筋肉先生
筋トレブーム到来。
いまやその勢いは凄まじく、迂闊にも「泣く子も黙るチョーライライ」などと口ずさめば、こちらがオリジナルにも関わらず、替え歌認定されかねない。
そこで流行りに乗って考えてみた。
三国志の中で一番、筋肉トレーニーとして優秀な奴は誰か。
重要なのは筋肉自慢ではなく、筋肉への理解である。
令和元年7月25日6時34分 私の疑問に園児がさっそく答えてくれた。
\ふつうにきれいじゃん/
よもや全国区の電波に乗った発言だ。信用に値する。
それでなくともいたいけな幼な子に二言は無いだろう。
紀霊について特に有名なのが、関羽との一騎打ち。それは休憩のはずがなし崩し的に終了したという煮え切らない結末のものだ。
紀霊が扱うのは重さ11キロの三尖刀、関羽の奴よりずいぶん軽いが、他人と張り合わず自分に合った物を使うのが肝心だ。
その得物を手に、打ち合うこと三十合。そこでとある言葉が紀霊の口をついて出た。
「休憩だ」
ごく自然だった。なぜなら普段から10回3セットが習慣づいていたからだ。1セット毎のインターバルを我慢して、相手につきあった自分を誉めて欲しいくらいだ。
互いに数歩、距離を取る。
関羽が首筋の汗をぬぐうや言った。
「いざ、続きを」
紀霊は困惑した。
解せない。休憩と言えば24~48時間ではないのか。
次はスクワット勝負ならいざしらず、乳酸でいい感じに両腕パンパンの紀霊は頑なに拒否した。
休息は関羽の為でもあるので、次に挑もうとはやる副将を止めた。こうして一騎打ちは終わった。
翌々日、疲労完全回復後、つまり再戦の時、両陣営がぶつからんと対峙するただ中に、背中がこちらに歩いて――いや違う、奴こそがどこから見ても鬼神そのもの、呂布である。
呂布が袁術と劉備、すなわち紀霊と関羽が属する両陣営の休戦を願い出る。
一騎打ちさえ避ければ袁術軍が数の上で優位だったとか、弓矢がどうしたとかは我ら筋肉フェチにはこの際どうでもよい。
もっとも紀霊が呂布の筋肉に魅せられた時点で既に結果は見えていたのではないか。
それはさておき、注目すべきは呂布との約束を守る紀霊のストイックさである。誘惑に打ち勝つ心はボディビルダーには欠かせない。
後に紀霊は、鬼神の娘を一目見たいとのミーハーか、いづれはその血筋と自身の子孫を交わらせたいとの深謀か、呂家と袁家との縁談を提案した。
時は流れ、袁術放浪の段。炎天下、袁術が蜂蜜入りの水を欲した。
蜂蜜、できればスズメなハチのアミノ酸混合物が望ましい。
疲労回復を狙った随行者、紀霊の助言あっての要求だ。
演義には張飛と10合余り打ち合って倒されたとある。
先の一騎打ちで技を見破られていたのか。栄養不足だったにせよ、あまりにもあっけない。
いや違う。じつは張飛に飲み比べを挑まれたのだ。そして10合で負けたのだ。
それはアルコールの大量摂取は筋肉に悪影響を及ぼすというボディビルダー紀霊の「俺みたいになるな」という体を張った最後の教えに違いない。