約束の梅の花
太陽の光が降り注ぎ、爽やかな風が頬を撫でる昼下がり。私達はベンチに腰掛けていた。
「ナカケンさん」
「ん〜?」
ナカケンさんは細めていた目を少し開けて間延びした声を出した。
「私達、今何やっているんですか?」
「……なにって、……そりゃあ日向ぼっこだよ」
「じゃあなんで私達、日向ぼっこなんてやってるんですか?」
「う〜ん。だってこんな晴天の日に日向ぼっこしないともったいないだろ?」
「何ですか? SAOですか? 結構古い作品の上にあまり有名なシーンじゃないしセリフも違いますよ?」
「そりゃあ、一応返答も兼ねてるからね。それよりそれでもわかる君には毎度驚かされる」
なんかここ最近、ろくに勉強もせずにこんなことばかりやっている気がする。本当にこんなことでいいのだろうか?
始めの頃は特に大した話題も無く適当な話をしてたし、私の趣味でもある大昔のサブカルチャーにナカケンさんが詳しいって分かってからはそれについての話に花を咲かせてたし。
ホントに最近なんにもしてない。
私が現在の自らの在り方に不安を感じていると、そんなことは全く知らないナカケンさんは突然気づいたように起き上がり、ベンチの後ろへ回ると何やら雑草を掻き分けだした。
何やってんだあの人……。
すると彼は一つ草を選んで抜いた。
「あったあった、これこれ!」
ナカケンさんの手元には細い茎が握られ、その先にはブラシのような長い毛の生えた穂がついていた。
「エノコログサ?」
「何、これ猫じゃらしじゃないの? そんな名前ついてたの?」
「そうですよ。イネ科エノコログサ属の一年生草本で、語源は犬の尻尾に似てるから『犬っころ草』が変化してこうなったと言われています」
「へー、ホントにいろんなこと知ってるなー」
超興味無さそうな返事をして彼は私の横を通り過ぎた。
私はその進行方向の先へ視線を向けると、そこには茶色い野良猫がのらりくらりと歩いている。
「ほれほれほれ〜」
ナカケンさんは野良猫の前へ出ると握っていたエノコログサを目の前でフリフリした。
それに釣られるように猫はエノコログサに近づき、猫パンチをする度に手前に引いて誘導する。
彼は近づいたのを見計らうとゆっくりと猫の頭に右手を伸ばす。左手には汗を握り、悪徳セールスマンのように不気味に笑い、唾を飲み込んだ。
そして、一気に頭に触れる。
「よ〜しよしよし!」
ワシャワシャと力強く両手で思いっきり撫で回した。
すると猫は全身の毛を逆立て、シャーという声を出しながらナカケンさんの顔をお返しと言わんばかりに引っ掻き回す。
頭から両手を離すとあっという間にどこかに行ってしまった。
「いてて……。クソ〜、今日もダメだったか」
「そりゃあ、あんな強引な触られ方したら嫌がるに決まってるじゃないですか」
「じゃあどうすればいいんだ?」
そう言うと何やらブツブツと考察し始めた。
やれやれ、こんな人が本当にかつて世界を救った現代の英雄なのだろうか? 猫にも負けているこんな人が。
まぁ確かに最初に会った時は私に声をかけてきた不良をすぐに倒してくれたし強いことはわかっている。しかし、それでも私はこんなマヌケなオッサンが世界を救ったとは思えないのだ。
「……というかナカケンさん」
「ん?」
ナカケンさんは引っ掻き傷の残った痛々しい顔をこちらに向けた。
「ナカケンさんはいつもこの野梅公園にいますけどお仕事は何されているんですか?」
私はふと思ったことを特に深く考えずに質問した。
すると突然、彼は挙動不審になり、明らかに目が泳ぎだした。
「いやー、何してるってなんというか名状し難い仕事でね……。説明するとなると分かりにくいし、長くなるからやめておいた方がいいよ?」
「へー、なるほど。なら聞かないでいいですね」
「うんうん、聞かなくていいよ」
ホントにこの人、素直でわかりやすい人だなぁ。
私はそんな素直な彼に剣を突きつけるが如く鋭く睨みつけた。
「要するに無職なんですね?」
「そうそう! ……って違うよ!」
ナカケンさんは両手をブンブン横に振って否定した。
「嘘ついたって無駄ですよ。はっきり言ってください。名状し難いんじゃなくて名状出来ないって」
「だから僕は仕事を──」
「説明が分かりにくいんじゃなくて出来ないんだって」
「だから僕は……」
「説明は長くなりようがないって!」
するとナカケンさんは悔しがるように拳を握り締めると、口を歪ませて、目に浮かぶ涙を堪えていた。
「う、うぅ……」
あんたはいじめられたけど言い返せない小学生か!
