始まりの鐘
異界の悪魔たち
第一話 始まりの鐘
キーンコーンカーンコーン キーンコーンカーンコーン。
「ハァ、やっと終わったぁ。」
帰りのホームルームの終了の鐘と同時に、大和タケルは大きなあくびをしながら言った。金曜日、待ちに待った週の終わりである。タケルは伸びをしながら帰りの支度に取り掛かった。
「ターケール!早く帰ろうぜ〜。」
「ちょっと待てよ、まだHR終わって5分とたってねーぞ。」
「善は急げっていうだろ?時間は金じゃ買えないんだ。急いで損はねーよ。」
「急がば回れっていう言葉もあるぞ。」
「ほら、無駄口叩いてないで急げ!」
「ったく。あ、そうだ。雄介、お前この前貸した本早く返せよな。」
「ん?ああ、ごめんごめん。あれまだ読んでないんだ。」
「まだ読んでないのかよ。もう貸して一か月経つぞ?」
「まあまあ、そんな慌てんなって。急がば回れって言葉があるだろ。」
「お前、調子のんなよ。」
タケルは大きく溜め息を吐きながら教科書を鞄にしまった。外を見ると夏の日差しが容赦なく照り付けている。中3の夏、部活も引退を迎え、いよいよ受験本番である。タケルはそれが憂鬱で仕方がないというのに、この大野雄介はなんとも気楽な毎日を送っているようだ。しかも、これで頭がいいというのだから、なんだか無性に腹が立つ。タケルは英単語帳を大きく膨らんだ鞄に無理やり押し込んだ。
「ったく、おせーぞ。」
「じゃあ1人で先に帰ってればいいじゃないか。」
「なんだ、今日のお前なんか冷たいぞ。」
「別にいつも通りだよ。」
2人は廊下に出て、階段を下りる。うちの学校は学年が上がるごとに階も上がっていくので、3年生のフロアは4階である。何故先輩になったというのに、こんな急な階段を使わなくてはいけないのか、タケルは不満であった。うんざりしながら階段を下りていると、前にショートカットの女の子が見えた。
「あ、おーい!牧野―!」
牧野ユミに気がついた雄介が、ユミの方に駆け寄っていく。ユミは振り返ると、少しうんざりした表情で雄介の事を見つめていた。
「あ、なにその顔。もしかして俺って、あんまり歓迎されてない感じ?」
「あんまりっていうより全然ね。この前私が貸した小説、ボロボロにして返して来たくせに、この本は満身創痍になっているんだよ、ユミ、手当てしてあげて!なんて言ってきたじゃない。ごめんのごの字もなかったわ。」
「ごめんごめん。反省はしてるんだ。」
タケルが2人に近寄ると、ユミがこちらに気づいて言った。
「あ、タケル。あなたも雄介に本貸さない方がいいよ。絶対無事には帰ってこないから。」
「…おい、雄介。一応聞くけど俺の本は?」
「んー?大丈夫大丈夫。そんな心配すんなって。俺が責任を持ってきちんと丁寧に保管してあるよ。…おい、なんだよその顔は。」
「本が無事じゃなかったらお前死刑な。」
「その時は私も呼んでね。」
「なんでだよ!少しは信用しろよ!」
「「無理!」」
3人は昇降口を出て、蒸し暑く、皮膚を焼きつけようというかのような日差しが照りつける外に出た。
「そういえば、ユミはもう志望校とか決めたのか?」
「んーん。まだ。なかなか行きたい高校って決まんないよね。タケルは?」
「いや俺もまだ。」
「そっか。まぁ夏休み決めればいいよね。」
「ああ、…あのさ、その、M高校の学校説明会なんだけどさ。」
「ん?ああ。八月の、…5日だっけ?」
「そうそう。それなんだけど、よかったら、一緒に…」
「おいおいおいおい。俺には何も聞かないのかよ!」
今、まさに勇気を振り絞ってというところで、雄介が口を挟んできた。
「…なんだよ。」
「いや、だから俺には志望校とか聞かないのかよ!」
「…どこなの?」
「まだ決まってない。」
「ぶち殺すぞテメー!」
ユミの方を見ると、なんだかすごく面白そうな顔をしている。ハァ、と溜め息を吐いた。機会を失ってしまった。せっかくあと少しで言えたのに。
「あ、じゃあ俺ここだから。」
気がつくと、もう家のそばまで来ていた。雄介はそういうと、颯爽と去っていった。ちなみにタケルとユミは同じアパートに住んでいる。
「それで?」
「え?」
