闇夜の逃走劇
六月某日。
正幸奈19歳とその他3名は警察署の闇夜の下で警察官に取り囲まれ、銃口を向けられていた。
理由は二人の容疑者を逃走させようとした疑い。言い訳のできない事実である。
……嫌だ。
19で捕まるなんて嫌だ。まぁ何歳でも嫌なのだが、でもまだ働いてもいない年で人生お先真っ暗だなんて……。
すると、横から全く不安に思っていないようないつもの声が聞こえた。
「うーん……。何がいけなかったんだろう? 蒼の力なら覚えているはずもないし、データも消したのに」
なんで今この状況でゲームで負けて敗因がよくわからない子供みたいな感想が言えるの?
「何よりいけなかったのは警察を軽視したことですね……」
もうこれしか答えがないだろう。
警察を騙そうとなんて考えるのが間違いなんだ。事件を暴くべきところで事件を隠そうなんてことしたのが間違いだったんだよ。
「なんだいお嬢ちゃん。君にしては随分と抽象的で早計な考えじゃないか。別に警察が突き止めたとは限らないだろう。外部からの密告があったかもしれない」
「どっちにしても今現在がピンチであることには変わりありませんよ……」
私が絶望に打ちひしがれ、今にも消え去りたいと思っていたその時、前方から一台のパトカーがやって来る。
そして、入口近くに止めると男と幼女が降りてきた。
………。
その場に暫しの沈黙が流れる。
夜の涼しさが私達の肌には心地よかった。
そんな戯れ言思って気を紛らわせていると、一言聞こえた。
「もしかして、タイミング悪かった?」
「いやいやいや、そんなことないよ! 警視長様、この警官達に言ってやってくだせぇ」
ナカケンさんは事件現場の時とは立場が逆転したかのように下手に出て、説得するように促す。
その態度と突然の出来事に警視長さんはしばらく戸惑っていたが、渋々説得し始めた。
「……お前達、一体誰が銃を構えていいと言った。発砲許可など出していないはずだぞ。今すぐ銃を下ろせ」
「お言葉ですが、警視長。彼らは今ここを脱出しようとしました」
「だからといって銃を構えていいという道理にはならん」
「それだけではありません。彼らは今まさに警視長が乗ってこられた自動車に乗って逃走を図ろうとしています」
あ、バレた。
私達は車に乗せようとしていた足を止める。
「ナカケンさん、ハナから私を囮にする気でしたね!?」
「いやー、だって今ならみんな亜蓮に気を取られて逃げられると思ったんだもん」
流石に無理だったか。まぁ、無理だとは思っていたけれど。でも人間、ここまで追い詰められると藁にも縋りたくなるんですよ。
「……だからって、だからって……」
何やら警視長さんの呟きに少々の震えと怒気が混じっていたように思う。
もしかして警視長さん、怒ってる?
ナカケンさんもそれを察したのか様子を伺う。
「あの……、亜蓮さん?」
だが、警視長さんは聞いていないかのように言葉を続ける。
「……だからって、人の善意を踏み躙るなんて!」
その声には明らかに怒りが表れていた。
「早まるな亜蓮! お前は何のために弁解しているのか忘れたのか!?」
「許せない!」
「アレーン!!」
「確保ー!」
乱心の警視長さんがこちらに指を向けると警察官達は私達に飛びかかってきた。
誰か私と警視長さんに精神安定剤を下さい!
「兄ちゃんと蒼はそれぞれ逃げろ! 空へ逃げればそうそう追うことは出来ないはずだ」
「ちぃ、仕方ない!」
琢磨は手近な電柱の上へ飛び乗る。
一方、マスターさんはため息をついて呆れていた。
「なんで俺が巻き込まれなきゃならないんだ……。それに俺は空なんて飛べないですよ」
マスターさんに咎められるとナカケンさんはマヌケ面で笑う。
「いや、蒼は空なんて飛べなくてもどうにかなるでしょ?」
「はいはい、信頼して頂いて光栄でございます」
マスターさんはそう言って私達に背を向けると片手をポケットに突っ込みながらヒラヒラと力無く逆の手で手を振ると闇夜の中へ消えていった。
「それよりナカケンさん! 私達はどうするんですか!?」
私が問いかけると警視長さんと共にここへやってきた心葉ちゃんもナカケンさんのシャツの裾を引き、小首を傾げながら尋ねた。
「おじさん、どうするの?」
すると、だらーっとナカケンさんの眉根が垂れる。
「大丈夫だよ。おじさんが怖いお兄さん達から逃がしてあげるから」
まぁ、約一名は120%ナカケンさんのせいで怖くなっているんですけどね。
「ってナカケンさん、そんなこと話している暇ないですよ! すぐ後ろに警察官が迫ってますよ!」
「分かった分かった。心配性だなぁ、お嬢ちゃんは」
そう言うと私と心葉ちゃんの背後に回るとしゃがみ込んだ。
「ナカケンさん、まさか──」
そして、私と心葉ちゃんを彼自身の肩に座らせると立ち上がる。
「それじゃあ、二人とも背筋正して大人しくしててな」
彼は再びしゃがみ込むとニヤリと笑う。
私はこの無邪気な笑みを見て、良い経験をしたことがない。
諦めるように覚悟を決めると、私の視界は一変した。風を切る轟音と共に辺りは黒一色となった。
──なんだこれ……怖いなんてもんじゃないぞ?
