私はなんでも知っている
今は日曜日の朝。
公園には小鳥が囀り、朝の爽やかな風が木々を揺らしているはずであった。
だが実情は、小鳥が公園から逃げていき、爽やかな風は私の前から発生する爆風に完全に掻き消される。
本当に風情もクソもない。全部がこの野蛮な二人に潰されていた。
「やるなぁ、兄ちゃん。その調子でどんどん来い!」
「ちぃ、ホントに腹立つ面だな!」
私はそんなやり取りと目で追うのもやっとな程の高速の拳打の撃ち合いを、いつもナカケンさんの座っているベンチから眺めるしかなかった。
「ハックチュン!」
失敬、ここにいると砂が舞ってくしゃみが止まらなくなるのだ。あと顔面から砂がかかるからすっごい気持ち悪い。
顔、髪、身体、すっごい洗いたい。
てか二人とも午前中はこれしかしてないし、一旦家に帰ってシャワーでも浴びてこようかな? てかそうしよ。
「ナカケンさん、拓磨。私、少し家に帰ってシャワー浴びてきます。午前中のうちには戻ってきますので」
「あいよ。了解!」
ナカケンさんはチラと一瞥するとそう答え、こちらにウインクを飛ばしてきた。
「あ、そういうのいらないんで」
私はその言葉だけ捨てて、自宅へ向かった。
× × ×
私の家は野梅公園からそう遠くはない。と言うかむしろ近い。徒歩で10分もかからないだろう。
野梅公園を南へ下り、坂織宮駅から離れるように進むと住宅街の中にある築二十年、二階建てのアパートが見える。そのアパートの二階が現在、私が生活している自宅だ。
私はそのアパートの階段を登り、自宅の前に立つとガチャと音が鳴り、オートメーションの扉が開く。
靴を脱ぎ、早速洗面所へ向かう。
「ここまで砂だらけだとやはり洗濯しないといけないよね……」
まだ半日も着てないのにもう洗濯機行きとは……。あの二人許すまじ!
私は色気の欠片もなく、服を洗濯機の中に投げ入れると足を踏み鳴らしながらお風呂場へ入った。
さて、ここからはちゃんとお色気ムンムンの男の子大興奮な表現満載である!
お風呂場の扉が閉まると私はシャワーを脳内指示して浴びる。私の少し紅潮した、というか色気を出すために無理矢理紅潮させた柔肌を水が流れ伝う。
「ふぅ……」
とりあえず唇を潤ませてそんな吐息を吐いてみる。これで男の子は大興奮なはず。
そして化粧を落とす。だが、その間も私は一つのことに頭いっぱいであった。
……それにしても随分と砂が髪の毛に残ってるな。気持ち悪いし、絶世の美女たる私の尊厳に関わる事態だ。
ということで私はシャワーを一旦止めて、手のひらにシャンプーをとり、手で広げ、頭を洗う。
私のしなやかな指が艶やかな髪を撫でる。
……いや、撫でるだけじゃ砂は落ちない。現実そんなに甘くなかった。ということでワシャワシャと力強く豪快に砂を髪の毛から掻き出す。
クソッ、思ったよりずっと髪の毛の中に入り込んでる!
私はそんなしつこい砂と格闘すること20分。
「や、やっと取れた……はず……」
私の髪はたいして長くもないのにこんなに手間取ってしまった。まだ10時だと言うのに疲れた……。
だが、私を疲れさせた二人のためにも私は再びあの公園へ向かわねばならない。
「あの二人、放っておいたら何するか分からないからね」
私は体の砂も洗い流し、バスタブの縁に座ると何故かホッと脱力した。
「これから公園に戻るにしてもすぐにお昼になっちゃうよね……」
そう考えると凄い行く気が無くなる……。
はぁー、このまま行くのやめちゃおうかなー?