雄介の背中に向かって呪いの言葉を唱えていると、ユミがとりあえず唐突に聞いてきた。ユミは既に歩き始めながらタケルの方を見つめていた。
「さっきの続き。M高校の説明会があるんでしょ?」
「あ、ああ。」
タケルは顔が急速に赤くなっていくのを感じた。心臓が高鳴っている。言え、言うなら今しかない。M校の説明会に一緒に行こうって。そして、もし気に入ったのなら、一緒にそこを目指そうって。
「よかったら、俺と一緒に学校説明会に…」
ズドン、と鈍い音がした。草木が揺れている。音に驚いた鳥が、勢いよく木を飛び立つのが見えた。
「…今の音は?」
ズドン、とまたしても鈍い音がする。そして今度は、音に続いて何の前触れもなく地面が激しく揺れた。
「地震だ。」
揺れはかなり大きい。電柱が激しく揺れ、周囲の家から、物が落ちる音がした。人々が飛び出してくる。辺りは徐々に人々の声で騒がしくなってきた。揺れは1分ほど続いた後、始まりと同じように唐突におさまった。
「とりあえず、近くの公園に避難しよう。余震が来るかもしれない。」
タケルがユミに呼び掛けると、ユミは顔をしかめながら、さっき雄介が去っていった方向を見つめていた。
「…ユミ?」
「タケル、何か、音がしない?」
「音?」
音といえば、先ほどから人々の騒めき、犬の吠える声などで、随分とうるさくなっていた。
「鐘の音がしない?あっちの方から。」
「鐘?何言ってんのさ。そんな事より、早く避難しよう。随分と大きかったし、余震が来たら危な…」
「いいから聞いて!雄介の家の方から、鐘の音がする!この音、なんか普通の音とは違う気がする!」
そう言うが早いが、ユミは音がするという方向へと走り出していた。
「おい!ユミ、ちょっと待てよ!」
タケルもユミを追って走り出した。ユミに言われた通り、よく耳を澄ませると、確かに鐘のような音が、ほんのかすかに聞こえる気がする。けど、それがなんだっていうんだ。
角を曲がったところで、タケルはユミに追いつき、併走しながら聞いた。
「この鐘の音がなんだっていうんだよ!」
「分からない。分からないけど、何だか嫌な感じがする!」
「どういう事だよ!」
「あっ、あれ見て!雄介だ!」
見ると、おそらくさっきの地震で家から飛び出してきたのだろう。雄介が1人で道路に立っていた。こちらに気付いたようで、2人の方に走ってくる。
「おい!タケル、牧野!さっきの地震はデカかったなぁ。それより、何でそんなに焦ってるんだ?」
「分からない…ユミが…急に走り始めて…」
タケルは息を整えながら答える。ユミはというと、何かすごく不安そうな顔をしながら、さっきまで全力疾走をしていたというのに、辺りを歩き回っていた。
「やっぱり、この辺から聞こえる。だんだん大きくなってる。」
「牧野、お前、どうしたんだ?」
「鐘の音が大きくなってるの!」
「鐘の音…?」
すると、シャンシャンシャンと、急に鐘の音が辺りに大きく鳴り響いた。
「…な、この音は一体…」
鐘の音は鳴り止む事なくだんだんと、まるでクレッシェンドをかけているかのように大きくなっていく。ここにきて、タケルもやっと何かが変だと気がついた。近くに鐘なんて無い。この音は、一体どこから響いてくるのか。
「おい、何だか分からないがヤバイんじゃないの?早くここ離れた方がいいんじゃ…」
突然、夜がやって来た。いや、3人の周りにだけ、夜が出現したと言った方がいいかもしれない。急に辺りは真っ暗になり、一切の音が聞こえなくなった。
「な、何だよこれは!何が起きてるんだよ!あれか?何かのドッキリか?!」
「ユミ!お前何が起きてるのか分かるのか?!」
「分からない!分からないけど、鐘の音が聞こえなくなった!」
そして、それはまた突然やってきた。後から思い返してみても、タケルはこの数分間にあった驚くべき出来事も、これに比べたらとてもちっぽけな事のように思えた。
「もう、何なんだよ一体。これ、夢?」
パッと、電気がついたかのように明るくなったと思いきや、そこはさっきまでとはまるで違う景色であった。中世ヨーロッパのような街並み。明らかに漫画やアニメの世界でしか見たことのない服を着た人々。そして何より、その街は壊滅状態であった。