ア パーソン オブ ザ イヤー
ホウ徳、関羽、于禁。その絵は既に三体であった――
突然ですが、まだ三か月を残した現時点で、今年の顔は于禁に決まりました。
遥かいにしえの人物なのだから、なぜか今年の方から于禁に寄って来たと言うべきかもしれないが、それはさておき、こうなると知っていれば年号には彼にちなんで安遠か文則を私は推していただろう。
その”寄ってきた”とする事例を紹介したい。
警官に取り押さえられ「出頭するから」と叫ぶ男。
既に于禁は包囲後の降伏は無意味だと示している。
モーレツな新人と比べられて肩身が狭いという嘆き。
既に晩年の于禁も同じ目にあっていた。
魏の曹操の墓に飾られた于禁を恥ずかしめるために描かれた絵。
芸術も于禁だ。
かつて魏の五将軍と称えられた于禁。規律違反を裁く権限を与えられ、兵卒に疎まれつつも周囲からは確かな信頼を集めていた于禁。
そんな評価がある出来事でいれかわる。
今、巷で話題の天気。そう、それこそが彼の転機だった。
219年、蜀の関羽が魏領南に位置する樊城に攻め込んできた。魏の曹操は于禁に七軍を預け救援に向かわせる。
私めには七軍の総数が、その全容が分からない。またこの戦の子細を断言することも出来ない。以下憶測を多分に含むことをご容赦いただきたい。
守備を固める城内では、新参で蜀軍に身内と旧君が居るホウ徳の寝返りを警戒して戦列から外そうとする動きがあった。
猛将関羽が攻めて来たという不安。誰が裏切っても敗戦必至というの状況の中、場内は疑心暗鬼に陥った。そこで目をつけられたのがホウ徳だ。
対するホウ徳は己の棺桶を用意させてまでの不退転の覚悟を見せる。昔気質のおしかけ終身雇用。結局ホウ徳は居残った。
まずはホウ徳が城を出て布陣する。恐らくは完全な疑惑払拭とはならず、関羽を迎え撃つとは思えぬほどの寡兵だったのではなかろうか。
後刻、于禁の急行軍がぼちぼち到着し始める。敵は未着だった。
于禁は城から孤立した友軍の旗を見た。はたしてホウ徳であった。寡兵であることさえ于禁の読み通りであった。
ときになぜか関羽には敵味方の垣根を越え、人々を惹きつける底知れぬ魅力があった。例外もいるが、猛将の類いにはそれが特に顕著だ。まったく面倒な話である。
そしてホウ徳はまぎれもない猛将であった。しかし于禁はそういった男こそ戦場では、窮地であればある程裏切らないと、または増兵をこれ幸いに卑怯な真似はしないと知っていた。
しかし兵を貸さなかった。城内がホウ徳を疑うのだから、勝手に七軍を割いて援護してはその方針に齟齬が生じる。于禁は七軍に、ホウ徳軍への編入禁止を厳命した。
そこには于禁なりの考えが、この戦を経て魏軍の団結をより強固なものにするという目論見があった。
まずは初戦だ。関羽と刃を交えれば、城内はホウ徳の武勇に沸き立ち、増援或いは何かしらの動きがあるはずだ。
その時には七軍の内、二三軍ならば指揮権を委ねるのもやぶさかではない。
いわば明日を創る戦いだ。負けこそ許されぬもののしのぎ切ればよい。
ホウ徳よ、それを理解した上でなおも関羽の首にこだわるのなら、いざ樊城に指示を仰ごう。
つまるところ団結のカギは寡兵にも腐らず善戦するホウ徳の姿であり、もしも七軍からこっそり抜けて合流する者が多ければ、この目論見は瓦解する。よって于禁は見晴らしの良い平地に七軍を密集させた。
その時、予想外の大雨により洪水が発生。濁流が七軍を襲った。
戦場は湖と化した。于禁と残存兵は広大な湖の中央に取り残された。その数三万。武器はことごとく泥の底に沈んだ。周囲の水が引く気配はない。
丁度遠くから素人には遠雷と聞き違うであろう、于禁には耳馴染みとなった敵の進軍太鼓が聞こえてきた。あまりのタイミングの良さに洪水は策なのかと疑った。そうではない。平地に密集させたのは他ならぬ自分なのだ。
行軍に渡河を考慮していた関羽は恐らく船で攻めて来るだろう。
武器になりそうな物はあたりに浮かぶ手頃な長さの木片のみ。手分けしてそれらを拾う。
圧倒的劣勢。それでもあり物で、残った兵で戦うしかない。
戦える、まだ戦える。要はコップの中の水をまだ三万と捉えるか、もう三万しかないと嘆くかだ。
于禁は太鼓の連打に促される様に、兵の名を一人づつそらんじた。
遠目に関羽の軍勢が見えてきた。やはり船だった。
隣の兵は蹂躙の予感に素直に動揺した。そいつの頬を汗がゆっくりと伝い、頬を離れ、ストンと自由落下した。
汗は水面に丸く浮いた。なるほど脂汗だ。ヘビに睨まれたカエルだ。