なんて思ったがやっぱり放っておくわけにも行かないし……。
「そうだ。なんか買っていって公園で食べよ」
バイトも風邪ひいたとか言って休も。
私はよく『真面目な子』と言われるが結構こういう嘘を躊躇いもなくついてしまう、ある意味でのぶりっ子なのである。まぁ、こういう自分は結構好きだったりするんだけど。
私は心が決まるとお風呂から上がり、体を拭く。ちなみにもうお色気シーンは諦めた。私には無理なようだ、残念ながら。
だからこれからのシーンは実に雑だ。
私はサッとタンスから服を取り出し、ぱぱっと着替え、髪を乾かすと化粧をし直す。
そうして気づくともう一時間経っている。
「もうこんな時間かぁ」
また行きたくなくなった。てか家を出たくなくなった。
「でも、もう化粧もしちゃったし出ないともったいないよね」
人間、行動し出してしまえば案外その気になったりするものだし。
と、いうことでとりあえずバイト先に休みの連絡を入れてから家を出る。そして近くのスーパーマーケットまで歩いてみた。
よし、ここまで来たらもう後戻りなんて出来ないわよ。正幸奈!
私は自分にそう言い聞かせ、踏ん切りをつけさせる。こうでもしないと意思の弱い私は、すぐに家に引き戻されてしまう。
そんな自分を克服した私はもう無敵! アニメやマンガでもよくあるでしょ?「己に勝つ」ってやつ。今まさにそれを達成したところです。
さて、生まれ変わった私はキリリとした顔でスーパーマーケットに入っていく。そしてカートを従えると早速買い物タイムである。
さーっと経路を順に流れていく。
「えっと、とりあえずおにぎりを違う味二つずつ三種類」
するとカートがおにぎりコーナーの前へ行くとおにぎりが押し出され、カート上部の投入口に入っていく。そしてカゴのある下部へ降りていったのだろう。何やら物々しい音が聞こえる。
ちなみにカートは投入口以外は覗けるようなところはなく、カゴを覆っている下部は全くもって見えない。見た目はコンビニの前とかにある燃えるゴミのゴミ箱のようだ。それが私の脳内指示に従って動いているだけ。
なんかそう考えると大昔のアニメの料理前のショッピングシーンによく見る自分の手で動かすタイプのカートの方がまだ味気があって良かったかもしれない。
怠惰というのは怠惰が許されない環境でこそ、最高の愉悦として働くのであり、なんでもロボットが、人工知能がやってくれる現代において怠惰はむしろ苦痛となっているのかもしれない。
ショッピングも昔は随分と楽しかったのではないかと思う。いや、そんなことないか。彼らにとってはそれが普通だったのだし。
ショッピングと言えば前回のショッピングは随分と驚かされた。何故か毎度襲ってくるロボットに見違えるほど強くなった拓磨。そして、ナカケンさんのあの力。未だに疑問だらけだ。
とまぁ、こんな具合であっちこっちへと思考を飛ばしているとあっという間に買い終えてしまった。
カートに精算の指示を送る。すると視界に『¥1350』の表示が現れた。
三人だとやっぱり結構するな。大したもの買ってないのに。
私は決済するとカートの下部から静かにカゴがスライドして出てくるとビニール袋に包まれた購入した商品が現れる。それを手に取り、公園へ向かおうとした時、後ろから思いがけない声がかけられる。
「おや、幸奈くんじゃないか?」
私が振り向くとそこにはボサボサの頭に白衣を纏った一人の少し老けた男性が私と同じくビニール袋を片手に握り、こちらに微笑みかけていた。
「やっぱり幸奈くんじゃないか。久しぶり」
「……瀬尾教授!」
× × ×
「それで?」
「それで、とは何でしょう?」
「彼だよ彼。英雄くん」
「ナカケンさんですか?」
「そうそう、どう? 一ヶ月ほど一緒にいてみて」
買い物を終えたあと私は、『臨時報告』と言われて半ば強引に瀬尾教授にスーパーのイートインスペースに連れ込まれた。
