏咲が悩ましげな表情をしていることに気づくと、同じように眉を下げて憂わしげな面持ちで声を掛ける。
「杏咲先生、何か悩み事ですか?」
「あ、柚留くん。実はね……お礼のプレゼントは何が良いかなって考えてたんだ」
「ぷれぜんと……ですか?」
「うん、そうなの。ほら、夏祭りの準備から当日の店番まで、男娼の皆さんがお手伝いしてくれたでしょう? たくさんお手伝いしてもらったし、何かお礼ができたらいいなって思うんだけど……何がいいか、全然思い浮かばなくて」
「なるほど、そうだったんですね」
杏咲が落ち込んだりしているわけではなかったことに柚留は内心で安堵の息を漏らしながら、杏咲の隣に腰を下ろした。プレゼントは何がいいか一緒に考えてくれるようで、うーんと頭を悩ませている。
「男娼の皆さんが普段使いできそうなものとか、ですかね?」
「そうだよね。あとはお菓子とか、食べられるものでもいいかなぁって思うんだけど……」
「うーん、悩みますね……。でも杏咲先生からの贈り物なら、どんなものでも皆さん喜んでくださると思います」
「ふふ、そうかな?」
お互いに案を出し合いながら、贈り物の候補を絞っていく。
「あの……いっそ直接聞いてみるのはどうですか? それなら確実に喜んでもらえるものを渡せると思いますし」
「そうだね……うん、それもいいかもしれないね」
柚留の提案に、杏咲は笑って頷いた。確かに不要なものを贈って気を遣わせてしまうよりは、確実に喜んでもらえるものを渡せるほうがいい。
ただ、男娼の皆と関わる中で、彼らがとても優しい半妖であるということを、杏咲はよく知っていた。だから直接聞いても「必要ない」とやんわり断られてしまいそうだなとも思う。……そうしたら、何かお菓子の詰め合わせでも買ってきて渡せばいいかな。
あとで透にも相談してみようと考えながら、杏咲は一緒に考えてくれた柚留にお礼を伝える。
「柚留くん、一緒に考えてくれてありがとう」
「いえ、少しでもお役に立てたならよかったです」
はにかむ柚留の白藍色の髪をそっと撫でれば、柚留は雪のように真っ白な頬を桃色に染める。雪女の半妖である柚留はいつも少しだけひんやりした空気を纏っているように感じるが、今はその肌にじんわりと熱を持っている。
他の子どもたちがいる前ではいつも控えめで、自己主張することのない柚留を甘やかしたいと思った杏咲は、柚留が嫌がっていないことを理由にして、そのまま柔らかな髪を撫で続ける。
数分後には吾妻たちがやってきて、その場は一気に賑やかさを増すことになるのだが――柚留は与えられる温もりにそっと瞼を下ろしながら、短くも穏やかな時間を享受していた。
***
今の時間帯ならまだ店は営業していないため、従業員は各自休んでいるところだろう。
透にも確認して男娼の皆に欲しいものを直接聞いてみることにした杏咲は、一人で本殿まで足を運んでいた。
「あれ? 杏咲ちゃん?」
長い廊下を歩いていれば背後から名前を呼ばれ、杏咲は足を止めて振り返る。運よく出くわしたのは、男娼の中でも特に話す機会の多い三人組だった。
彼らは以前本殿で忍者ごっこをしていた際、隠し扉の先で杏咲をもてなしてくれた男娼たちだ。
額に角が一本生えている山姥の半妖が、姥名さん。温和な雰囲気を纏っている優しいお兄さんだが、男娼ということだけあって女の子の扱いには長けており、初心な杏咲は度々揶揄われている。
白っぽい髪に浅黒い肌をしている彼は、蛇希さん。蛇帯という蛇のような妖の半妖らしく、漂う色気が凄まじい。長い舌が特徴的なお兄さんだ。
黄色のふわふわのくせっ毛に犬耳が生えているのが、犬神の半妖である狗骨さん。小柄で愛らしい顔つきだが、かなりの力持ちらしい。夏祭りの準備でも、荷物運びの際にはすごくお世話になった。
「皆さん、こんにちは」
「こんにちは。伊夜さんに会いにきたのかな?」
「いえ、今日は皆さんに会いにきたんです」
「俺たちに?」
キョトンとした顔で首をかしげた三人だったが、直ぐにその顔にニコリと眩い笑みを広げて、杏咲との距離を一気に縮める。
