3時32分。
窓の外は見慣れた街並みから久しぶりに見る木々に変わり、やがて見知らぬ水平線が見える。
「海着いたー!」
「ついたー!」
案外と何にもなく着いたな。よかったよかった。
「キモリくんも誘ってあげれば良かったかな?」
「人の幼なじみを第三世代の御三家みたいな言い方しないでください。彼の名前は月守です」
「失礼、噛みました」
「違う、わざとです」
「かみまみた」
「わざとじゃない!?」
「かれはみた」
「突然始まるサスペンス!」
すると、ナカケンさんは突然その場で洋服を上下共に脱ぎ出す。
「何やってんですか、ナカケンさん!」
「何って、水着に着替えたんだよ」
小学生か!
「じゃあ私達はあっちで着替えてきますからナカケンさんはせめてその洋服くらいは片しておいて下さいね!」
「ほーい」
私と心葉ちゃんはナカケンさんと別れて女子更衣室へ向かった。
それから約15分。
私たち二人はそれはもうこの上なく愛らしい水着姿で元の場所に戻るとそこにナカケンさんはいなかった。
あの人、また勝手にうろちょろと……。ビーチでかわいい女の子見つけてナンパでもしに行ったのか? それともまたマグロ漁のアルバイトでもしてるの──。
そんなこと思い、意地の悪い微笑を浮かべている美少女、正幸奈19歳は遠目に見える見慣れた彼に焦りと呆れを覚える。
「おーい、お嬢ちゃん!」
彼が腕を振り、私を呼ぶ。
しかし、その振った手には何やらピンク色した不思議なものだった。
「やぁ、お嬢ちゃん早かったね!」
「ナカケンさん、それは一体なんですか?」
「ああ、これ? 海にポイ捨てしてあったんだよ! 母なる海に向かって許せないよね!」
「ナカケンさん、それは多分ポイ捨てじゃないです。ポイ捨てじゃなくてポロリです。リリースしてきてください」
てか、ナカケンさんはその二つ連なる三角形の布地を本気でゴミだと思ってるのか?
「あ、このビキニはポイ捨てされたものじゃないんだ」
そう言って彼は海にお帰りと放流イベントにでも参加しているかのように穏やかな目でビキニを海に流した。
てか、ビキニって知ってたなら最初っから触れるな!
「それで、その肩にかけてる大きな箱はなんですか?」
「ああ、これ? クーラーボックスだよ? 知らないの?」
「いや、そうでなくて中は何が入ってるんですか?」
「もちろん魚だよ!」
……やっぱり。
「ナカケンさん、今は自然生物捕獲禁止法で動物はもちろん、野に生えてる草すら自然の生物なら捕獲、販売その他諸々禁止なんですよ」
つまり、この現代のスーパーに並ぶ食品は全て養殖や人工栽培の商品ということだ。
「じゃあこれも?」
「はい、リリースしてきてください」
今度は涙目になりながら本当の放流をしていた。
「さようなら、晩飯」
愛が欠けらも無いな、この人は。
「それよりもナカケンさん、何か言うことないですか?」
「ん? ああ、可愛いね!」
おお、分かってるじゃないか! ナカケンさんのくせに珍しい。
「その水着」
前言撤回。やっぱこの人分かってない。何にも分かってない。
「おチビちゃん、めっちゃかわいいよー! 食べちゃいたい!」
「このは、オジサンにたべられたくなーい」
なんか最近、ナカケンさんの私に対するイメージが分かってきた気がする。
ナカケンさんからして私ってたぶん──。
「お嬢ちゃん、向こうで遊んできていいかい?」
「ええ、別にいいですよ」
「じゃあそこに立ってるパラソルとビーチチェアとこのクーラーボックスよろしくね!」
おお、ビーチチェアまであるなんて用意周到だな。
「わかりました。いってらっしゃい」
「いってきまーす!」
「きまーす!」
保護者だよなぁ……。
子供とか女性とかそういうのじゃなくて保護者扱いなんだよなぁ……。あっちの方が確実に年上なのに。
私はナカケンさんにほとほと呆れながら、その大きな背中を見送る。
さてと、それじゃあ私は波の音でも聞きながら優雅なバカンスを楽しみますか。
私は何をするわけでもなく、目の前に広がる青空を眺めていた。ちょっとかっこつけてサングラスなんてかけちゃって。
まぁ、光とかは意識操ってどうにかなるものじゃないから物理的に防ぐしかない。どんなに科学が進歩してもどうにも出来ないことってやっぱりあるものだ。
それにしてもこうやって遊びに来たのはいつぶりだろうか? いや、もちろん最近遊園地行ったりしたよ? けど結局、なんか事件に巻き込まれて思いっきり遊べなかったし、休めもしなかった。言うなれば心の安息がココ最近全くなかったのだ。
大学入学してからの一年間はひたすら勉強して、坂織宮大学に入学した唯一の理由である瀬尾教授に接触するために色んなコネクション作りに精を出していたから休むなんて考えもしなかった。そして、やっと会えたと思ったら二年生になるのと同時にあの人は「もう大学には来なくていい。君は常識から抜け出すお勉強をすべきだ」とか言ってナカケンさんのところへ課外活動として強制的に行かせた。ほかの科目の履修もしなくていいとか言って完全に大学という環境から置き去りにして。今更ながらいくら名誉教授でも無茶苦茶やり過ぎだと思う。しかも何故か私のためだけに。
それ以降は知っての通りの非日常の日々だ。
寝て、食って、戦うのを見て、呆れて、泣いて、そして笑って────。
× × ×
──体が揺れている。
僅かにではあるが、確かに体が揺れている。
重い体と目を持ち上げようとすると、オレンジに輝く斜光が私のそれを押さえ込んだ。
なんだこれ、どこだここ?
