カップラーメンの中に暗黒が入ってました
フタを開けると、そこには暗黒があった。
「なんだあ!? これ!」
リビングに響く俺の声すら吸い込んでしまいそうな、紛れなき黒色。本来、薄黄色の麺と茶色い粉末スープ、そしてそれなりにカラフルな具材が散らばっているはずの空間は、全てが平々な暗闇に置き換わっていた。ポットから、水温が100℃に達したことを知らせるジングルが鳴り、唖然としていた俺の心はようやく現実へと引き戻される。
慌てて側面を確認するも、それは美樹の仕事が遅くなった時にいつも食べている、しょうゆ味のカップラーメンに間違いなかった。黒担々麺味とか、ブラックペッパー味を誤って買ったわけではないらしい。
虫とか、異物の混入ならたまに聞くけど、これは一体なんなんだ。もちろん身に覚えは無いし、原因を考えたって、俺の知能が及ぶ問題じゃない気もする。
恐る恐る、中を観察してみた。フタは半分以上が開いたままだが、そこから漏れ出てくる様子はない。一見、ただの黒色のスープにも見える。
しかし、カップの側面を指で小突いてみても、暗黒は決して波を打たなかった。手に持って傾けてみても、貼りついたように動かない。さすがに上下逆さまにして、思いっきりシェイクするような度胸は無かった。
「ただいま、和哉。どうしたの、まだごはん食べてなかったの?」
そうこうしているうちに、美樹が仕事から帰ってきた。
「いや、カップラーメン食べようとしたらさ、なんか中が真っ黒で」
カップラーメンを少し傾け、美樹に暗黒を見せる。残業によって張りの失われた顔が、一瞬にして強張っていく。
「ええ何それ気味悪い! はやく捨ててよ!」
「いや、捨ててって言われても、こんなものどうやって捨てるんだよ」
「もう、わかんないならカスタマーセンターにでも問い合わせたらいいじゃない!」
美樹に圧されるような形で、俺はカスタマーセンターへと電話をかけた。
「えーと、問い合わせ内容なんですがね、フタを開けたら、中が真っ黒なモノでいっぱいになっておりまして……」
できるだけ、訝しがられない内容に噛み砕いて伝えると、申し訳ございません、弊社の管理が行き届いていなかったことによる不始末です、などといった謝罪の言葉が並べ立てられた。
「不都合品につきましては、ラップなどをかけていただき、そのまま本社の住所へ送っていただけますでしょうか。代替品と、お詫びの品をお送りいたします」
最終的に、そのような措置をとられることとなった。
……え、そんだけ? ラップをかけて送れって? 相手は暗黒だぜ。もしや、黒光りするあの害虫の暗喩だと思われたのか?
なんだか釈然としない。
「良かったじゃん、むこうで処理してもらえるんだったら。こんなの明日にでも送っちゃいなよ」
美樹はもう興味を失った様子で、自室へと戻っていった。
俺はリビングでひとり、ラップのかけられたカップラーメンと向かい合っていた。ラップ越しでも、その中には微かにも揺らぐことのない暗黒がたたえられている。
考えてみろよ、カップラーメンの中に暗黒空間だぞ? ヤバいくらい非日常な出来事じゃないか。おまけに全てが謎めいている。これを製麺機に巻き込まれて死んだGと同じように処理するなんて、もったいなさすぎるぜ。
闇には人を惑わす不思議な魅力があるというが、俺も魅入られてしまったのかもしれない。
俺はカップラーメンを製造元へ送ったフリをして、こっそり押し入れに保管することにした。その後は、気が向いた時にカップラーメンを取り出して様子を観察したり、ちょっとした実験を試みるような日々が続いた。
ところが、俺の邪な期待とは裏腹に、カップラーメンの暗黒はまるきり変化を見せなかった。割り箸で中を探ってもまるで手ごたえがなく、小石を中に入れるとコツンと音が鳴って、スプーンで掬いあげたら入れた時と全く同じ小石が現れるだけだった。
もしかしてこれは、ただの真っ暗な空間なのか。物足りなさに少々落胆したものの、それでもこの暗黒には多くの謎が残っている。第一、なんでこんなものが普通のカップラーメンの中に入っていて、俺のもとへとやってきたのだろう。何か、意味があるのではないか。好奇心は尽きない。
しかしある日から、このカップラーメンと距離を置かねばならなくなった。
「和哉……、私のお腹、子どもがいるみたい」
俺たちは、新しい命を授かったのだ。そして近い将来、新しい家族がこの家にやってくることになる。
と、なると、このカップラーメンをそのまま保管しておくのは危険だ。何かの拍子に子どもが暗黒をひっくり返したり、誤飲したりなんてことがあったら目も当てられない。やむなく俺は金庫を購入して、その中にしまうことにした。
結局、これが何なのか、わからないままだった。俺にとんでもない不幸が襲いかかるとか、そんな出来事があるわけでもなかったし、俺自身も、少なくとも仕事と家庭を両立できるぐらいの健康状態を保っている。まったくもってワケのわからない存在だ。
金庫に暗証番号を設定して、鍵をかける前に一言つぶやいた。
「まあいいか、いつか謎が解ける日が来るかもしれない、それまで大事にしておこう」
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「みなさんこんにちは! がんばってNOONのお時間です! 本日スタジオにお越しいただいているのは、先日100歳の誕生日を迎えられた、高島和哉さんです。では和哉さん、どうぞ!」
「どうも、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします、いやーご覧ください、このしっかりとした足取りに、ピンと伸びた背筋! とても100歳には思えませんねぇ!」
「ははは、このスタジオに来る前に何度も言われましたよ」
「この明朗快活な表情! うらやましいものです。全人類無気力時代などと世間では言われていますが、和哉さんにとって無気力なんて無縁の物じゃないですか?」
「たしかに、そうかもしれませんね。100年も生きていると悲しいことや辛いこともたくさんありましたが、人生に張りが無くなったり、毎日が退屈だから自殺したい、なんて思ったことはありませんよ」
「本当にうらやましい。今は遠隔操作技術の進歩によって、地球上のあらゆる場所に調査のメスが入っております。生物学の分野でも、人間はおろか、すべての生命体の遺伝情報が解析されたとの報告もあります。もはや、この地球上に未知の領域なんて残っていないでしょう。そのため現代の人々は、新しく何かをする気力が失われつつあるようですね」
「私もその話はよく耳にしますよ。年代問わず、無気力からくる自殺が増え続けているのも、嘆かわしいことです」
「まったく、その通りですね。そこで今回のインタビューでは、ぜひ和哉さんに、気力あふれる人生を送るための秘訣を教えてもらいたいと思うのですが」
「秘訣、ですか。うーん……秘訣というより、秘密といった方がいいかもしれませんね」
「へえ、秘密、というと?」
「さきほど、この地球上に未知の領域なんて残っていないと仰ってましたよね」
「ええ」
「実は私、とても不思議な、奇妙なものを持っているんです。今も金庫に保管されているんですが、何十年経ってもそれがどういう存在なのか、まったくわかっていないんです」
「そ、そんなものが、まだこの世にあるのですか!? 一体それは、どういうものなんですか」
「残念ながら、詳細を申し上げることはできません。それは私にとって、知らないものへの興味を思い起こさせる、貴重な宝物なのです。もしかしたら、明日になれば何かわかるかもしれないって、そう思えるわけですね。ですから、私からアドバイスできることはひとつ。ワケのわからないものを見つけたら、ワケのわからないままで、大事に保管しておくことです」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。