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ビュー・オブ・デンティスト9

かりんはスケーリングの練習をするため今日は少し残ろうと思っていたのでそのまま診療室に残った。


スケーリングとはスケーラーという器具で歯石をとって歯ぐきを健康に保つ作業の事だ。歯石は硬く、歯ぐきをなるべく傷つけずにとるにはそれなりの練習がいる。


かりんはしばらく顎の模型と睨めっこをしていた。

医局の方は始めがやがやとうるさかったがそのうち静かになった。


スタッフが帰ったらしい。

ドクターはいるのかいないのかわからないがもしかしたら自分一人かもしれない。


かりんは最後であると予想し、医院を閉める準備をはじめた。

ここの医院は最後の人が責任をもってカギをかけるという事になっている。


とりあえず、練習はここまでにして医局に戻った。

医局のカギ置き場にカギがあるからだ。


「……俺には隙はない。


剣王、そう簡単に見つかると思うな……と言ってやりたいね。


今日も掃除中に彼女達、俺が結界を張ったと思っていたらしいが俺にはなんのことやら……。」


「……え?」


かりんは医局のドアの前で立ち止まった。院長がまだ医局にいる……。

しかもいつもの調子ではなくかなり低めの声だ。


「鶴、お前がどちらの味方でもかまわないがもうこちらに首をつっこむな。はっきり言って邪魔だ。」


電話をしているのだろうか院長の声しかしない。


……鶴……あの鶴さんかな……ま、まあ、私には関係ない事よね。


かりんは入ってはいけない空気を感じたがよく考えれば自分はそういう事情的なものを何一つ知らない。


知らなければいいという問題でもないが部外者としてスルーされるかもしれない。

かりんはそっと医局に入った。


院長は隠す風もなく電話をしている。


「お前に情報を流されるほどこちらは馬鹿じゃないよ。

それにお前が出入りすると余計怪しまれる。


お前は向こうに諜報に行っていると言えば俺達に近づけるだろうがこちらとしてはデメリットだ。


お前がこちらに情報を持って来ても悪いニュースばかりでいい気分にはならない。……という事だ。」


かりんはロッカーから今日着てきた服を取り出すと診療室へ向かった。

院長がいるので医局では着替えられなかった。服を持ちながら耳を傾ける。


「お前は向こうにつけばいいよ。俺達は別にいいから。お前が敵になったとしてもこちらに隙はない。」


院長の話を小耳にはさみながらかりんは医局を出て行く。


……なんかもめてるみたいだけど大丈夫かな……院長。


かりんは不安になりながら白衣を脱ぐ。


……でもここ最近なんかあったわけじゃないし……院長は顔に出さないだけなのかな。


本当は心に大きな傷とか……悩み事とか……もめごととか……色々あるのかもしれない。


かりんがふうとため息をついたとき、ガタガタと謎の音が聞こえた。


「うおわっと!ごめん。」

院長の声だ。かりんが着替えている目の前に院長が立っていた。


「え?ちょっ……」


かりんは反応できずとっさに身体を隠した。

ブラジャーとショーツという一番恥ずかしい恰好をしていた。


それを見た院長は慌てて医局のドアを閉める。


「まさかそんなところで着替えているとは思わなくて……ああ、びっくりした。」

院長はドア越しにかりんに話しかける。


「ご、ごめんなさい。お電話していたのでまだこちらに来ないと勝手な判断で着替えちゃいました……。」


かりんの頬はほてって真っ赤になっていたがそれよりも頭が回転していなかった。


「ごめんね。見るつもりはなかったんだ。ほんと。」

ドア越しに焦った院長の声がする。


「い、いえ。ほんとはちょっと期待してて……みてほし……っ」

かりんはわけわからない事を言っている事に気がつき手で口を覆う。


……わ、私何言ってんの……。これじゃあ痴女じゃない……。


「ん?」

「あ、なんでもないです!今着替えますからちょっとこっちにくるの待ってください!」


院長は聞こえていなかったみたいなのでかりんはうまくごまかした。


「気をつけなよ。女の子が不用意に男の近くで服なんて着替えちゃダメだよ。ドキドキするじゃないか。」


今院長はどんな顔をしているのだろう……。かりんはよくわからない気持ちになっていた。


私の身体でドキドキしたのかな……。


不思議な事にそんなふうに考えるとこちらがドキドキした。


これじゃあ……私変態じゃない……。


服を着替え終わってからもしばらく胸の動悸がおさまらなかった。

