英雄のお宅、お掃除大作戦!
「汚ったな!」
私は思わずそう叫んでいた。
「グファ! ……だ、だから連れて来たくなかったんだよ……」
「そ、それでも豪邸ですね。腐っても鯛って言いますし、汚くても豪邸は豪邸ですよ!」
「今さら誤魔化しても無駄だよっ! それに結局汚いってことだし……」
うわー、めんどくさそう。これはいじけるとなかなか機嫌直してくれないタイプだな。
私はさっきのナカケンさん並に引きつった笑顔で話しかけたくもないイジイジモードの彼に声をかける。
「ま、まぁ外は多少汚れていても中が綺麗なら問題ないですよね!」
私はそう言ってナカケンさんが指に引っ掛けてた家の鍵を奪い取るとドアを開ける。
「あ、ちょ!」
ガチャ。
……。
ま、まぁ玄関にゴミがまとめて置いてあるのは普通といえば普通のことだよね? ゴミ出しする気満々だし、むしろ高評価と言ってもいいくらいだよね?
私は靴を脱ぎ、ゴミ袋の横を通り過ぎる。
そして、手近な部屋の扉を開けた。
う、うん。まぁ多少ものが積み上がってるくらい良くあること! 私も高校の時は持ち帰った教科書平積みにしていたし! 次々!
そうして私は二階建ての洋館の全ての部屋を回った。
「やっぱり汚ったな!」
結局、私は再び叫んでいた。
決してゴミ屋敷というわけではないのだが、程よく散らかり、程よく溢れ、健康被害が及ぶか及ばないかギリギリのラインを攻めて来る、いかにも貧乏な一人暮らしの男性の部屋といった感じだ。
「そんなに汚い汚い言うなよ……」
気づけばナカケンさんは玄関のゴミ袋とともに丸くなっていた。
またやってしまった……。さっきなかなか機嫌を直してくれないタイプだと理解したばっかりなのに。
私はため息をついたが意外や意外。彼は予想よりもずっと早く立ち直り、いつの間にかフラフラと歩き出していた。
「ナカケンさんどこ行くんですか?」
するとげっそりした顔でこちらを向く。
「決まっているだろう。昼食を作りに行くんだよ……」
ナカケンさんはそう言うと台所へ入っていった。
が、すぐにひょっこり顔を出す。
「おっ、そうだ! お嬢ちゃんも飯食ってくかい?」
「まさかナカケンさん。ここでご飯食べる気ですか?」
なに当たり前みたいに言ってるんだ……。
「そうだよ。いっつも僕はここで食べているんだが?」
「それはナカケンさんだから出来るんですよ。私には無理です」
「本当に君もワガママな人だなぁ。わかったよ。どこか食べに行こう。どこがいい?」
なんでそうなったし……。
「無職がよくそんな事を提案できましたね。口ぶりからして昔に溜め込んでたとかじゃなくてただの金なし無職なんでしょう?」
私が咎めるとこくりと小さくなって頷いた。
「ならダメです。少しは自身の置かれている立場ってものを考えてください」
「……はい」
ホントに子供な人なんだよなー。まぁ素直で良いけど。
「ともかく、ここを掃除しますよ! ご飯はその後!」
そんなわけで私とナカケンさんは季節外れの大掃除を始めた……かったのだが、これはどれから手をつけるのが正解なのか……。
迷う。なんせ他人の部屋なんて掃除したことなんてないから色々してはいけない事とかあるだろう。やはり聞きながら進めていったほうがいいのかな?
「あの、ナカケ―─」
「それで何をしようか?」
ダメだ。この人何も考えてない。
私は再度溢れるため息をつく。
「もういいです。ナカケンさんは庭の草むしりでもしていて下さい」
「アイアイサー!」
そう言って敬礼するとナカケンさんはドタドタと庭に向かった。
まぁ素直なところはいいんだけどね。
さて、それじゃナカケンさんのライフスタイルも関係無くなったし私もとりあえず散らかった服からは片付けていきますか。
私は床に広がる服を拾い上げて洗濯機に突っ込み、洗剤と柔軟剤をそれぞれ入れてスイッチをポチッと。
すると、先程聞いたドタドタという音が迫ってきた。
「お嬢ちゃん、おわったよ!」
「は?」
そんなはずはない。確かに散らかった服を回収するのには手間取ったし、仕分けにもちょっと時間を使ったけど、それでも20分も経っていない。
だが、手元には大量の黄色の袋。無論、中は全部雑草だ。
「…う、うそ……」
私は慌ててベランダに向かい、窓越しに庭を見渡す。
庭は綺麗に切りそろえられていた。サッカーグラウンドか何かではないかと思ってしまうほどである。
すると後ろからナカケンさんが追いついてきた。
「なんだい、突然走り出して?」
「ホントにナカケンさんが庭掃除やったんですか?」
「そりゃそうだよ。僕以外にいるわけないだろう?」
このオッサン、やっぱりただのオッサンじゃない!
