赤が染めるは純真無垢
ナカケンさんとこのはちゃんはご飯を食べた後、サイクリングロードの脇の弓川で何やら原始的な遊びをしていた。
「おチビちゃん。よーく見ててな」
そう言うとナカケンさんは無駄に様になっているアンダースローで先程長々吟味していた石を川へ向かって投げた。
するとその石は川の水面を跳ね、川の中洲まで届いた。
「すごーい!」
このはちゃんはナカケンさんを羨望の眼差しで見つめる。
だがまぁ、要するに水平に投げることで水の表面張力が石の落ちる力より強く働いたために跳ねたということだろう。ナカケンさんが長々石を探していたのも体積に比べて表面積の大きい円盤に近い形の石が欲しかったからだろう。
まぁナカケンさんの腕力ならアレをするために必要なスピードと回転力は出る。
だけどこのはちゃんには出来るかなぁ?
と、私は心配していたがそれも不要なようだ。
このはちゃんは一回でいとも容易く成功して見せた。
「できたー!」
「おおっ! すごいねおチビちゃん!」
ほんと楽しそうだなぁ……。ナカケンさん。
私は遠目から眺めていると意外にも横から声がかけられる。
「幸奈」
「ん?」
私が振り向くと突然、資料と画像が送られてきた。
そこには明らかに個人情報にしか見えない文字列。
「何これ?」
「あのガキの情報だ。さっき公安に連絡を取って確認してもらった」
すっごい所に連絡とったな……。
一番手前の資料にはこのはちゃんの画像と共に『五十嵐心葉』の文字があった。
「五十嵐心葉。これがあいつの本名だ。年齢はさっき言っていたように10歳。五十嵐誠真と五十嵐秋葉、旧姓松田秋葉の一人娘だ」
まぁ今まで聞いていた話を詳しくした感じだ。別段驚くことではない。
だが、拓磨がこんな事で私を呼びつけることは無い。彼は話を続けた。
「あのガキ自体には驚くような経歴はない。まぁ年齢的にもあるわけない」
そりゃ10歳じゃあね。
「だが、あいつの父親が気になった」
「あ、元HDFの兵士だったってことはナカケンさんに聞いたよ?」
「それはそうだが、どこの所属だったかは聞いてないだろう?」
「それは……そうだけど……」
確かにナカケンさんは兵士だったとしか言っていないが普通そこまで言わないと思うけど?
「だからついでに父親も調べてもらったのだが──」
拓磨はそこで追加のファイルを送ってきた。それを私は受け取り、早速開く。
「見ての通りこの父親の経歴には所属、派遣地域まで全く記されていない。ただHDFの入軍、退軍の日付のみが記されているだけだ。普通は公安ぐらいの機関ならば大抵のことは分かるのだがそれでも隠されているということは相当な機密事項が含まれていると考えていい」
「でもあの戦乱の時代だよ? 分からないことだってあるんじゃない? 特にHDFなんて最前線に出ていく仕事なんだから移動なんてしょっちゅうあっただろうし、いちいち覚えていられない!ってさ」
と、口では言ってみたがまぁそういうことではない。確かにその期間何かあったのは確かだと思う。さっきナカケンさんも何やらお茶を濁して言っていたし。だけどそこをわざわざつっこんで調べることはないだろう。彼らは今、心葉ちゃんと共に幸せに暮らしている。そこに過去を持ち出して壊すことはないと思うのだ。
拓磨はまだ納得いっていないようで何やら考え込んでいたが、「お前がそう言うなら……」と飲み込んでくれた。
そんなやり取りをしていると脳内で時報が鳴る。
『午後5時です』
「もう5時か」
私は立ち上がり、川岸が見える位置まで行き、叫んだ。
「ナカケンさん、心葉ちゃん! そろそろ戻ってきてください!」
すると二人同時に振り返ってこちらを見た。
「え~! もう少し遊びたーい!」
心葉ちゃんならまだしもあんたのセリフじゃないだろ。
「ダメです! 戻ってきてください!」
するとナカケンさんは口に手を当てて心葉ちゃんの耳に近づけた。
「おチビちゃん、ああいうケチんぼにはならないようにね」
すると心葉ちゃんは頭の上に疑問符を浮かべる。
「『ケチんぼ』って何?」
「いじわるさんってことだよ」
ナカケンさん。がんばって小声にしていますけどマイクロチップが聴覚調節してくれますから聞こえますよ?
