竹林で踊ろう。今日の賢者は7人。
飯処でゴホンと咳をすれば居合わせた客や店員に白眼視される今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
白眼視の由来となった男(阮籍)が所属する竹林七賢。彼らの愛したお酒が今じゃ自粛の対象だ。悲しい限りではないか。
いや違う。オチをあらかじめ言ってしまえば、酔態こそが彼らの生きる術だったのだ。いのちがだいじ、その点にブレはない。今も昔も変わらない。
私がなぜ七賢に興味をもったのか。それは海外から届く怪しい種騒動に起因する。
恐らくは通販サイトのでたらめ評価のためだろうと目星をつける者が居る。それが正解なのだろうが、とにかく迂闊に撒いて生態系を乱してはいけない。燃えるゴミに出しても、まかり間違って埋めた大地から発芽しないとも限らない。
そこで紹介したいのが七賢(王戎)だ。彼はスモモの実を売る時、実を増やされぬように種から芽が出ぬ様に細工する手間を惜しまなかった。
我々はどうするべきか。ニュースで見た袋入りの種は小さくそして多い。細工が面倒ならば、開封せずに近くの郵便局に届け出るか最寄りの植物防疫所に相談することが推奨されている。
七賢は預言者なのか。混迷の世の導き手なのか。どうにもそんな気がしてならない。
例えば七賢(阮籍)が酒を飲み過ぎて血を吐けば、もはやうがい薬ブームの異常な過熱をたしなめているとしか思えない。ポビドンヨードは赤色なだけに。
ではこのコロナ禍、彼らに学べば良いのかというとそう簡単な話ではない。
彼らは酔うことで多少の失言を見過ごしてもらう腹積もりがあった。曹氏から司馬氏へ権勢が移り、粛清の風が吹き荒れる中、酔いどれにはおおらかな時代であったらしい。
今、同じ事をすればどうなるか。店員に向かって「オレコロナ」とつぶやけば、赤ら顔でも即逮捕だ。たった五文字の失言が、すったもんだの末、賠償・示談で散財し、失職の憂き目に会う。
失言繋がりで言えばリモート飲み会も危険度MAXだ。
酒は時に人を正直にさせる。帰りの心配がないからとつい飲み過ぎてしまうのだろうが、ついうっかりの失言には是非とも注意されたい。
酒席の会話は七賢(阮籍)のようにあやふやな妄言でいい。
コロナが生活を一変させた。リモート会議の上座はどこだ、部下の正しい切断の仕方はこうだと勤め人は大混乱である。
そんなものは無いと一蹴するのもいい。ここは俺の家だと全裸で居るのも自己責任だ。
しかし新しいルール全てをつっぱねる必要はない。良いものは取り入れて後に伝えればよい。
七賢(阮籍)が五言詩を育んだように。
新しい生活様式。時には主義に反する選択を迫られる事もあろう。七賢(山濤)が曹一族の軟禁にくみした時、相当悩んだに違いない。
我々は試しにパスタを噛まないでみよう。どんなにアホらしくとも、騙されたと思いつつもやってみるのもこれまた一興だ。
あてもなく馬車で出かけるのが趣味の七賢(阮籍)。彼は行き止まりで泣くらしい。泣いて帰路につくらしい。
これが示すものは何か。新型コロナが消え去って、いざ日常が戻ったときに我々が目にするものは寂しいシャッター街なのか、はたまた財政の袋小路を意味するものか。判断に悩むところである。