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妖花街にて保育士をすることになりまして。  作者: 小花衣いろは
第十三章 離れて、近づいて、もっと近づく。
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第九十七話



「――湯希くん、入ってもいいかな?」

「……」


 部屋の主からの返答はない。杏咲の隣で手を握っている吾妻は、不安げなまなざしで杏咲を見上げる。安心させるように笑みを返した杏咲が、もう一度声を掛けようとすれば――。


「……入って、いいよ」


 蚊の鳴くような小さな声で、了承の言葉が返ってくる。


「それじゃあ、入るね」

「……でも、先生だけ」

「うん、分かったよ。……吾妻くんは、大広間で待っててくれるかな?」

「……ん、わかった」


 吾妻は障子戸の向こうに一度だけ視線を送って、けれど杏咲の微笑む表情を見て繋いでいた手をそっと離し、大広間の方に駆けていった。

 杏咲が一人で透の部屋に足を踏み入れれば、そこには湯希が一人で膝を抱えて座っている。部屋の主である透は、現在夕食を作っている最中だ。


「湯希くん、あのね……」


 その場で膝を折った杏咲は、話を切り出す。しかし杏咲が言葉を紡ぐよりも早く、湯希の方から近づいてきたかと思えば、勢いよく杏咲の腰元に抱き着いてくる。


「っ、だいきらいなんて言って、ごめんなさい……」


 頬を涙で濡らした湯希が、苦しそうな顔をして杏咲を見上げていた。


「ううん。私こそ……湯希くんの大切なお面、壊しちゃってごめんね」

「……透が、言ってた。っ、先生は、落ちちゃったお面がふまれないようにって……すぐに、守ろうとしてくれてたって……」


 小さくしゃくりあげて泣いている湯希を落ち着かせようと、その身体をそっと抱きしめた杏咲は、背中を一定のリズムで優しく撫でる。


「……おれ、むかし……いじめられたことが、あって。もう、外に出るの……やだなって思ってた。そしたらじいちゃんが、外に出てもこわくないようにって……あのお面、くれたの」

「……そうだったんだね」


 ――だから気配を薄くする妖術がかけられていたんだ。外に出ても、他者の目を気にせずに済むようにって。そんなお祖父さんの思いが込められていたんだろう。


「でも、おれも……ずっと怖がってばかりじゃ、だめだって……思うから。あのお面がなくたって……もう、平気」


 湯希は目元の涙を拭って、小さく口角を上げて見せる。けれどその言葉が湯希なりの精一杯の強がりだということは、直ぐに分かった。


「……うん、そうだね。いつかは湯希くんが、お面を付けなくても外に行くことができたらって、私もそう思うよ。でもね、無理する必要はないんだよ。少しずつ、一緒に練習していけばいいんだから」

