第1話 邂逅
PLANETS。
僕が一番好きなアーティストの名前だ。中学生くらいから透き通るような声と綺麗な歌詞の虜になった。夜空は映像でしか見たことがないはずなのに、この人の歌を聴くと何故かリアルに夜空を感じることができる。そして両親とのあやふやな記憶も少し身近に思えるのだ。このアーティストのボーカルのLunaは一切顔出しをしておらず、その容姿を知る者はいない。ただこれはPLANETSに限った話ではなく、Vtuber(2Dもしくは3Dのアバターを使っている配信者)が急激に増えた2020年代から顔を出さないアーティストは増えていったらしい。確かに、顔なんて出さない方が絶対にいい。と僕個人としては思う。人の目を気にしながら生活するというのはそれだけでストレスがかかるだろうし、余程の目立ちたがりで無ければデメリットの方が多いはずだ。そんな考えを持つ僕ではあるが、ファン側に立ってみるとするならば、PLANETSのライブがあれば是非行ってみたいと思う。だが、これまで一度もライブをしたことはないらしいので、諦めていつものようにヘッドフォンを耳にあてる。
今日は待ちに待ったPLANETSの新曲発売日だ。
電車で揺られること30分。そこから歩くこと15分。漸く目的の店に辿り着いた。他の建物に比べると随分古びている。それも当然と言えば当然か。そもそも今は音楽は完全にサブスクリプションが市場のシェアを占めているし、CDを売っているお店も僕が知る限りこの「星野CD」だけだ。
「どうも。」
「いらっしゃい。」
古びてはいるが、店の中は中々に小綺麗だ。古さの中にもしっかりと上質さがあり、人によっては胸を掴まれる居心地の良さがある。かくいう僕も中学生の頃から定期的に足を運んでいるので、店長とは顔見知りになっている。星野CDは店に入って左側がCD売り場、右側がカフェになっている。一定の客層を確保している為、ガラガラになっている場面はみたことがない。僕はいつも通りCD売り場へ迷わず足を進め、新曲がまとめられているコーナーに向かった。
いつものように新曲の陳列棚を隈なく探していると、漸く1枚目的のCDを見つける事ができた。前に来た時も同様に1枚しか見当たらなかった為、そもそも普段から1枚しか入荷していないのだろう。そしてそれは、固定客である僕が買うことを見込んでの入荷なのだと1人で合点する。
「これ、ください。」
マーキュリー。今回のCDのタイトルは水星。PLANETS(惑星)、というアーティスト名にある通り、タイトルには星が入る事が多い。捻りがないな、と最初は思っていたけれど、のめり込むようになっていくうちにそんな些細なことは気にならなくなっていた。何はともあれ、目当てのものを無事確保することが出来た。この手に入れられた喜びはいつになっても変わる事がない。
早く寮に戻ってゆっくり聴こう、と店を出ようとしたその時。ちょうど店に入ってきた神秘的な女性に目を奪われた。歳は同じくらいだろうか。髪は真っ白のショートボブ。作り物のような整った顔はただ無表情であった。そして目が離せなかった。向こうもこちらを見ている?というようにも感じたが、よくよく見てみるとどうやら僕の手にあるPLANETSのCDを見ているようだった。もしかして彼女もこれを手に入れたかったのだろうか。
「すみません...。もしかしてこれ、あなたも買いたかったものでしたか?」
「ありがとう」
とボソっと彼女が呟いた瞬間、全身に電気が走り、鳥肌がたったのが分かった。ただ一言のはずだったのに、僕は彼女の声の虜になっていた。なんだろう、この感覚は。彼女はそのまま僕の横を通り過ぎていった。振り返ると姿はもう、ない。僕はしばらく立ち尽くしていた。
透き通った彼女の声はPLANETSのLunaに非常に似ていた。本人ではないかと思ってしまうほどに。
店を出ると時刻は16時になっていた。門限の17時には15分ほど余裕を持って到着できそうだ。この時間になると外の人通りが激減する。5月である今は夜獣が観測されるのは日没の18時半以降。皆早いうちから家や建物内にいるようにしているんだろう。夜獣は建物内には何故か入ってこないから。大夜災の時も外に出ている人だけを襲っていったらしい。あの夜災が起きる前は人々はいつも夜に出歩いてはご飯を食べたりお酒を飲んだりを満喫していた。そしてあの夜災が起きてから今までは人々の夜は奪われたままだ。
電車に乗ると1人も人が乗っていない。無人電車だし、ほぼ終電のようなものだし、本当に僕一人で貸し切っているような気がしてくる。向かい側の窓から見える夕日が眩しいな、と思いながら僕は意識を手放した。
「あなたはちゃんと生きてね...。私たちの分まで...。」
「そうだ。お前は悪くない。決して自分を責めるな。これは不運だっただけなんだ。」
あれは...。父さんと母さん...?
「あなたのーーーーは危険ーーーーーーー見つかる前にーーーーーーーーーー。時が来るまでーーーーーーーー。」
うまく聞き取れない。もう喋らなくていいよ。死んじゃうよ。
「「いつまでも愛している」」
目が覚めると頬が濡れていた。また同じ夢...。見たこともない親の記憶。どうしてか小さい頃の記憶が凄く断片的で曖昧だ。そうこう思考していると、少しずつ意識がはっきりしてきた。電車はもう動いていない。そういえばここは終点だったか。扉は開いた状態で駅内に停まっている。外の景色はどこからも見えない。
待て。今、何時だ?
スマホを開くと時刻は18時半になっていた。マズイ。陽奈や寮長からたくさんの通知が届いていたが、見るのは後だ。とりあえず今は現状の把握をしなければ。
「只今駅構内にいらっしゃる方は、非常シェルターへ移動してください。日の出までは絶対に駅から出ないようにしてください。」
ひたすら同じ内容のアナウンスが流れていた。こういったことは珍しくなく、駅にはホテルが併設されている事がほとんどだ。安全を取るのであれば、ここで一夜を過ごした方が良い。でも、寮までは徒歩で5分ほどだし、走れば何とかなるだろうと思い至る。寮に着いた後はお腹を壊していてトイレにこもっていた、とでも言っておこう。まだ日没直後だし夜獣も徘徊していないのではないか。それより何より、早くPLANETSの新曲を聴きたい。ここ最近の一番の楽しみだったのだ。
そしてこの時、僕は愚かにも寮まで走るという選択を取ってしまった。
非常時の行動は小さい頃から叩き込まれていたはずなのに。
よし。勢いよく改札から飛び出した直後ー
「ッーー!!!!」
狼の姿をした化物”夜獣”がこちらをじっと見つめていた。