第十話
「えっと、買うものは……お砂糖と人参と、林檎だね」
メモ用紙を見れば、読みやすい綺麗な字で箇条書きに必要なものが書かれていた。
その下には可愛らしい狐の絵が描かれていて、吹き出しに“余ったお金は好きに使っていいからね。美味しいものでも食べておいで”とも書かれている。
「余ったお金で好きなものを買っていい、かぁ……。そうだ! 吾妻くんたちにお土産でも買って帰ろうか」
名案が閃いたと明るい声で杏咲が言う。
それを隣で聞いていた桜虎は、不満そうな声を上げた。
「べつに、吾妻にみやげなんていらねぇだろ」
「でも吾妻くん、すごく買い物に行きたがってたし……」
杏咲たちの後を追い玄関まで付いてきた吾妻は、出掛ける直前までずっと駄々をこねていたのだ。最後は透に抱かれて連れていかれてしまったが。
子どもが一人増えるくらい大丈夫だと杏咲は思ったが――この世界のことをよく知らない自分が無責任なことを言い、子どもたちにもしものことあったら大変だ。
申し訳なさそうな表情で吾妻を見る杏咲に気付いた透は、「吾妻には少し我慢を覚えさせることも必要だから、杏咲先生が気に病む必要はないよ」と朗らかに笑っていた。
「おみやげか……それならおれ、かわいいものがいいなぁ」
十愛が誰に言うともなく、小さな声でぽつりと呟いた。
「そっか、十愛くんは可愛いものが好きなんだね。確かに、素敵なイヤリングもしてるし爪も綺麗に塗ってあるし……すごくお洒落さんだもんね」
「べ、べつに……ふつう、だよ」
十愛は、吃りながら顔を逸らした。柔らかそうな黒髪から覗く小さな耳はほんのり赤く色づいていて、照れていることが分かる。
――可愛いなぁ。
杏咲が微笑ましく思っていれば、すれ違い様、一人の男と肩がぶつかった。
「わ、すみません」
杏咲はすぐに謝罪の言葉を口にした。けれど、ぶつかった男は杏咲の顔を見ることもなく、やけに急いだ様子でその場を去ろうとする。
「おい、まてよ」
そんな男の着物の裾を引っ張って引き止めたのは、桜虎だった。
「おまえ、いまさいふぬすんだだろ!」
「っ、え?」
右腕にぶら下げていた巾着袋の中身を確認すれば、確かに、財布がなくなっている。
絞り口が少し緩んでいたとはいえ、通り過ぎる際の一瞬で盗みを働いたのだ。この男が相当手慣れていることが分かる。
「っ、お、俺は盗んでねぇ!」
「あ、まてこら! さいふかえしやがれ!」
逃げようとする男に、桜虎が飛びかかった。
「っ、桜虎くん、危ないよ!」
相手は大の大人だ。力では敵わないだろうし、男が逆上して殴りかかってくる可能性もある。杏咲は慌てて止めに入ろうとした。
その直後――掴みかかった桜虎の手から、小さな赤い光のようなものが飛び出した。驚いた杏咲は足を止める。
「ひっ! あ、あちぃ!」
その光は、盗みを働いた男の太腿辺りに直撃したらしい。小さな悲鳴を上げたかと思えば、財布を投げ捨てて走り去ってしまった。
「みたか! これがオレの、雷獣のちからだ!」
「ら、らいじゅう……?」
聞き慣れない言葉に杏咲は首を傾げる。それを見かねた十愛が、杏咲に分かるように説明してくれる。
「桜虎は雷獣の半妖でね、いまみたいにまっかなかみなりをだせるんだよ」
「へぇ、今のは雷だったんだ! すごいね……」
感心していれば、そんな杏咲に気を良くしたらしい桜虎は得意気に胸を張ってみせる。
「すげぇだろ! ほんとうはもっとおっきなちからだってつかえるんだぜ!」
「そうなの?」
「うん、桜虎はおっきいかみなりだってばちばち~ってだせるんだよ! でもいまは、まだせいぎょがむずかしいから……みみかざりでちからをおさえてるの」
桜虎と十愛、二人の耳に付けられたお揃いの耳飾り。よく見ると、そこには“封”という文字が書かれていて、長方形のお札のような形をしている。
杏咲は単なるお洒落で付けているのかと思っていたのだが、きちんとした理由があったらしい。
「それじゃあ十愛くんも、雷を出したり出来るの?」
「ううん、おれはだせないよ。おれは……」
そこで言葉を詰まらせた十愛。不思議に思った杏咲が声を掛けようとすれば、それに被さるようにして、桜虎の快活な声が杏咲の鼓膜を揺らした。
「ニンゲンはよわくてすぐしんじまうからな! しかたねぇから……オマエのこと、オレさまがまもってやるよ!」
「お、桜虎くん……」
「……い、いっておくけど、あのときのかりをかえすだけだからな!」
可愛さに胸を撃ち抜かれた杏咲は、堪らず桜虎の頭に手を伸ばした。
そのまま柔らかな黒髪を撫でれば、「こ、こどもあつかいするんじゃねーぞ!」なんて怒られてしまう。けれど頭上の獣耳はピコピコ小刻みに揺れていて、お尻から生えた黒い尻尾は、嬉しそうにブンブンと揺れている。
――わ、わんこみたい。
口にはしない杏咲だったが、込み上げてくるときめきに内心で悶えながら、無意識に口許を緩めた。
そんな杏咲の空いている左手を引く、小さな掌。視線を下げれば――そこには、不貞腐れた顔をした十愛がいて。
「十愛くん?」
「……」
――これはもしかして……拗ねているんだろうか。
十愛は黙って俯いたままだが、しかし、握りしめた掌は決して離そうとしない。
桜虎の頭から手を下ろした杏咲は、その場に屈み込んで十愛に問いかける。
「ねぇ、十愛くんのことも撫でてもいいかな?」
「……」
「十愛くんとっても可愛いから、なでなでさせてもらえたら、すっごく嬉しいんだけどなぁ」
「……そ、そこまでいうなら……しかたがないから……なでても、いいよ」
紡ぐ言葉や表情からは仕方ないなぁという雰囲気を醸し出しているが、杏咲の手が髪に触れた途端、十愛の口許は嬉しそうに緩められる。
――か、かわいい……。
十愛の愛らしいその微笑みを目のあたりにし、杏咲の胸中はときめきの大渋滞を引き起こしている。ぐんぐん上り詰めてくる愛しさにとうとう耐え切れなくなり、思わず顔を膝に埋めた。
「っ、桜虎くんも十愛くんも、可愛すぎるよ……」
突然胸を押さえて俯いた杏咲の姿を見て、驚いたのだろう。
十愛と桜虎に「だ、だいじょうぶ?」「おい、どうしたんだよ?」と心配そうなまなざしを向けられ――そのときめきという名の発砲に、再び悶える羽目になったのだった。