まぁ軍隊でも勝てなかったような敵にも一人で勝った英雄なんだから私のような凡人では想像出来ない様な身体能力を有しているのかな?
「次は何をすればいい?」
ナカケンさんは再び私に問うてくる。
「な、なら外壁の苔やら黒ズミを落としておいてください」
驚きを隠しきれないまま言うと、彼はまたしても敬礼して去っていった。
私は部屋中のゴミと思われるものを片付けると掃除機を探す。なんせ広い洋館だ。掃除機一つ探すのも一苦労である。
「ここはナカケンさんに聞いた方が早いかな」
私は黄色のゴミ袋がいくつか加わった玄関で靴を履き、外へ出る。
するとナカケンさんはドアのすぐ横の壁を雑巾で拭いていた。
今どき雑巾って……。小中学校でしか使ったことなんてないよ? 高圧洗浄機とか無いのかな?
……てかなんで逆に学校では未だに雑巾で掃除してんだろ? あれも教育の一環ってことなのかな?
「どうした、お嬢ちゃん?」
私が悩んでいる間にナカケンさんの方から声をかけてきてくれた。
「作業中すいません。掃除機ってどこにありますか?」
彼は眉をあげてこちらを一瞥すると身振り手振りを交えながら返答した。
「掃除機か……。んーと、一階の奥の階段の横にあるよ。あ、横って言っても手前じゃなくて奥の扉ね」
「ありがとうございます」
私は少し疑問に思ったが、素直にその場を後にすると早速指示された場所へ向かった。
「えっと、あっちの階段の……、奥の扉……。あ、これか」
壁と同化するように全く同じ色で取っ手だけ付いている様な扉があった。その扉の前や取っ手にもホコリが溜まっていて、掃除されていないことがよくわかる。
私はその取っ手に手を掛け、勢いよく開いた。
が、そこには想定とは全く違うものがあった。
「なに…これ?」
そこには変なT字のパイプとくねくね曲がるホース、そしてなんか丸いものにキャスターが付いた謎の装置が置いてあった。
それ以外は全く関係ない日用品やペンチにねじ、ドライバーくらいのもので、道具といった道具が見当たらない。私はとりあえずそれを外に出す。
すると奥に何かあることに気づいた。
「よかった〜」
両手に乗るくらいのサイズ。これが絶対に掃除機である。
私は潜り込み、その奥にあるものに手を伸ばす。
しかし、手に触れたものは予想よりもずっとモフモフしていた。
なんだこの感触……。
それを手前に寄せると、やっぱりただモフモフしているものに棒が付いているだけのものだった。
だが私が掴んでいたものはそれだけではなかった。
なんか細長い長方形の布が何本も棒にくっついている謎の道具の端も一緒に掴んでいた。
なんだこの原始的な道具の数々は?
原始的すぎて逆に使い方がわからない。
キャスター付きの謎の機械はプラグをコンセントに挿すことができるものの、挿したところで何が動くというわけでもない。グネグネ曲がるホースはスイッチがあるものの押しても見てわかる通り動かない。
そして、このT字の謎のパイプに至っては掃除道具かすら疑うレベルだ。何をどうすればいいんだろうか? さっきからインターネットでワードや画像を検索にかけているがやはりなかなかヒットしない。現在生きている人間では分からないような道具ってこと?
私が頭を抱えていると、不意に後ろから野太い声が聞こえきた。
「どうしたんだいお嬢ちゃん?」
私は後ろを振り返るとそこには当たり前のことながらナカケンさんが立っていた。
「何か御用ですか?」
「いや、終わったから報告に来たんだよ」
この人は普段掃除しないくせに無駄に仕事が早いな。
「そうですか。それより掃除機どこですか? なんか変な道具ばっかり出てきて肝心なものが出てきませんよ?」
すると、ナカケンさんは狐につままれたような変な顔をした。
「何言ってんだいお嬢ちゃん? そこにあるじゃないかい?」
「は?」
ナカケンさんは突然、変な事を言い出した。
「どこに掃除機なんてあるんですか? こんな原始的な道具の数々にそんなものありませんよ?」
「何言ってんだい? ちょっとそれ、貸してみそ」
彼は私の横を通るとキャスター付きの機械とグネグネ曲がるホースを手にする。そして、カチッという音がすると機械とホースは合体した。
次にホースとT字のパイプを手にすると今度はその二つを合体させた。
そして、三位一体と言わんばかりの奇妙な形をした機械が完成した。
「まさかこれが……」
「まさかもなにもこれが掃除機だよ?」
いや、確かに言われてみればこれは見たことある! 歴史の勉強の時とか大昔のアニメとかでチラッと見たことがある! そう言えばあれが掃除機だったって言ってた気がする!