すると彼は開き直るように怒り出した。
「だって仕方ないじゃん! 俺だって昔はまともに仕事してたし、それなりに稼いでたんだよ?」
「昔は昔、今は今」
「……はい」
この人、本当に素直な人だ。
まるで子供のようにナカケンさんは喜怒哀楽を示し、心赴くままに行動しているように見えた。少なくとも私にはそう映った。
それは今までずっと背伸びして、見栄を張って生きてきた私とは真逆で、少し羨ましかった。
「う〜」
そして彼はまた子供のように欠伸をして、両手を空に突き上げて腕を伸ばす。
「それじゃあ、そろそろ昼になるし帰るか〜!」
「あ、私もついて行きますね」
「え?」
ナカケンさんはいつもと違う返事に驚いてみせた。
いつも私は午前中来た日には午後には帰り、バイトへ向かう。しかし、今日は午後にバイトのシフトは入っておらず、これからも暇なのだ。
まぁそりゃあ、学生だから講義へ出たり、勉強しなければいけないのだが、私の場合は瀬尾教授がナカケンさんの課題を行っている間は全講義を出席したことにしてくれるらしいし、一応高校生の時までに大学で習う範囲は全て勉強済みである。だから問題はない。
それより今の私にはこちらの方が気になる。
現代の英雄は今、どこに住んでいるのか。どんな生活を送っているのか。ここ最近ずっと会っているがそれは野梅公園にいる時だけで、それ以外の時に何しているかを私は知らない。
あくまで瀬尾教授の課題を遂げるために私は見にいかなければならないのだ。
「いいですか?」
私は最大限の上目遣いでロリコンオッサンことナカケンさんに懇願する。
しかし、十九のロリもどきでは不十分なのかまたしても渋っていた。
悲しいことに見た目の幼稚さには自信があったのに、悔しい。悔しがってて良いのか私……。
「いやー、でもなぁ……。家は汚いし、女の子が来るようなところではないよ?」
「それでも私、気になります!」
私は最大限に顔を近づけて此れ見よがしにアピールする。
「なんだい、今度は氷菓かい? よく知ってるね」
「まぁあれだけ評価されている作品ならわかりますよ」
「でも、えるちゃんみたいに目が輝いてないから却下」
「チッ」
なんか侮辱と共に拒否された。
「まぁ、それでもついて行きますね!」
「ホントに君という女の子は……」
ナカケンさんはため息をつきながら了承してくれた。正確には了承させた。
× × ×
私達は野梅公園を出るとそこそこ大きい道へ出る。名前はなんと言っただろうか。まぁどうでもいいだろう。
信号機の前に立つとほんの五秒ですぐに変わる。まぁ歩行者が私達しかいないから当然だ。
しかし、昔はどんなに車が走っていなかったとしても待っていたことがあるらしい。しかも、ボタンを押して待たないとならない信号機がほとんどだったと聞く。実に難儀なものである。
その理由として信号機にすら人工知能が搭載されてなかったことがある。今じゃ考えられない事態だ。
現代において、人工知能は欠かせない存在となっている。
家のドアの開閉から信号機の色の変更、車の運転や公共機関などの管理運営まで、生活している上で目にしないことなどない。十年前にその人工知能に滅ぼされかけたというのに学ばず未だに依存している。もう離れることなどできないのである。何とも馬鹿な話だ。
そこで私は気になった。
その馬鹿な人類を人工知能から、ロボットから救ったナカケンさんはこの現状に何を思うのか。
私はチラと彼の方を見た。
が、ナカケンさんのテンションは見るからに最低であった。
自動で判断する信号機にも、自動で走る車にも、横目で見ている私にも、全く気づく気配を見せず、ただただ落ち込んだ声で独り言を呟いていた。
「マジかぁ……。マジで来るのか……」
あんたどんだけ家を見られたくないの? エロ本でも隠してあるの?
本当にこの人は英雄なのだろうか? やっぱり疑わしい。
横断歩道を渡ると坂織宮へ続く参道を行く。
とは言ってもここの参道は公道でもある。そのため鳥居を潜った先に線路が横に走っていたり、隣の坂織宮高校の通学路になっていたりと参道だからと言ってあんまり神聖な感じはしない。
そして、坂織宮の手前で曲がり、高校との間の曲がりくねった道を進む。
少しすると左手には鮮やかな緑が広がり、鳥のさえずりが聞こえてくる。
「そう言えば坂織宮の後ろって梅園なんですよね」
「ああ、長寿園ね。今は五月だから咲いてないけど三月頃来ると綺麗な白やピンクの梅の花が咲いているよ」
「いいですね。東京から来た私も知ってるくらいの梅園ですし相当綺麗なのでしょうね」
すると突然、ナカケンさんが掌にポンと拳を置き、なにか閃いたような顔をした。
「そうだ。ならその時期になったらここでお花見をしよう」
「え?」
「なんだい? 嫌かい?」
「いえ、そういうことじゃないです」
でも突然で、少し驚いてはいる。
しかし、この人特有の無邪気な笑顔……。これを断ったらおそらくまためんどくさい事になる。
そして、再びナカケンさんは問いかけた。
「じゃあいいのかい?」
「まぁ、いいですよ」
「なら約束だ!」
彼は大きな小指を立てた。
……仕方ない。
「はい」
私も小指を立てて指切りをした。
× × ×
その後、私達は長寿園を通り過ぎると目の前に現れた山をひたすら登った。
そして、山の頂上手前でコンクリートで整備された道路から外れ、地面が土の道を歩く。
そして、しばらくすると目の前に一つの建物が現れる。
ナカケンさんは「あー、着いちゃったか」とか呟くと繕ったような笑顔で微笑みかけた。キモイ。
「随分歩かせてしまったね、お嬢ちゃん。ここが僕の家だよ」
私は思わず息を飲む。
「おぉ、これは……」
錆び付いた鉄柵。
伸びきった庭の草。
苔の生えた外壁。
真っ白であろう洋館がところどころ黒に近い色になっていた。
「汚ったな!」