ビュー・オブ・デンティスト4
昼休憩は一時半から三時までだ。三時五分前になるとスタッフは動き出す。
かりんもできるところから午後の準備をした。
「あー。藤林君。」
いつの間にか帰ってきていた院長がかりんに声をかけた。
「はい?」
「午後から月夜先生について。」
「あ……はい。」
かりんは仕事上断る事はできなかったが院長ではなくなる事に少し残念な気持ちだった。
「あれ?なんか緊張してるの?」
「え?」
声の微妙なトーンで残念さが出てしまっていたらしいが院長はそれを緊張ととらえたらしい。
「大丈夫だよ。月夜先生はきっついけどきっついだけだから。」
院長は微笑みながら答えた。しかしかりんは余計な不安を抱いてしまった。
……きっついけどきっついって何……?
かりんは不安げなまま月夜先生の患者さんを席に通した。
主訴を聞き、月夜先生に報告。
月夜先生は無言でうなずくと患者さんに優しく話しかけ治療に入った。
カリエス……虫歯を削る治療になった。
かりんはすかさずバキュームを装備して口腔内に入れる。
……が、
「邪魔。」
「あ、すいません……。」
かりんの持っているバキュームは歯を切削する器具タービンで押しのけられてしまった。
これは単純にバキュームが下手だと言っている。
位置を模索してもう一度口腔内にバキュームを入れた。
今度は何にも言われなかった。
……大丈夫なのかな?それともあきれられたのかな……。
月夜先生からはカリスマの雰囲気が伝わってくる。かりんは完全に委縮していた。
そしてかりんとは違い、仕事がパッパと終わっていく。虫歯治療のアシスタントも何度もやって慣れているはずなのにペースについていけなかった。
「次、通して。」
「は、はい……。」
月夜先生は鋭い目でかりんを一瞥すると医局へと歩いて行ってしまった。
かりんは少し落ち込みながら次の患者さんのカルテを眺めた。
名前は鶴亀 鶴さんという不思議な名前の方だった。
……なんか縁起がいいなあ……
そう思いながらかりんは待合室へと向かった。
「えーと……鶴亀様、鶴亀 鶴様―!」
「おおっとはいはい。」
かりんの呼びかけに待合室で座っていた一人の男性がひょいっと立ち上がった。
かりんは彼を見た瞬間に動揺した。
彼は白色の袴を着ていて髪の毛も毛先は黒いが残りは真っ白だ。
そして赤い毛皮のようなものを羽織っていた。
変な格好だが顔は引き込まれる美しさがあった。
秀麗な顔つきというのはこういう顔なのだろう。
……格好も縁起がいいなあ……
そんな事を思っていたら鶴さんがきょろきょろと中の様子をうかがいはじめていたのでかりんは彼を診療室へ入れた。
「こちらのお席ですねー。」
かりんは月夜先生の持ちユニットを指差し患者さんをお通しする。
鶴さんは素直に座った。
「エプロンしますね。」
「あんた、人間だろ?な?」
「え?」
鶴さんのいきなりの発言でエプロンをしようとしたかりんの手が止まった。
「だから人間だろっつーてんの。なんでここにおるの?」
鶴さんはにやっと笑いながらかりんを見つめる。かりんはからかわれているのかと思ったがどことなく彼は本気で言っているようにも聞こえた。
なんて答えたらいいか考えている最中に月夜先生がやってきた。
「鶴。何しにきた。わたしはこういう形で話すのは嫌いだと言ったが?」
「いんや、ちゃんと人間の姿で来たっちゅーの。」
「そういう問題ではない。」
月夜先生は何やら怒っているが鶴さんの方はおどけたように笑っているだけだ。
「それよか、彼女人間だろ?なんでここにおるの?」
「……。」
鶴さんはにこやかに笑いながらかりんを見つめる。
月夜先生は何も言わなかったが顔に少し動揺がみられたような気がした。
「鶴、要件を言ったらすぐ消えろ。それがそなたの為だ。」
月夜先生は鋭いまなざしで鶴さんを睨みつけた。
「ぎゃっ!おお……こわっ……。くわばらくわばら……。」
鶴さんは月夜先生の眼力で完全に委縮したようだ。
……月夜先生がものすごく怖い……。鶴さんとは知り合いなのかな?
