特技『言い訳できない物的証拠』
──地獄。
この惨状を一言で表すとすればこれを置いてほかにはないだろう。
この世の地獄がそこにはあった。
やばい……吐きそう……。
「お嬢ちゃんはとりあえずおチビちゃんと一緒に後ろ向いてろ」
私は言われた通り後ろを向いた。向いたというより向かなければいられなかった。
「兄ちゃんは警察に通報だ」
「ああ、もうしてる」
「仕事が早くて助かる」
そんな会話が背中越しに聞こえた。なんで二人はあんなに冷静でいられるんだ? 人間、慣れるとそうなるのか?
「あとは……生きてる人間がいるかもしれないしな。脈くらいは確認しておこう」
すると拓磨は淡々と言った。
「あんまり現場を荒らすなよ?」
「大丈夫だよ。俺は普通の人より耳がいいから集中すれば拍動が聞こえるのさ。だから静かにしてくれないか?」
普通そんなことであんなに小さな音、聴覚調節の機能がない限り聞こえるわけがない。これも英雄のなせる技なのだろうか?
「お前は化物か」
「よく言われるよ」
そして辺りが静かになる。
こうして静かにしていると自分の拍動がとってもうるさい。とても速くて激しくて、苦しい音だ。これもナカケンさんには聞こえているのだろうか?
鼓動だけではない。瞬きや鼻や口の呼吸、体を流れる血潮に至るまですべての感覚が敏感になって、鬱陶しい。むず痒い。気持ち悪い。死を近く感じれば感じるほどその感覚は増していく。
しばらくするとナカケンさんのため息が聞こえ、緊張の時間は終わる。
「……だめだ。生きてる人間は誰一人いない。鮮血だったからもしかしたらと思ったんだがな」
ということは、私の胸の中にいる心葉ちゃんのご両親も亡くなっている。
先程ちらっと見てしまった死体の中にスカートを履いた綺麗な黒髪の女性がいた。あれがおそらく心葉ちゃんのお母さん、秋葉さんだ。そして、その横に最も無残に殺られていた無武装の男性が誠真さんだろう。こういう時、私の無駄に高いスペックと視力調節機能が裏目に出る。恨んでしまうまでに。
「あいつが……、殺られるとはな……」
ナカケンさんは悔やむように、考えるようにそう呟いた。
ナカケンさんだって、ナカケンさんの方がこの惨状を見るのは辛いであろう。彼は普段やたらと感情を出すくせにこういう時は全く出さないからまるで何とも思っていないように思ってしまったが、そんなわけあるわけないじゃないか。この中で最も付き合いが長く、共に戦った戦友なのだから。
すると横から激しいサイレンの音が近づいてくる。私達はその音の先に視線をやると白と黒の車が赤いランプの光を振り撒きながらやって来た。
「やっと来たか」
拓磨がそう言い、全員で表へ出る。車はその前で止まると刑事が現れ、話しかけてきた。
「現場は──」
やっと刑事も私たちの背後にある地獄を目の当たりにしたようだ。
近年のセキュリティならば殺人などそうそう出来ることではない。出来たとしてもここまで何人もの死体が転がっていることはない。よって戦後ではここまでひどい殺人事件に会うことはそう無いはずだ。
だが刑事は気丈に冷静に再度話しかけてくる。
「ではまず事情聴取を行いますのでこちらへ」
× × ×
私達は敷地の隅に向かい、事の経緯を警察官に話した。
「ではここへ来て扉を開けた時にはもうこうなっていたということですね?」
「はい」
「でもどうやって中へ? さっき見た時は開けっ放し? いや、そもそも扉あったか?」
「……」
そこに目撃者三人は完全に黙り込んだ。話せるわけない、扉を吹っ飛ばしたなんて。
「オジサンがキッ──」
突然、心葉ちゃんが話し出した。私は慌てて彼女の口を塞ぐ。
「あー、なんでもありません!」
刑事は眉を寄せてこちらを凝視してくる。
くっそ、こういう時って大抵ポンコツが「そうですかー」とか言ってスルーしてくれるってのが定石なのに!
すると鑑識と見られる警察官が刑事に話しかけた。
「刑事、ベランダに足跡がついた──ドアが発見されました」
「ベランダからドア? 足跡ってのは汚れてでもいたのか?」
「いえ、汚れではなくて足型に鉄の扉が凹み、くっきりと足跡がついていまして……」
「は? 何を言っている?」
「見ていただいた方が早いかと」
やばいやばいやばい! これまたナカケンさんあるあるの『言い訳できない物的証拠』が発動している……。
そして刑事は警察官に連れられてその場を去った。
……さて。
私達三人は一斉に後ろを振り向き、冷や汗をかきながら緊急会議を開いた。
「やっちゃったぜ!」
「いや、『やっちゃったぜ!』じゃないですよ! これからどうするんですか!?」
「さぁ?」
ナカケンさんは危機感の欠片もなく小首を傾げる。
「そんな無責任な……」
すると拓磨は「じゃあ──」と問いかけてきた。
「俺が蹴ったことにすれば今パワードスーツを着ているから怪しまれない」
「いや、それはダメだろう。僕と兄ちゃんじゃ足の大きさが全く違うし」
「ならどうする?」
ナカケンさんはそう問われると大きなため息をつく。そして、頭とかくと嫌そうに言った。
「お嬢ちゃん、携帯電話とか持ってるかい?」