「博識のお嬢ちゃんでもさすがに知らなかったのかな?」
ナカケンさんはニタニタと意地悪く言った。
「くっ……、違います! 忘れていただけですよ!」
× × ×
その後、ナカケンさんの掃除機講座を受講しつつ、家の掃除は終わったのであった。
「やっと終わったー!」
予想以上にこの掃除機を扱いこなすのは時間がかかった。
自動で動かないし、コードは角で引っかかるし、低いところは屈まなければならないし、布団は吸い上げちゃって出来ないし、そもそも掃除機自体が重いし、苦労だらけである。
昔の人々は本当によくこんな事を日頃やったものだ。
私が古き時代に想いを馳せていると横でナカケンさんも唸り、伸びをする。
「やっぱり綺麗なのは気持ちがいいなぁ〜」
「やっぱりそうでしょう? 家を綺麗にすることは心を綺麗にすることですよ」
「お嬢ちゃんなかなかいいこと言うねぇ。家も心も穢れた大人には言えない言葉だよ」
ナカケンさんはまた笑って適当な事を言うと、誤魔化す。
「さてと、それじゃあもう昼じゃないけど、夜ご飯も兼ねた飯を今度こそ食べようか!」
そう言うと彼は台所で道具を並べ、調理をしだした。
「あ、ナカケンさん、私も手伝いますよ」
するとナカケンさんは手で私を制止すると、人差し指を立て、左右に振りながら「チッチッチッ」と舌打ちした。うぜぇ。
「お嬢ちゃんはホントわかってないなぁ。君は僕では出来ない掃除をしてくれたんだから座っていてくれ。それに君はお客さんでもあるんだ堂々と構えていればいい」
「でもナカケンさん、料理なんて出来るんですか?」
「誰に向かって言ってるんだね? 私はここ十年ほどずーっと一人暮らしなのだよ? 料理だけには自信がある!」
彼はそう言って親指を立てると、八重歯を覗かせた。
「分かりました。それじゃあ居間にいますね」
私がそう言った途端、ナカケンさんは指パッチンして指指した。
「もしや今、『居間』と『います』をかけた?」
「更に『今』を畳み『かけて』どうするんですか」
「こりゃ一本取られたな」
ナカケンさんは勢いよくおでこをペチッと叩くのを見て、私はため息つきながら台所から出た。
なんでオッサンって人種はいつの時代もこうダジャレが好きなのだろうか? いつの時代も変わらない人類の謎である。
片付いた居間についた私はソファーに腰を落ち着けるものの、やっぱり他人の家は落ち着かない。
私は思わず紛らわすようにテレビをつけようとした。が、これまた思うように使えない。
なんで脳内指示で反応しない大昔の道具ばかりここにはあるのだろうか?
私達人類は約100年前くらいからマイクロチップを体内に埋め込み、体一つで多くの電子機器の起動やアクセスできるシステムを開発した。その後、60年前くらいから脳内に埋め込むようになり、それも普及していった。
人類抹殺戦争時の中期に危険だとして子供たちへの取り付けを停止したり、既に取り付けている者もシャットダウンすることで機能を停止しさせたりしたため衰退したものの、復興したあと取り付けなかった世代も取り付けたことで今や人口の九割が体内にマイクロチップを埋め込んでおり、ありとあらゆる電子機器へのアクセスを可能とした。またAR(拡張現実)も可能となった。
これにより自らの行動で動かすということが娯楽以外ではほとんど無くなり、大抵の事は『思う』だけでできるようになった。
しかし、このナカケンさんの家というのはその時代の流れに完全に反しており、現代っ子である私からすればありえない。
故に不便極まりないのだ。
「お嬢ちゃ〜ん! 出来たよ〜」
こりゃまたすごく行動が早い。手馴れたものである。
私はこんな古臭い道具に囲また家を疑問に思いながらも少し新鮮に感じていた。
× × ×
ナカケンさんの手料理は彼が自負していた通り、かなり美味しかった。だが、ナカケンさんの料理は味が濃いか、肉か、あるいはその両方かのどれかであった。これぞ男の料理と言わんばかりの料理だ。
だけど私はぺろりと平らげてしまった。だって美味しいし。
そして食べ終わり、時間を確認すると視界の端に7:30と表示されていた。
「もうこんな時間ですか。私そろそろ帰りますね」
するとナカケンさんも立ち上がる。
「女の子一人で夜道は危ないよ。家はどこだい? 送るよ」
「ありがとうございます」