二人から少し離れて話を聞いているかりんは不安な顔をして二人を見守っていた。
「そなたは受付に時神がいたのをどうやってかわしてきた?」
「ああ、アヤちゃんの事かい?彼女、神と人間の区別はつくけど人間と鶴の区別はつかんらしいから簡単に入れたよい。」
「……そう。危ない事をする。」
「だがけっこう警戒されておるみたいね。今もこちらをちょろちょろと覗いてうっとおしいくらいの視線を感じるわ。」
二人は声を低くして話す。
「で、要件は?」
「ああ、高天原が本格的に探してきてる。やばいんなあ。という事で。」
「それだけか?」
「うん。」
鶴さんが月夜先生の問いに素直に頷いた。
「じゃあ、話は終わりだ。とりあえず治療した歯が痛みだして痛くてたまらないから痛み止めをもらいに来た事にしろ。」
「設定が長いんよー。」
「いいな。ロキソを六錠出しておく。痛そうにして帰れ。」
「そんな無茶苦茶な……。もうちょっと話して帰りたいんだけどな。」
「いいから。」
鶴さんはがっくりと首をたれながら痛ててと頬を押さえながら待合室へと去って行った。
「あ、あの……」
鶴さんが去って行ってしまった後、かりんが恐る恐る月夜先生に話しかけた。
「何?」
「い、いえ……なにも……。」
「今の事はスタッフに話さない事。」
「は、はい……。」
月夜先生の眼力にかりんは下を向いて頷くことしかできなかった。
そこからまた忙しくなりかりんは一人あたふたしていた。
あっという間に時間が過ぎ、七時過ぎた。
患者さんはもうおらず医院は後片づけで忙しかった。
「ねえ、ねぇ。」
覚える事に必死のかりんにレーヴァンテインさんが話しかけてきた。
「な、なんですか?」
「さっき、変な患者さんきたでしょ?あれだーれ?」
「え?」
「月夜先生と何話してたの?」
変な患者さんとはあの鶴さんしか思い当たらなかったが口止めをされているのでかりんは黙っていた。
「ねぇ?どうしたの?」
「あのですね。私もよくお話を聞いていなくてですね……。歯が痛くて痛み止め出してお返ししたみたいですよ?」
「ふーん。他は聞いてないの?」
「ごめんなさい。聞いてません。」
レーヴァンテインさんがかりんの顔を覗き込んでくる。
「ほんと?」
「ええ。」
「そっかあ。あ、そこのコンセントは抜かないよ☆」
レーヴァンテインさんは超音波洗浄機などがありたこ足回線になっているコンセントを指差す。
「あ、ごめんなさい。」
かりんはそのコンセントを抜いてしまっていた。慌てて差しなおす。
「よし!終わり終わり!」
遠くで小烏丸さんの声がする。小烏丸さんの声は大きいのでよく響く。
「レー、明日技工出しておいてね。」
「はーい☆」
干将さんがレーヴァンテインさんに形取りをした後、石膏を流した石膏模型を差し出す。
模型は指示書とともに入れ、技工所に出す。
技工所で補綴物、銀歯などをつくってもらうのだ。
「終礼はじめていいわよね?」
アヤさんが一同に確認をとる。
「いいでーす☆」
レーヴァンテインさんが元気よく返事をし、干将さんがあくびをする。
小烏丸さんはイエ―イ!と喜びを露わにしている。
アヤさんが医局へ向かい、院長と月夜先生に片付けが終わった事を伝えに行った。
「終わった?はいはい。じゃあ、終礼始めるよ。……今日なんかあった?」
院長が頭をかきながら医局から出てきた。
月夜先生は腕を組んだまま壁に背中を預けている。
「別になんもなかったよ☆」
「そうねぇ……受付は問題ないわ。」
レーヴァンテインさんとアヤさんが大きく頷く。
「まあ、今日は何もなかったな!」
「なかったわね。」
小烏丸さんと干将さんも特に何も言わなかった。
「じゃあ、終わり。おつかれさん。」
「ほーい。」
院長の掛け声でスタッフは慌ただしく解散した。
かりんは素早く院長のもとへと歩いて行った。
「ん?藤林君?どうしたんだい?」
「あの……今日、どうでしたか?なんか私変な事やったりとか……」
「大丈夫、大丈夫。君はよく頑張ってたよ。明日は俺についてもらうからね。」
「はい。」
院長の笑顔でかりんも自然と笑顔になった。
院長は頷くとかりんに背を向けて歩き出した。
かりんはなんだかドキドキする胸を押さえながら院長の後を追い医局へと入った。
……まだ初日なのになんだかこの人から目をそらせない……。
何をしていても魅力的に見えるのは院長の持ち味なんだと思う。
かりんはふふっと笑った。