正面を向いた。そこで水面の光に気が付いた。剣か槍かと期待をこめて左手を突っ込んだ。武器さえあれば委縮した兵をいささかでも鼓舞できよう。
しかしまさぐる手に当りはなかった。左手が生んだ波の先にも光が見えた。光は長い帯だった。三万人の脂汗だった。
水面が、己の人影が揺れる。ほんの一瞬鮮明になったその顔は驚くほどに力を失っていた。
「くぅー」っと苛立たし気にうめき、水面をはたく。木片は図らずも手からすっぽ抜けた。
そうか関羽がこの帯で私の力を吸っているのか。于禁は納得した。
それが正解だとでも言うように、脂汗の帯は光の加減で艶やかな黒に、なだらかな蛇行も相まって、まるで関羽のひげに見えてきた。
木片が船へとゆっくり流れていく。誰も追いかけやしない。
そこで于禁は自分が冷静さを失っていることにやっと気付いた。もはや敗軍だ。
皆に木片を捨てさせた。それでも流れ流れた木片が関羽の目を引き、不審に思った関羽が船から身を乗り出し転落するという逆転を望まずにはいられなかった。
于禁は無抵抗の降伏を選択した。
元から部下想いのやさしい上司なのか。兵卒六万の瞳に見つめられて仏心が芽生えたか。
はたまた三万人の降伏により敵の兵糧を消耗させた、カンウンチョウ殺しの立役者だとする説もある。
しかしいずれにせよ降伏を伝え聞いた魏の長、曹操は、三十年来の付き合いとなる于禁を、徹底抗戦の末に斬首となったホウ徳を引き合い出してさげすんだ。覇業半ばにして降伏を是とすれば後に差し支えかねぬという懸念があったのかもしれない。
あるいはそれとは別次元の、否、未来とは真逆の己の失敗の記憶のぶりかえしに襲われ、それがさげずみを招いたのではなかろうか。
曹操は過去に偽りの降伏を信じ、窮地に陥った。寄せる敵兵、その猛攻を命がけで防いだ男達が居た。側仕えの典韋とその部下である。もしも曹操がホウ徳に典韋と似たものを感じていたとすれば、樊城からもたらされた悲報でうけた喪失感はひとしおであっただろう。
捕虜となった于禁は関羽を倒した呉に身柄を預けられ、二年後魏へと送還される。
囚われの間に曹操はこの世を去っていた。于禁は後継の曹丕に促され曹操の墓を訪れる。
そこに置かれていた絵を見た。降伏するみじめな自分と徹底抗戦のホウ徳の事だと一目で分かった。于禁は悔しさと恥ずかしさのあまり床に伏せて亡くなったと伝えられる。
私は違うと、悔しさなんかじゃないと思う。
今年、内定辞退率予測データという秘密の商いが話題になった。提供先が就活中の学生に詫びた。
于禁はホウ徳の恩顧忘却率が高いなどという情報に乗せられてしまった。
于禁は今となっては手遅れだと知りつつも詫びずにはいられなかった。なぜなら彼は(私が独断で決めた)今年の顔なのだから。
于禁はまず曹操の墓前に額づき、次にホウ徳の絵姿と対面する。
絵は真新しく自分の送還に合わせて用意されたらしかった。勇猛とも悲壮とも誇張が過ぎることなく人物の特徴を良く捉えている。于禁を裏切り者と批難し続けた呉の賢人、虞翻にも見せたい位の出来栄えだ。
下部に唾棄と献花を掃除した跡を見つけた。自分に見せるには余計な物だ。墓守の怠慢だと思た。
やれやれ仮節鉞于将軍の復活か。知らず知らずの内に他人のアラを探してしまった。思わず「ふっ」と溜息に似た笑いが漏れた。
ホウ徳の絵姿を見た時に直感した。贖罪にはうってつけの場所。この時を逃せば次はない。たとえ私を恥ずかしめんと用意されたものであろうが感謝しかない。
ホウ徳の最期は呉に留置されていた間、度々話題にのぼった。彼の口からは最後まで恨み節は出なかったらしい。
于禁は虞翻に会うたび何度も罵られ、死を求められた。しかしホウ徳の代わりを務めるには虞翻はあまりにも雄弁過ぎた。呉で死んでは詫びれず仕舞いだ。私の気が済まない。
その虞翻の存在あって、どうにか生きながらえてきたのもまた事実である。心身の衰弱に倒れそうになりつつも、罵られるたび、消え入りそうな魂に喝を入れられた思いがした。
于禁は思った。私をここに導いたのはホウ徳の魂なのだ。ホウ徳は既に魏に、曹操の傍に戻っていた。私が今ここにたどり着いたのがその証明である。
于禁はこの気付きを誰かに伝えたくて身もだえした。傍には狂ったかに見えたことだろう。
曹操廟には後日、新参のホウ徳を含む二十五人の功臣が祀られた。
……壮絶な最期を遂げた英雄は厚く祀らなければ祟り神となる。民がそう噂するのだ。
故に曹操の廟庭にはホウ徳の姿があり、于禁は遠ざけられた。