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Pay法、三十六計

 電子マネーに関して、日本は後進国と揶揄される。

 活況な国、例えば中国とは一体何が違うのか。

 私はその答えのヒントを呉の重鎮に見つけた。


 青年、周瑜は呉の孫家に仕える以前、来たるべき活躍の時の為に、私兵を募り協力者を捜していた。

 過日伝え聞いた、見どころのある男がいるとの噂を確かめに、当人に会に行った。


 彼の名は魯粛。確かに見識深く、乱世に必要な人材に思えた。

 二人は大いに語り合い、別れ際に周瑜は私兵を食わせるための援助を願い出た。


「半分持っていけ」と、魯粛は二つあった倉の片方を与えた。


 その気前の良さは今も語り継がれている。


 しかし片方を差し出したからと言って、それが偏りなく半分と言い切れるのだろうか。一方から満たすか、無意識に仕舞い込めば偏りがあって当然だ。


 恐らく全てを差し出して、そこから半分戻したのだ。

 これこそ最古の50%還元であった。

 当時、ポイントが使えるお店の縛りこそ無かったものの、二人の絆は相当深まったに違いない。


 時は流れ、魯粛は孫権に仕えると、劉備と曹操の間のきな臭い緊張を確かめるために自ら現場に向かう。

 目的地に着く前に、劉備は逃走中との噂を聞いた。もし助けるのなら、もはや一刻の猶予もない。魯粛は孫権に許可を得ることなしに劉備に脱出船を用意する。


 この一連の動きを例えるなら、圧倒的現場主義はまるでグルメ本の予告なしの来店であり、船の手配はまるで砂漠の真ん中で車が動かなくなり困り果てたオーナーに、ヘリで新車を届けるような高級車メーカーのカスタマーサービスだ。


 そう、魯粛の思考原理は電子マネーから、自動車メーカーにシフト済だった……自動車だけに。

 草履売りの劉備を熱心に迎え入れたのも、タイヤサプライヤーとして見込んでの事だろう。


 車好きを証明する逸話がもう一つある。赤壁に快勝後、その勝利の立役者である魯粛が帰還する。

 孫権は部下を引き連れて城門で待っていた。


「子敬(魯粛)よ、孤が自ら馬を手に出迎えることで功を十分ねぎらえただろうか」


 孫権が自称した孤とは、父兄をうしない頼るべき人が居ない者という意味であろうか。

 勝利の城内パレード用の馬。あるじ自らがその馬番を買って出る。功労者への異例中の異例待遇であり、あえて口にすることで感謝を強調した。


「いいえ」と魯粛はコンビニの不機嫌な客の様に答える。


 馬にまたがり鞭を天に掲げて言った。


「あなたを高級車に乗せたい」


 二人のIQの違い故か、はたまた私の勉強不足か、ハタには会話が成立していないように思える。

 しかしこれを聞いた孫権は都合よく解釈したのだろう、いたく感激したらしい。


 それはさておき、当の魯粛の真意はこうだ。

 やっぱり馬じゃ駄目だ、車がいい。自動運転なら馬番は不要になる。

 さらには最近の車は「ハーイ、調子はどう?」なんて聞けば返事をするのだ。もう孤独なんて言わせない。

 そして門で促されるまま乗馬した刹那、オープンカーも悪くないなと思った。魯粛は自然と鞭を振り上げていた。

 とかく魯粛は自動車のことで頭が一杯だった。


 その後の孫権陣営は、様々な人材の力を駆使して領土争いを繰り広げる。

 張りぼての城壁(徐盛の策)をつくったり、8つも入口のある複雑な陣(石兵八陣)を敷くなどの奇手で強敵に当たった。

 他国の空城の計の行き過ぎたノーガードほどでないにせよ、急造や複雑にし過ぎるのは悪い兆候だ。ひとたび突破口がみつかれば脆いものであろう。

 しかし敵との国力差や時間により、そうせざるを得ない状況にあった。

 加えて人材の入れ替わりも早かった。現実は非情である。


 閑話ではあるが、先に述べた空城計の中でよく知られた孔明のものが紀元228年、対する日本で有名な家康の空城が1573年。この年月の隔たりこそが、海外からの不正アクセスを防ぎきれなかった要因ではなかろうか。


 尚この話にオチはないと、あらかじめ明示しておきたい。

 インフラ話にオチは不吉であり、なにより事実は小説より奇なりと……そりゃあ現実であんな壮絶なオチを見せられたら、こちとら商売あがったりですわ。


 曹丕、劉備に次いで孫権が皇帝を称する。

 その約三十年前の魯粛のとある言葉を孫権は鮮明に覚えている。


”あなたが皇帝になりなさい”


 まるでコンビニバイトにノルマ協力をお願いするような気安さだった。

 三国鼎立(ていりつ)前の群雄ひしめく最中の提案だ。それが凶と出る可能性は高い。

 魯粛が求めたのは、心構えか、表現の自由か、もし孫権が快諾していたら、そこにいかなる勝機があったのか。

 その三十年後、孫権は皆に言う。


「魯粛は予見していた」


 令和元年、増税を前に乱立する電子マネー。三十年後には群雄割拠ははたして収まるのか、それとも激しさを増すのか。

 一瞬で消えた至弱マネーは華々しく再興し、迷惑を掛けた人々を含め、みなに愛される存在になっているだろうか。


 そして「他は淘汰された。あの幹部は予見していた」と孫権を唸らせることはできるのだろうか。

 ついでに令和の魯粛が現れて、東京モーターショーは以前の華やかさを取り戻すことができるのか。


 いずれにせよ、願わくばチャージは2社に抑えたい。

 もしも還元ブームが本当に魯粛由来だったとしても、過度な競争に釣られることなく、彼の倉の数にあやかりたいものだ。

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