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おっこちた先は、(第九章/後日の話)



「誰か~! いませんか~!?」

「……」

「やっぱり、近くには誰もいないみたいだね……」

「……」

「どうしよう……」

「……」

「……きっと誰かが気づいて、捜しにきてくれるよね!」

「……」


 この空間には杏咲ともう一人、合わせて二人はいるはずなのだが、その会話が成立することはない。先ほどから、杏咲は一人で喋り続けていた。


 ――どうしてこんなことになっちゃったんだろう。


 杏咲は一メートルほど離れた場所で座りこんでいる影勝を横目に見てから、おもむろに頭上を見上げた。青い空に白い雲が揺蕩っている。気持ちのいい晴天だ。しかし杏咲の胸中には、不安という名の曇り空が広がっていた。


 杏咲と影勝は現在、深い穴の底にいた。要は落とし穴に落ちてしまったのだ。

 どうして離れの庭園に落とし穴が仕掛けられていたのか、それは分からないが、落とし穴が掘られていたのが庭園の奥まった場所であり、人目につきにくい所であるということが問題だった。


 つい十分ほど前。影勝の姿を見かけたら鍛錬場で待っていると伝えてほしいと、杏咲は火虎に頼まれていた。

 そして、庭園の奥まった隅の方で竹刀を振っていた影勝に気づき、杏咲は歩み寄ったのだ。――まさか行く先の足元に落とし穴が仕掛けられているだなんて、思いもしていなかったので。


「影勝くん、鍛錬中にごめんね。さっき火虎くんがっ、!」

「っ、」


 自分の数メートル先で落下する杏咲を目にした影勝は、咄嗟に駆けだし手を伸ばした。けれどその手が届くことはなく、二人は揃って落とし穴に落ちてしまったというわけだ。


「……」

「……」


 すでに十五分以上は経過しているだろうか。二人の間に会話はなく、静かな無言の時間が続いている。


「っ、くしゅんっ」


 くしゃみをした杏咲は自身の二の腕を擦りながら、小さく震える身体を縮こませた。

 雨を含んだ土に囲まれたこの薄暗くも狭い空間は、どこかひんやりしている。もう直ぐで七月に入るとはいえ、最近は天気が崩れることが多く、今朝方までは雨が降っていたのだ。杏咲はどうせ家事をして動けば暑くなるだろうからと、薄着のままでいたことを後悔していた。

 杏咲のくしゃみを耳にした影勝は、横目でジトリと杏咲を見据えた。影勝に無言で見つめられていることに気づいた杏咲は、空笑いを浮かべて口を開く。


「ごめんね、ちょっとだけ寒くて……。でも、もうそろそろお昼ご飯の時間だし、きっと透先生が気づいて捜しにきてくれると思うんだ」

「……」


 杏咲に声を掛けられても、影勝はやはり言葉を発することはなかったが――おもむろに自身の着物の上着を脱いで、杏咲に向かって投げ渡した。


「え? 影勝くん、これ……貸してくれるの?」

「……いらねぇなら置いとけ」

「……ううん。ありがとう、影勝くん」

「……」


 影勝はまたそっぽを向いて、黙り込んでしまった。

 杏咲は影勝の着物を肩に羽織った。こうして羽織ってみれば、袖の長さが思っていたよりも短いように感じる。大人びている影勝もまだ子どもなのだということを、杏咲は改めて肌で感じていた。


「おーい、杏咲先生! 影勝―!」

「あ、透先生の声……! はーい! 此処にいます!」


 耳に届いた透の叫び声に、立ち上がった杏咲は声を張り上げる。

 そして無事に見つけてもらえた二人は、空を飛ぶことのできる火虎の手を借りて、何とか穴から抜け出すことができたのだ。


 後から分かったことだが、杏咲と影勝が落ちたあの大きな穴は、酒に酔った酒呑童子が深夜に悪ふざけをして掘り出来たものだったようだ。

 透から話を聞いたところによれば、後日呼び出された酒呑童子は、笑顔でマジギレした伊夜彦に相当絞られたらしい。後日お詫びの品と称して、大量のお菓子の包みが贈られてきた。


 そして、全ての元凶が実の父親であることを知った影勝といえば――。


「あのクソオヤジ……ぜってぇ許さねぇ……」

「あはは……」


 斯くして、思わぬハプニングにより杏咲と影勝の距離がほんの僅かに縮まったと同時に――親子の溝は、酒呑童子の知らぬ間にますます深まってしまったのだった。



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