「嬉しいなぁ。もしかして逢引のお誘いにでもきてくれたのかな?」
「杏咲ちゃん、僕と一緒に遊ぼうよ!」
「いやいや、遊ぶならオレにしとかない? 杏咲ちゃんにとって忘れられない時間になることを約束するよ?」
姥名、狗骨、蛇希と順に迫られて、こういったことにてんで慣れていない杏咲はアワアワと分かりやすく慌てふためく。
「あ、あの、今日は皆さんに聞きたいことがあってきただけで……!」
必死に絞り出した声は、戸惑いや緊張を孕んで微かに震えている。その言葉にピタリと動きを止めた三人は、近づけていた端正な顔を離してクスクスと笑い始める。
「っ、ふふ、ごめんね。杏咲ちゃんは反応が初心で可愛いから、つい揶揄いたくなっちゃうんだよね」
姥名は謝罪の言葉を口にしてはいるが、その口許は依然として弧を描いているし、他の二人も楽しげな様子で笑い続けたままだ。
杏咲は分かりやすく顰め面をして怒っているオーラを醸し出しているが、その頬は薄っすら赤く染まっているので、あまり効果はなさそうだ。
「……あ、あの! 私、皆さんにお礼がしたいと思ってきたんです」
杏咲はこの半妖たちに口で勝つのは無理だと諦めて、また揶揄われてしまう前にと、用件を伝えるべく声を上げる。
「お礼?」
「はい。夏祭りの準備から当日の店番まですごくお世話になったので、何かお礼がしたくて。皆さん何か欲しいものとか、好きな食べ物なんかがあれば教えてもらえませんか?」
「そんな……お礼なんて別にいいよ」
「そうそう、俺たちも楽しかったしな」
「うん、離れの子たちと会う機会も中々ないし、いい気分転換にもなったよね」
「……そう、ですか?」
やっぱり断られてしまったなと、杏咲は困り顔になる。その表情に直ぐに気づいた蛇希は、「あっ」と何か閃いたように声を漏らした。
「それじゃあさ、今度杏咲ちゃんが店の手伝いにきてよ」
「え? 私がお店のお手伝いをするんですか? でも……」
此処“妖花街夢見草”は、お客さんのほとんどが女性である。美味しいお酒や料理に加えて、美しい男を求めて此処まで足を運んでいるはずだ。
その場に女であり、しかも人間である杏咲が従業員の立場でいれば、かえって迷惑になってしまうのではないだろうか。
しかし、そんな杏咲の懸念は直ぐに解消される。
「あはは、そんなに不安そうな顔をしなくても大丈夫だよ。杏咲ちゃんには基本的に、裏方の手伝いをお願いするからさ」
裏方の手伝いとは、片付けや皿洗いといった雑務のことだろう。確かにそれなら客と鉢合わせる心配もほとんどないだろうし、そういった雑務は杏咲の得意分野であるため力になれそうだ。
「私でお役に立てそうなら、ぜひお手伝いさせてください!」
「本当? いや~助かるよ」
「でもその前に、伊夜さんの許可をとらなくちゃならないけどね」
「あと透くんもね。あの二人って、杏咲ちゃんに対しては殊更に過保護だからなぁ。了承してくれるかどうか……」
三人は揃ってほろ苦い笑みを浮かべながらも、一様に杏咲を見てニコリと優しく笑う。
「……ま、過保護になっちゃう気持ちも分かるけどね」
「うん、だね」
「頑張ってる姿を見てると、な~んか甘やかしたくなるよな」
「ちょ、あのっ……?」
何故か三人同時に頭を撫でられて、杏咲は困惑する。頭上にハテナを浮かべながらも、三人に柔らかなまなざしを向けられて――恥ずかしいけど、こんな風に甘やかしてもらうのもたまには悪くないかな、なんて。
そう思った杏咲は、縮こまりながらも、大きくて温かな掌を大人しく受け入れたのだった。
そしてその後、三人とその場で別れて離れに戻った杏咲は、透と相談した末、結局お菓子の詰め合わせを贈ることにした。男娼たちは皆喜んで受け取ってくれたが、杏咲の手伝いの件については、男娼三人組によって秘密裏に話が進められていたようで……。
杏咲が夢見草で男娼たちの手伝いをすることになる、その“いつか”の日も――案外、すぐそばまで迫ってきているのかもしれない。