「……でも」


 ――もうあのお面はない、と。湯希はそう言いたいのだろう。


「湯希くん、はい」

「っ、これ……なんで……?」


 杏咲は背中に隠し持っていたものを湯希に差し出した。それは湯希が祖父から貰って大切にしていたお面だ。真っ二つに割れていたお面は綺麗にくっつき、元通りになっている。


「お面を直してくれるお店を玲乙くんが知っててね、綺麗に直してもらえたんだよ」


 両手でお面を受け取った湯希は、泣き顔を隠すようにして顔の前で掲げて見せる。


「せんせ、ありがと……」

「うん。どういたしまして」


 涙声の湯希が心から喜んでいることが伝わってきて、杏咲はホッと胸を撫で下ろした。

 二人の間に穏やかな空気が流れる中、障子戸の外から小さな声が聞こえてくる。


「ゆ、湯希……」


 ――吾妻だ。障子戸の隙間から黒と金の髪が見え隠れしている。


 こちらを窺うようにそっと顔を出した吾妻だったが、その顔にいつもの笑顔はない。不安そうに眉を下げたまま、湯希をじっと見つめている。


「あ、あんな、湯希、おれ……」

「……吾妻。ひどいこと、言って……ごめんね」


 お面を畳の上に置いた湯希は、吾妻の手を引いて室内に招き入れる。そして消え入りそうな、震える声で、謝罪の言葉を口にした。その表情には不安の色が滲んでいる。


「……おん! いいで!」


 けれど吾妻の眩しい笑顔を見て、曇り顔は少しずつ穏やかなものへと変わっていく。


「おれ、吾妻のこと……ずっとうらやましいって思ってた。お父さんと、お母さんと、なかよしでいいなって。……でも、吾妻は……こんなおれとも、ずっと一緒にいてくれるから……」


 湯希はたどたどしくも、言葉を選ぶようにして、自身の胸の内に秘めていたのであろう思いを吐露していく。


「だから、おれ……これからも、吾妻といっしょに……その……」


 そこで口籠ってしまった湯希だったが、その言葉の先を続けるように、吾妻が満面の笑みで口を開いた。


「やっておれ、湯希のことだいすきやもん! 湯希がいややって言うても、おれ、ずっと湯希と友だちでおりたいねん!」

「……うん。おれも、吾妻と……ずっと友だちでいたい」

「っ、へへ……おれ、めっちゃうれしい!」


 吾妻は勢いよく湯希に抱き着いた。たたらを踏みながらも吾妻の抱擁を受け止めた湯希は、嬉しそうに口許を緩めてその腕を吾妻に回している。

 そして、そばで静かに成り行きを見守っていた杏咲は、ぎゅっとくっつき合っている二人を、纏めて抱きしめた。


「おわっ、杏咲ちゃん、どないしたん?」

「……先生?」

「……可愛い二人には、ぎゅ~攻撃です!」


 杏咲の突然の言葉にきょとんとした表情で顔を見合わせた二人だったが――同時にその顔に眩しいほどの笑みを広げて、杏咲を見上げる。


「へへ、やられた~!」

「……やられた」


 “攻撃”という言葉を聞いた吾妻と湯希は、この前読んだ絵本に出てきた敵役の台詞を真似っこしているらしい。嬉しそうに、楽しそうに、クスクスと笑い声を漏らし始める。

 そんな二人の表情を見て、杏咲も柔らかな微笑を湛えながら、二人を抱きしめる腕にそっと力を込めたのだった。



 ***


 ――――なつかしい、夢をみた。


 じいちゃんと二人で、人のいる世界に、遊びにいったときの、夢。


 じいちゃんが好きだっていうだいふくを、一緒に食べた。でも、じいちゃんが、だいふくをつまらせそうになって……ちょっと、びっくりした。


 ちょっとずつ食べるといいよって、おしえてあげた。


 あと、甘いおかしも、買ってもらった。うさぎの形で、かわいかったから……ちょっとだけ、食べるのがかわいそうだった、


 じいちゃんが、しりあいのじいちゃんとしゃべってたから、おれはねこの姿になって、さんぽしてた。


 木がいっぱいで、何だかすごく、気持ちがよかった。


 ひとりで歩いてたら、そしたら、そこに……知らない女の人がいた。


 こわくて、またいじめられるかもって思って、逃げようとしたけど――女の人は、おれのこと、なでてくれた。あったかい手だった。


「ふふ、君、見かけない顔だねぇ。かわいいなぁ」


 何で、うれしそうに笑ってるのか、分からなかったけど……もうちょっとだけ、なでさせてあげてもいいかなって。そう思った。


「杏咲先生、そろそろ行きますよー!」

「あ、はーい!」


 女の人が、別の女の人に呼ばれて、立ち上がる。


「それじゃあ、またね。可愛い白ねこくん」


 女の人は、そう言って、どこかに行っちゃった。


 ――せんせいって、何だろう。あとでじいちゃんに、きいてみよう。


 おれも、じいちゃんのところに戻ろうと思って、四つの手足を使って、歩き出した。



 なつかしくて、あったかい――そんな夢だった。



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