そんな状況を理解していない状態の時、甲高い声がまだ覚醒していない頭に響く。
「オジサン! おねぇちゃんおきた!」
すると、それとは対照的な低い声が私に尋ねる。
「やっとお目覚めかい、お嬢ちゃん?」
「……ここどこですか?」
「車ん中」
彼は即答し、私の思考は停止した。
あれれー、おっかしいぞぉー?
「海に私たちいましたよね?」
「居たね」
「ここどこですか?」
「車の中」
「なんで?」
すると、心葉ちゃんが元気よく手を挙げる。
「おねぇちゃん、ねてたから! かえろっていってもおきなかったから!」
だから、起こさずに連れて帰ったのか! この人でなし! 私、海来て、水着に着替えて、寝て、帰る! そんなこと望んでいたと思っているのか! もちろんバカンス気分でビーチチェアの上で寝っ転がることは望んでいた。けど、ずっとそこにいる気は無かったから! 私も泳ぎたかったから!
けどそんなこと言ってもキリがない。諦めの早い私は深い溜息と共に憂さに沈む気持ちを吐き出す。
「ナカケンさん。私の荷物、助手席にもありますよね? 取ってください」
すると、ナカケンさんはポリポリと頭を掻きながら言う。
「それはちょっと無理」
「いや、いくらセンサー認知のみの自動運転でもずっとハンドル見てなくていいんですよ?」
「いや、自動運転じゃなくて手動運転だから無理」
「へ?」
手動運転? 手動運転ってことはGPSのマイクロチップ感知もセンサー感知も搭載されてなくてナカケンさんがハンドル握って運転してるってこと? ナカケンさんが誤操作したら私たち死ぬかもしれないの? 私たちの命はナカケンさんに託されてるっていうの? というかこれ、道交法違反じゃないの?
「ナカケンさん」
「ん?」
「降ろせぇ!!!!!!!」
「え、えっ!? お嬢ちゃん急にどうしたの? そんなこと出来ないよ! それにすぐ着くし!」
「自動運転じゃない車なんかに乗ってられるわけないじゃないですか! 殺す気ですか!? 止まらないなら飛び降りますよ!」
「そっちの方が自殺行為だよ! 落ち着いてお嬢ちゃん! すぐだから! あと5分で着くから!」
私はどうどうとナカケンさんに宥められながらなんとか車内で着席する。
そして、私はシートベルトと心葉を抱きかかえて石像のように固まった。
「おねえちゃん、くりゅしい……」
私の胸に押し付けられて心葉ちゃんは口呼吸が出来なさそうではあったがそんなこと言ってる場合じゃない。もしも事故が起こった時、私の胸がクッションになって心葉ちゃんだけでも助かれば!
それから幾許かしてから車は速度を落として停まった。
「お嬢ちゃん、着いたよー!」
……生きてる?
私は手を開いて閉じて、深呼吸して、五体満足か手で触れて確認する。頭ももげてない。
よし、生きてる!
自分の生存を確認していると私の胸からぷはっと心葉ちゃんが顔を出す。心葉ちゃんはじっと私の顔を見つめた。どうやらなんで苦しいと訴えても解放してくれなかったのか疑問だったみたいだ。
「心葉ちゃんごめんね。でも危なかったから」
と説明してみたもののこれだけではもちろん納得することもなく、小首をかしげながら車を降りていった。
そうしてやっと私は胸を撫で下ろす。ほんとに死ぬかと思った……。けどよくよく考えると命綱無しのお姫様抱っこの方が危険だよな……。昔はこの車で走ってたわけだし。まあかなり事故も多かったようだけど。
すると、ドアを開けてナカケンさんが覗いてきた。
「お嬢ちゃん、そろそろ車小さく戻すから降りてくれないかい?」
「あ、はい」
車小さく戻すって……なんてパワーワード……。
とりあえず私は車を降りた。
だが、その時から何故か違和感のようなむず痒い感覚を覚える。
なんだこれは? むず痒い。そこばゆい。私は手を後ろに回し、背中を掻くもさらにその感覚を強くした。
だめだ。放っておくしかない。収まるまで。
だが、その感覚は終わらない。
夕飯を食べている時も、歯を磨いている時も、お風呂に入っている時も、テレビを見てる時も。
しかし、人間というのは睡魔には勝てない。深夜一時、私は静かにベッドに沈む。
× × ×
──カチカチカチと頭の中で音がする。
3時32分。
昼に寝たせいか、未だにむず痒さが消えないせいか、私は何故か目が覚めた。
気持ちが悪い。最初の感覚はそれである。そして次に、腰のあたりに何やら重みを感じる。
「……心葉ちゃん?」
私の上には見慣れた少女。そして、見慣れた黒い得物がカーテンの隙間から射す月光に照らされ、輝いた。
「──さようなら。おねぇちゃん」