「まぁ、なんというか確かに強いけどそれを凌駕するほど間の抜けたオッサンですね」
「あらま、相変わらず辛辣な評価をするね」
「思ったことを言ったまでです」
実際、色んな疑問はある。だが、現状分かっているのはこれだけだ。言うのを待つと決めたのだからこれ以上、踏み込む気もないし、踏み込む必要も無い。
だからこれしか言えないのだ。
「君は興味湧かないのかい? あの圧倒的な強さの理由とかまぁその他諸々」
「気にはなっています。でも踏み込む気はありません」
「君はそれでいいのかい?」
瀬尾教授はニヤリと微笑んだ。その時の薄く開かれた瞳の奥は深淵で吸い込まれそうで、落ちたら終わってしまうような恐怖を感じた。
「……はい」
私は恐る恐る答える。
すると途端にいつもの表情に戻り、腑抜けた声で話した。
「そうか!」
この人も大概、素性の読めない、心の読めない不思議な雰囲気を持った人だ。まぁナカケンさんのそれとは少し異なるが。
私が報告終了と思い、席から立とうとすると瀬尾教授は尚も言葉を続ける。
「それで、彼はどうなんだね?」
また『彼』と抽象的な言葉が出てきた。
「ナカケンさんじゃないですよね? 誰ですか?」
「彼だよ彼。パワードスーツの階級持ちくん」
また似たような言い回しだ。だが、今回のものは疑問を投げかけなければならない。
「まさか拓磨の事ですか? なんで瀬尾教授が知っているんですか!?」
瀬尾教授は持っていた缶コーヒーを口へ運ぶ。そして口から離すとニヤつきながらこちらをゆっくりと舐めるように下から上へ眺めて言った。
「何故って当たり前だよ。私に知らないことなんてないさ。全部、何もかも、完璧に、完全に、把握している」
「……」
唖然である。こんなこと堂々と言われて動揺しない方がおかしい。何もかも知っていると言いきれる人間が本当にいるとは……。そんなこと言える人間は本当にそうであるか、あるいは井の中の蛙か。
でも、瀬尾教授に限って後者は無い。彼は無知では決してない。私は昔、自分より頭いい人間など居ないと正直思っていた。しかし、そんなことはないと初めて思わせた人間がこの瀬尾教授であるからだ。実際、実績も相当なもので、我が校の電子工学の教授にして、ノーベル物理学賞受賞者。私たちが埋め込んでいる脳内マイクロチップの製作を行った実験チームのリーダーだ。開発は無論のこと、一般運用まで漕ぎ着ける事が出来たのもこの人の功績が最も大きいと世界に言わしめた天才である。その人が、教養が溢れ出していると初めて思えたこの人が井の中の蛙であるわけが無い。安易にそんなことを言うはずが無い。
だとすればホントに何もかも知っているというのだろうか?
私は戸惑いを隠すように彼の言葉を茶化す。
「何ですか? 臥煙伊豆湖かなんかなんですか?」
彼は笑いながら私の瞳を探るように見つめてくる。
「どうしたんだい幸奈くん。いつもの君ならそんな明確な言い方しないで『怪異の専門家の元締めかなんかですか?』とか遠回しに言うと思うのだが?」
そんな些細な、自分でも気づかない様な小さな違いだ。
「──何か焦っている?……いや、戸惑っているのかな?」
その微かな違いで私の心を見事に見透かしてくる。
まるで、何もかも知っているかのように。
「わ、私だってたまには違う言い方だってしますよ。同じじゃつまらないですからね。それよりさっき言ってた拓磨のことについて教えてください」
気持ち悪い。
私はそう感じて無理矢理話を戻した。
「うーん、そうだねぇ。それじゃあ幸奈くんとは関わりが無くなったであろう中学卒業後から話そうか」
そう言うと彼はなんだか台本でも読んでいるかのように、一定で完璧な迷いの一切がない言葉を話し出した。
