第5話 治療
翌日。土曜日。
一晩を寮の治療棟で過ごした僕はいつもより少し遅い10時に目を覚ました。今日が土曜日で良かった。学校に行く必要は無いから、ゆっくり音楽に没頭できる。あれ、でもそうだ。今日は15時にルナとの約束があるんだった。腕にはめているデバイスを触り、慣れた手つきでマップを空中に表示する。昔は画面を使わないと操作ができなかったらしいが、今の技術から考えるとまるで考えられない話だ。
住所だけ指定されたけれど、ここは一体どこなのだろう。そもそも左腕がまだ全然治っていないし、外出許可なんて出ないんじゃ無いか?
頭の中で可能性をいろいろ考えていると、勢いよく部屋の扉が開く音がした。
「おはよう!」
昨日も遅くまでいてくれた陽奈だった。
「おっ、陽奈。おはよう。」
「もう大丈夫?」
僕は自分の腕を少しだけ触ってみる。やはりまだかなり痛みが残っている。安静にしていれば問題はないだろう。
「まだ少し痛むけど...。それよりも、昨日は遅くまでありがとう。」
「全然!とにかく無事で良かったよ!」
「ああ...。」
「それにしても夜獣と遭遇して良く生き延びたよね...。ヨルだって夜獣と遭遇した時の生存率くらい覚えてるでしょ?」
「Eランク夜獣だと、一般人が5%、ノクスホルダーが50%、対夜獣部隊が95%、特殊部隊が100%だっけ。」
一概には言えないが、夜獣対策本部が公式に発表している数字だ。ノクスを発現していると対抗する力もそうだが、状況が厳しい場合は逃げる選択肢も一般人より取りやすくなるだろう。僕はこの中だと...一般人でしかなり得なかった。しかし、昨日の1日で前提は変わった。
「そう!ヨルは一般人なんだから5%...じゃなくて使えるようになったんだっけ?いいな〜。じゃなくて!ノクスホルダーでも50%なんだから!」
「いつも忙しないなぁ、陽奈は。」
「もう!心配してるんだからね!」
幼馴染で付き合いも長い。陽奈が同じ状況にあったら僕も同様に心配するだろう。
「うん。分かってる。」
「なら、いいけど...。」
僕が真面目に答えると、陽奈もそれ以上は追求しないようだった。昨日はたくさんの人たちに迷惑をかけ、そして沢山怒られたので気を遣ってくれたのだろうか。それにしても確かに良く生き残れたなと自分でも思う。遭遇した夜獣も命からがらで倒したが、最後に見たあの夜獣に至ってはDランク以上だ。あの瞬間、僕の命は確実に終わったと思っていた。それを、ルナに助けられた。僕など及びようもなかったあの夜獣を難なく倒してのけた彼女は一体どれだけ強いのか想像もつかない。
そうして少し陽奈と話していると、
「ニャーーーーー!!!」
「!!」
扉を思い切り開けて、何故か猫のような叫び声とともに白衣の女性が入ってきた。栗色の短髪で明らかに薄着なその女性に、僕は目のやり場をなくしていた。そして、それに気づいたのか陽奈はこちらをジト目で見つめていた。
「だ、誰ですか...?」
「知るかニャー!!!」
1つだけ分かったことがある。この現代において語尾にニャーとつけるのを見るのは居た堪れない。
彼女は僕らの疑問や問いかけなどお構いなしにずんずんとこちらへ近づいてくると、唐突に僕の左腕を掴んだ。
「痛っ」
左腕に激痛が走った。
「ちょっと!ヨルに何するんですか!」
「黙るニャー!!」
なんだ、この理不尽な人は。すると彼女は急に真面目な顔つきになった。
「【回復力向上】」
そう唱えた途端、左腕に光が集まり、痛みが引いていくのが分かった。回復力を高める能力も存在するのか。一般人として今まで生きてきた僕は、能力を誰かが使っている場面に遭遇することはあまりなかった。にしても、そうか。彼女は治療をしてくれたのか。
「あ、ありが」
「うっさいニャー!」
ダメだ!何を言っても話が通じない!
お礼すら言わせてもらえなかった。
僕がこの猫女とのコミュニケーションを諦めかけていた時、彼女はふと何かに気づいたように態度に変化を見せた。どうやら陽奈のことを見ているようだ。
「ん...?お前、名前は何ニャ?」
「蒼井陽奈...です。」
彼女は陽奈を凝視し、名前を聞いた。行動が不可解だ。僕が目的なんじゃなかったのか。
「ふーん。覚えたニャ。」
恐らく僕は覚えられていないだろう。
そうして向き直ると、扉をぴしゃりと閉め、去っていった。
「何か名前を覚えられちゃった!怖い!」
陽奈の怖い、という素直な一言に緊張していた僕は少し気が抜けた。それにしても嵐のような人だったな。気づくと身体は自由に動かせるようになっていた。ただし、少し身体全体が重い。左腕の負傷を体全体で補ったような、そんなイメージ。でもこれで外出の許可は降りそうだ。
そうして15時。ルナにもらった住所に来てみると、見上げても上が見えないくらい高いビルがあった。とにかく横にも縦にも大きい。ここまで大きい建物は今まで見たことがない。
「何だここ...。」
もしやどこかとんでもない所にきてしまったのではないだろうか。そして、とんでもない子に目をつけられてしまったのではないだろうか。
そうして入口の方を見ると...
「!!!!」
対夜獣部隊本部と記載があった。
ここって対夜獣部隊の総本山じゃないか!何でこんなところに!
明らかにこれまでの生活からどんどんと離れていっている気がした。
ああ、胃が痛い。