「その『ケチんぼ』にまた怒られないうちに戻ってきてください!」
「……はい」
川岸から上がってくると、ナカケンさんが突然こういった。
「それじゃあおチビちゃんはこれから家に帰るとして、俺も久しぶりにあの夫婦の顔も見たいし一緒に行こうと思うんだけど二人はどうする?」
うん、ナカケンさんひとりじゃ安心できない主にナカケンさんが理由で。
「ロリコンに任せておくことは出来ませんし私も行きます」
「だな。もし戦闘になったら幸奈ではこと足らん。俺も行く」
「ひどいよ二人とも……」
× × ×
そして私達は帰路につく。正確には心葉ちゃんの、であるが。
私達が向かっていたのは弓川を越えた隣町である。ここは市の中心部であり、人通りも坂織宮よりも格段に多い。そのいちばん栄えている駅前から少し離れた住宅街を訪れていた。
「ここら辺はうるさいイメージがありましたけどここまで来ると結構静かですね」
「まぁいわゆる閑静な住宅街ってやつだね」
すると心葉ちゃんが突然走り出す。そして、一つの一軒家の前で止まり、大きく手を振った。
「オジサン! ここがこのはのおウチだよ!」
するとナカケンさんが感慨深そうに歩きながらその一軒家を見つめる。
「はぁー、あいつも随分と立派になったもんだねぇ。こんな家が建てられるようになったなんて」
確かに結構立派な家だ。ナカケンさんの何故か無駄に広い洋館ほどの広さはないもののこのご時世に容易に建てられるような家ではない。何より綺麗である。
「だけどなんか変な臭いしないか? なんか嗅いだことあるような臭いなんだけどなぁ」
「そうですか? 私は感じませんけど」
そんなことを話して敷地に足を踏み入れると私はふと最初の解決されていない疑問が蘇った。
「そう言えば心葉ちゃん。なんでナカケンさんが英雄だって分かったの?」
「パパがへんなおようふくのオジサンにあったらそのオジサンに『えいゆうさんですか?』ってきいて、『はい』っていったらおなまえいってあそんでもらいなさいって。そのオジサンとしかかえっちゃダメだって」
すると横のナカケンさんが呟いた。
「もしかしてこの臭い──!」
ナカケンさんは突然飛び出し扉を激しくノックする。その様子は鬼気迫るものだった。
「五十嵐! いるか!? 俺だ!」
「どうしたんですかナカケンさん!?」
「お嬢ちゃん、ここのインターフォン押してくれ」
そうかナカケンさんは脳内マイクロチップがないからインターフォンが押せないのか。
「ダメですね。何度も押しても返答がありません!」
「おチビちゃん、家の鍵は持ってるかい!?」
「もってない」
「くっそ仕方ない。兄ちゃん銃を構えておけ!」
「あ、ああ。分かった……」
ナカケンさんは足を振り上げ、そのまま真っ直ぐ突き出すと扉はくしゃりと蹴りを入れた所を中心に凹み、吹っ飛んでベランダの窓ガラスを突き破った。
すると今まで隠されていた世界が目に飛び込む。
私は震える手で心葉ちゃんの瞳を覆った。
これは見ちゃダメだ。見たらこの子の人生がさらに壊れる。
そこら中に倒れ込む複数の死体。地面に散らばる臓物。突き刺さる刃物は夕日に照らされ鈍色に光る。
そして、そこから伸びる一筋の赤はゆっくりと心葉ちゃんの白い靴を染めた。