「中学卒業後、月守拓磨は陸上自衛隊高等工科学校に入学。卒業後そのまま陸上自衛隊に入隊。そして現在は3等陸曹。彼は高等工科学校時代に全ての教科、一般教育、専門教育、防衛基礎学の全てにおいてトップの成績で卒業しており、実践で活躍する今でもその技術、特にパワードスーツの扱いや戦闘技術の高さを遺憾なく発揮している。そしてこの度、特別な極秘任務に任命されたそうだよ?」
「……なんで極秘任務をあなたが知っているんですか? それはもう極秘じゃないですよね?」
「だから言ってるだろう? 私はなんでも知っている。分かるんだよ」
「そうですか……」
ここまで言われてしまってはもう言い返せもしない。本当に普通に強キャラ雰囲気を醸し出してんじゃねぇよ。
「他に聞きたいことはあるかい?」
とても優しく思える冷徹な声で彼は私にそう問うた。
私は彼に聞いていいのだろうか。彼に質問すると何故だか罪悪感を覚える。どこかに落とし穴があるのではないか。ファンタジーでよくある悪魔との契約。快楽に溺れて堕落していく物語の主人公を演じているようなそんな底知れぬ恐怖を感じていたのだ。
だがひとつだけ、どうしても知りたかったと思っていることがある。
私はその質問を無意識の内に声に出して尋ねていた。
「何故、人を襲うロボットが未だにいるのでしょう?」
これがここ最近、私がずっと考えていた事である。人類抹殺戦争時に人類を殺そうとする人工知能達は全てナカケンさんの手によって滅ぼされている、はずだ。
なのに何故、ナカケンさんは未だに襲われているのだろうか?
そして、まだ戦争時のロボット達が存在しているのだとしたら何故、全く話題にならないのだろうか? 人々は何故、以前の私のようにもう存在しないと思い込んでいるのだろうか?
それが未だに疑問である。
例えば前回の四本のアームを持ったロボットは多くの人間が見ている。だが、全く話題になっていない。忘れ去られているかのように。
すると瀬尾教授は突然、腹の底からのおぞましい笑いを堪えていた。
「……フ、フフフ………アハハハハッ! 本当に君は鋭いのか鈍感なのか分からないね。素晴らしい洞察力と勘の悪さだよ! 流石、私の選んだ人間だ!」
瀬尾教授はそんな侮辱だか賞賛だかよく分からない評価を下しながらひとしきり笑うと涙を拭いながら私の質問に答える。
「では君の質問に答えるとしよう、幸奈くん。何故、人を襲うロボットが未だにいるのか。それはまだ戦争時のロボットが全滅していないからだよ。だが君はそんな結論では納得しないのだろうね。何故、あれほどの被害を出しておいて話題にすらならないのか? 英雄は何故、再び人類のために戦わないのか? でも私はそれを答えられない。答えるととっても私に不利益なのだよ。故に知っていても教えられない」
彼は頭を抱えてこう答えた。
随分と歯切れが悪く、スッキリとしない。
私がそんな感情を表情に出していると彼が向き直り、再び私の瞳を見つめた。
「でも一つヒントをあげよう。科学者は真実を疑え。それが君に教えた最初の言葉だったよな?」
「……はい」
去年の四月、初めて瀬尾教授と出会った時、私だけに言った言葉だ。
「つまりそういう事だよ」
そう言うと彼は、クビッとコーヒーを全ての飲み干す。
「それじゃあ、そろそろ大学に戻るとしよう。幸奈くんもちゃんと課題に励むように!」
瀬尾教授は席を立つと空の缶コーヒーをゴミ箱に捨てて、スーパーを出ていった。
本当に何なんだ、あの人は……。
× × ×
そして、スーパーを出た私は野梅公園へ戻る。すると遠くからでも風を切るような音が響いていた。
まだ飽きずにあんなことやっているのか……。どうして男の人ってこうも馬鹿なんだろうか?
と、小馬鹿にしながら公園へ入るとそこには思いがけない光景が目に飛び込んできた。
ギャグ漫画の如く手足を忙しく動かして走るナカケンさん、電灯の上にどっかの英雄王の如く乗る拓磨。そしてナカケンさんのあとを学園都市の警備ロボットみたいな丸い円柱型のロボットが追いかけていた。
「一体、何があったの……」