第九十七話 雪山の遠吠え
その後はグランドラ兵達と出会う事もなく順調に旅は進み、グランドラに入って二日目にはカルッカ山脈の麓のリゾ村へと辿り着く事が出来た。徴兵に取られた為か村に男の人は少なく、女の人達が集まって農作業をしている姿がそこかしこで散見された。
この村でも少し話を聞いてみたけど、やはり現国王のエンデュミオンの人気は高いようだった。以前なら折角育てた農作物が殆ど中央の貴族に搾取されていたけど、王が変わってからは安心して生活出来るだけの蓄えが出来るようになったと。
グランドラ国王エンデュミオンは、貧しかった人々にとってはまさに救世主だったのだろう。……だからこそ、今の戦争を繰り返すグランドラに少し違和感を覚えた。
それほど民を思う人物が、いくら国を豊かにする為とは言え民を死地へと追いやる戦争に進んで手を染めるだろうか? 今まで会ったグランドラに住む人達は皆戦争を仕方のない事だと受け入れていたけど、僕にはそうは思えない。そこまで考えて、一人の人物が脳裏に浮かぶ。
……エンプティ。グランドラの宰相と名乗った、得体の知れないあの仮面の女性。彼女が裏で、国王を操っているとしたなら。
けれど解らないのは、もしそうだとしてエンプティは何故グランドラに戦争をさせているのか。レムリアにあるという、『アンジェラの遺産』を求めているのも彼女なのか。だとしたら、一体何の為にそんなものを欲しているのか――。
考えれば考えるほど解らない事だらけで、混乱してしまいそうになる。皆にも自分の考えを話してみたけど、誰一人明確な答えは出せないようだった。
そうしている間にも時は止まる事なく流れていき、やがて山越えに出発する朝を迎えた――。
ロウエルの町で仕入れた厚手のジャケットをしっかりと着込み、山に入る。山頂付近は一年中雪が積もっているという話だったから、外套だけでは寒さを凌げないと判断しての事だ。
「この辺りは、まだ傾斜も緩やかだな」
同じ山道でもタンザ村への道やガザの集落への道とは違う、殆どあってないような獣道を踏み締めながらランドが呟く。麓の村の人も山に入るような事は滅多にないらしく、道が全く整備されていないのも頷けた。
「レジーナ支部長の話では、登山道具を必要とする道はないが雪深く、遭難の可能性が高い……だったな。冬には常に吹雪に覆われるようになり通行も不可能になるというから、俺達はギリギリタイミングが良かったというところか」
「エルナータ、雪見るの初めてだぞ! 早く見たい!」
「貴様は呑気でいいな、チビ。……下手に炎や雷を放てば雪崩を誘発しかねん。雪原地帯に入ったら、もし獣に襲われても僕の魔法は使えんな」
カルッカ山脈について復習をするサークさんに、雪が見れるとはしゃぐエルナータ。けれど続けられたクラウスの言葉に、自然と身が引き締まるのを感じた。
玉魔法は強力だけど、その分周囲の地形にも影響を及ぼしやすい。だから、使う場所は選ぶ必要がある。
クラウスが魔法を使えないなら、その分周りの僕らが頑張らなければならないだろう。雪がある場所での戦いは初めてだけど、果たしていつものように戦えるだろうか……?
「……リト」
その声にハッと我に返ると、アロアがいつの間にか僕の方を心配そうな目で見ていた。僕は慌てて、その場を取り繕おうと口を開く。
「だ、大丈夫だよ、アロア。例え獣が襲ってきたって、アロアには傷一つ付けさせないから!」
「そうじゃないの。……リト、私みたいに一人で抱え込んだりしないでね? 私も、皆も、リトの仲間なんだから。ね?」
けれど返ってきたその言葉に、ハッとさせられる。……そうだ。一人だけで考えるんじゃなく、こういう事は皆でよく相談し合わないと。
「……ありがとう、アロア。気付かないうちに、少し気負ってたみたいだ」
「良かった。リト、何だか難しい顔してたから何か悩んでるのかなって心配だったの」
「凄いな! アロアはリトの事、何でもよく解るんだな!」
「……っ!」
二人で顔を見合わせ笑っていた僕とアロアだったけど、そこに割り込んできたエルナータの発言にアロアが一気に赤くなる。そしてエルナータに対して、必死に抗弁を始める。
「ちっ、違うのよ!? そういうんじゃないのよ!? たまたま! そう、たまたまリトの様子が目に入っただけで決してじっと見てた訳じゃ……!」
「アロア、何で顔赤いんだ?」
「……そこで必死になるのは、余計にリトに気がありますと言っているようなものだが」
クラウスがそんなアロアを見て呆れたように何かを呟いたけれど、アロアの声が大きくてよく聞き取る事は出来なかった。ランドとサークさんはと言えば、僕とアロアを交互に見てにやにやと笑っている。
「……ええと、よく解らないけど……あの、雪原地帯に入る前に中で獣が現れた時各自がどう動くか話し合っておきたいんですけど、いいですか?」
「ん? ああ、そうだな。進みながら話し合っておくか」
戸惑いながら僕が尋ねると、サークさんは笑うのを止めて話を聞く態勢に入ってくれた。他の皆も話に加わり、そのまま雪原地帯での動きの確認が始まる。
……それにしても、僕といるとアロアが時々こうして真っ赤になるのは何でなんだろう? もしかして僕の事を……なんて、自惚れ過ぎだよね、流石に。
山を登っていくと傾斜は次第にきつくなっていき、獣道も完全になくなる。疎らに生えた草や木々の中を抜けていく形となり、空模様も少しずつ怪しくなってきた。
「……不味いな。雪が降るかもしれない。雪原地帯まではまだ距離がある筈だが……」
サークさんが顔をしかめ、空を見上げた。上空に広がった雲はどんどん分厚さを増し、辺りに暗い陰を落としていく。
間もなく、ちらちらと小さな白い粒が風に舞い始めた。空気は一気に冷え、ジャケットがなければあっという間に体温を奪われていただろう。
「これが雪か? 冷たい! 変なの!」
「はしゃいでねえで急ぐぞ。こんなとこで立ち往生出来ねえからな!」
手を伸ばし雪を掴もうとするエルナータを、ランドが嗜める。雪の粒が小さく軽い為か積もるペースは遅く、幸いにも僕らを阻むものは身を切るような寒さだけだった。
けれど雪の粒は山の上に進むにつれてどんどん大きく、重くなっていく。そしてやがては、辺り一面が真っ白な雪景色へと変わってしまった。
「雪って本当に歩きにくいのね……タンザ村にはあまり雪が降らなかったから、知らなかった」
くるぶしまで埋まる雪の深さに苦戦しながら、アロアが呟く。タンザ村があった山はここよりずっと低いし南にあったから、雪もそれほど降らなかったのだろう。
気づけば木々の姿は完全になくなり、白い雪だけが周囲を彩る模様となる。降り積もる雪に視界を奪われながらも、僕らが進むのを止めずにいると。
――グオオオオォ……ン!
遠くから、そんな獣の遠吠えが聞こえた。それは僕らが目指す山の上の方から、下に向けて響いてきたような気がした。
「……この先にいるな。皆、いつでも戦える準備をしておけ」
腰の曲刀に手を伸ばし告げるサークさんに頷き、僕らは慎重に歩を進めた。