ナカケンさんのピカピカになった家を後にすると整備されていない道を行く。普段コンクリートの地面しか歩かない私からすると、これも新鮮な感覚だ。足が少しだけ沈み、足にフィットするような。
だが、少し行けば視界が開け、すぐにコンクリートの地面へ出る。
そこから見下ろす世界は光輝く、いつもの街だった。
それを見ると、私はため息が出た。
不便と新鮮が混じる世界を抜け、またいつもの日常に戻るのだと考えると自然と出るのである。
すると同じく夜景を見ていたナカケンさんもため息をつく。
「やっぱりここから山道下るのは時間かかるしめんどくさいな」
そう言うと彼は、私の足をすくい上げ、肩にも腕を回して突然お姫様抱っこをしだした。
「何やってるんですかナカケンさん!」
「すまんなお嬢ちゃん、彼氏君じゃなくて」
「彼氏なんていませんし!」
「なら良かった」
何が良かったのか。そういうことではなかったのだが何故かナカケンさんは勝手に話を完結させると、大きくしゃがみ込み、はにかんだ笑顔を見せる。
「それじゃあお嬢ちゃん。しっかり掴まっててよ!」
彼はそう言った途端、大きく飛び上がり、宙に浮き、山を抜けた。
山からは何十メートルも離れ、私とナカケンさんは空に輝く星々と地に輝く夜景に囲まれる。
「どうだお嬢ちゃん、風を全身に浴びて気持ちいいだろう?」
「怖いですよ! 気持ちいいわけないじゃないですか!」
「やれやれ、お嬢ちゃんは心のゆとりが足りないな」
私はそうは言ったものの少し爽快な気持ちも無かったとは言えない。まぁそれを差し引いても圧倒的に恐怖の方が強いのだが。
そして、私達は徐々に減速して、空の真ん中でほんの少し静止した。
ナカケンさんはそれを見計らったように話し出す。
「お嬢ちゃん、お楽しみはこれからだよ?」
彼がそう言うと、私は下からの緩やかな風を感じる。
「ナカケンさん。私達、落ちてません?」
「ああ、落ちてるな」
すると微風だったはずの風が強風へと変わり、一気に急降下する。
ちょっと待って、これ速すぎる! このままだと絶対に背骨をポッキリいって死ぬ! この人、自分を基準にしてない? 私そんなに体丈夫じゃないから! すぐに死んじゃうから! 脆いから!!
そんな私の心の訴えは声に出すことができずに信じてもいない神様にただひたすら祈っていた。
天にまします我らが父よ。別に全く存在なんて信じていませんが、今回だけは許してください。道をショートカットしようと空跳んだら死んだなんて最期は絶対に嫌です。南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経!
神に祈っているのか仏に拝んでいるのか分からないし何なら死ぬ気満々のデタラメなことを思っている間にも地面は迫り来る。
ダメだ死ぬ。私がそう覚悟した時、笑顔のナカケンさんは私を上へ投げ、自分だけ下に降りる。
その後、すぐに私の真下に来て、再びお姫様抱っこで受け止めた。
「どうだい? スリリングだっただろ?」
ナカケンさんは嬉々としているが私は怖い思いをして、さらに上に放られ気分は最悪だ。
「確かにスリリングでしたけど最悪な気分でした!」
私はヘッと嫌なため息をその場に吐き捨てた。
「それは悪かった。でもああしないと君の骨折れちゃうよ?」
ちゃんと理解してはいたんだ……。
だが、それでも女子を投げるなんて失礼なことだ。
私はプイっととりあえずそっぽを向いてみると、ナカケンさんは困ったように改めて謝ってきた。
「悪かった悪かった。許してくれよ。下着が意外と大人っぽいってことも黙っておくからさ!」
「私の下着見たんですか!?」
「ああ、だって跳んでた時に普通にスカートが捲りあがっていたし、嫌でも目に入ってくるよ」
「本当に女の敵代表みたいな人ですね」
そう文句を言ってから私はやっと状況確認をする。
だが、言うまでもなくここはいつもの野梅公園。違いがあるとすれば昼か夜かの違いくらいだ。
三秒、確認に時間を費やすと私は最後にナカケンさんに断りを入れた。
「それじゃあ、家ここから結構近いんで私は帰りますね。おやすみなさい」
私は会釈をして公園の出口へ向かう。
「ちょっと待ってくれ!」
彼はいつもと違うトーンで私を呼び止めた。
「お嬢ちゃん、絶対にそこから動くなよ?」