深呼吸をして落ち着いてから院長に声をかけた。


「大丈夫ですよ。着替えました。」

「そう?」


院長は恐る恐るドアを開ける。

そしてどこかほっとした顔をしてユニットまわりを点検しはじめた。


「診療室の電気を消しに来たんですか?」

「うん。もう藤林君も帰るかなと思ったからね。さっきはほんとごめんね。」


「いえ……医局のドアの目の前で着替えていたのは私ですから……。見苦しい物をお見せしてすいません。」


「これ言ったらセクハラになりそうだけど……見苦しくなんかなかった。君はきれいだよ。」

「……そうですか?」


かりんは嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちが頭の中でぐるぐるまわっていた。


……社交辞令的なものでもうれしいな。


しばらく気まずい雰囲気が流れた。先に口を開いたのは院長だった。


「一緒にごはんでも食べに行くかい?」

「え?いいんですか?」


「うん。さっきのお詫び。俺がおごるよ。」

「でもそんな……悪いです。」


「いいんだ。いいんだよ。」

「それでは……甘えます。」


このまま否定し続けても話が変わらなそうだったのでかりんはにこやかに笑って承諾した。


「あ、じゃあ、ちょっと俺も着替えるから。」

院長は医局へと帰って行った。


「はい。ここで待ってますね」

かりんはドア越しに言葉をかける。院長はすぐに診療室に入ってきた。


「おまたせ。」

「は、はやいですね……。」

あまりに早かったのでかりんは少々驚いた。


「まあ、ババッと着替えるだけだからね。」


院長は黒いシャツに黒系のフード付きジャンバー、そして黒いズボンを履いていた。


……黒尽くし……黒が好きなのかなあ。


かりんは院長を細かく観察する。

全身黒っぽいのに全然違和感がない。おそろしく似合っている。


メンズファッションについてはあまり詳しくないが身長が高いためかしまって見える。


……なんか大人の男って感じでセクシーだなあ……


「どうしたんだい?」

「あ、いえ……黒がすごく似合うんだなと思いまして。」


「え?俺が?」

「はい。」


院長はあまり自覚していなかったようだ。


……似合うと思って着ていたんじゃなかったんだ……。


「まあ、俺は藤林君の私服かわいいと思うけどなあ。」

「そ、そうですか?」


かりんは自分の格好を見つめた。


チェックのマフラーに白のニットを着、上着はファーつきのダウンコート、下はももまでの短いジーンズ、黒のストッキングにブーツ。


……普通すぎるほど普通だと思うんだけどなあ……


でもちょっと嬉しかったので頬を染める。


「てれてるの?かわいいね。」

「からかうのはやめてくださいっ……!」

「ごめん。ごめん。じゃあ行こうか。」


真っ赤な顔をしているかりんに院長は少し困った顔をして促した。


院長は診療室の電気を消し、医局の電気も消すとカギを持ち、かりんを先に外に出させた。


「よし、オッケー。」


院長はそう言うと医院のカギを閉めた。クリニックフロアはもう真っ暗だ。

時刻は午後八時半をまわっている。


「他の内科とかもけっこう早く閉まるんですね。」

「まあ、そうだね。この駅ビル自体が遅くまではやっていないからね。」


二人は事務局にカギを返すと業務員用のエレベーターで一階まで降りた。


「もう時間も遅いし、消化のいいものにしようか?」

「そうですね。あ、なんかおいしいうどん屋さんがあるらしいですよ。」


かりんはこないだの会話を思い出す。


「ああ、駅前にあるうどん屋さんだね。あそこはおいしいよ。あそこにしようか。」


院長は駅に向かい歩き出す。かりんも後を追う。


医院があるビルのほんの目と鼻の先にうどん屋さんはあった。

うどんとデカデカと墨字で書いてあるシンプルなつくりのお店だ。


院長は自動ドアの前に立ち中に入った。すぐ横に食券の販売機があった。


「何にしようか?なんでもいいよ。」

「あ、じゃあ山菜うどんでいいですか?」


「じゃあ俺はえび天うどんにしようかな。」

「あ、あの本当にいいんですか?」


かりんは先ほど承諾したがおごってもらう事にまだ少し遠慮をしていた。


「いいって。たかが五百円くらいのうどん、そんなに痛手じゃないって。何百万とかだったら考えちゃうけどね。」


院長は頭をかきながら笑った。


かりんは近くの空いている席に座った。

院長は隣に腰かける。食券を店員に渡し、一息ついた。

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