もう何度かこの大ジャンプは経験しているものの今回はとびきり怖い。身体が全く動く気配を見せないのだ。
身を委ねている人間は同じなのに何がこんなに違うのだろうか。
……体勢だ。
今まではお姫様抱っこで跳んでくれていたのだが今回は心葉ちゃんがいるから肩に座らなければならなくなった。つまり、上半身が全く支えられていないし、掴まるものもない。フリーダムなのだ。
だから、超怖い。
お姫様抱っこされていた時も怖かったけどあの時は背中支えられていたし、ナカケンさんの身体と近かったし、シャツとか掴めたし安心感がまだあったんだけど。
すると目の前の暗黒が一瞬だけ白に変わる。
……雲突き抜けた?
だとしたら大問題だ。酸素薄い。死ぬ。
ナカケンさんにあれほど自分の尺度で判断するなと言ったのになんでこんなに高く飛び上がったの!? 酸欠で死ぬよ!? ……いや、もうここまで来てしまったら考えない方がいいかもしれない。頭の働かせすぎで死ぬかも……。
私は膝の上から手を動かないままでいると横からナカケンさんの笑い声が聞こえる。
「おー、おチビちゃんは勇気あるな! 怖くないかい?」
私は首だけ横に向けた。しかし、そこに心葉ちゃんは居なかった。
あれ? なんで? 落ちた!?
私が内心超テンパっていると、どこからか甲高い笑い声が聞こえる。
「キャー!」
何やらすごい楽しそうだ。ジェットコースターが大好きな女子みたいな叫びながらも嬉々とした声が私の右後ろから聞こえてくる。私がその声の聞こえる方向に顔をやると幼女がほぼ水平に体を反り、両手を伸ばしていた。
「心葉ちゃん何やってんの!?」
「たのしいよー! おねぇちゃんもやろうよ!」
怖い危ない辛そう怖い!
注意せねば! ……しかしここで喋れば酸欠で死にかねない! いや、しかしどっちにしても三分以内に地上に戻ることはないだろうし、……もう、息の……げん……かい……だし、こうなったら死ぬ覚悟で!
「いいから心葉ちゃんやめて!」
私が酸欠死覚悟で強めに警告しているというのに彼女は上の空だ。上空で上の空だって! ハッハッハッハ…………いいから言うこと聞いて……。
すると、心葉ちゃんは腹筋が鍛えられそうな相変わらずの姿勢で見上げた先、つまり私とナカケンさんからすれば後方を指差した。
「おねぇちゃん」
「どうしたの? とりあえずその体勢やめようね?」
「あれなぁに?」
またしても私の発言は無視だ。それはともかく、「あれ」と言われても今現在私は恐怖で振り向けないからわからない。
「あー、心葉ちゃん。それは一体どんな形しているものかな?」
「えっとねー、はねがついてて、はやくて、ひこうきみたいなの!」
羽根? 速い? 飛行機?
私が頭をひねっているとナカケンさんは突然笑い出した。
「そうか、お嬢ちゃんは知らないのか!」
何を? もしかしてドローンとかかな? 普段は上空にいるから気づかないし。でもホバリングが基本だから早くはないよね?
すると、ナカケンさんはどうやったかは知らないけれど空中で体を反転させた。
その瞬間、無数の鋭い機体が空を飛ぶ異様な光景が私の目に飛び込んでくる。
「おチビちゃん、あれはね──ロボットって言うんだよ」